風濤碧落《なみたつそらに》

遠い遠い風切音……
近いようで、どこまでも遠い音だ


 急激な加速の中、サミアは見た。B−3──YUKIKAZEの文字を。
「ユキ、カ、ゼ? これが」

<Yes,I'm YUKIKAZE.>

 レーダー上のジャムを示す光点が激しく明滅する。攻撃対象として、認識したのだろう。
 マズい……と、思う間もなかったかもしれない。
「──!!」
 声も、なかった。今や“雪風”となったFRX00は恐るべき速度で急旋回した上に、ジャムのいる空域へと更に加速をかけたのだ。
 コクピットの対G緩和装置の限界を超えていた。
 後部座席のブッカー少佐はシートに押し付けられたまま、気絶した。
 前席のサミア大尉は……。レーダーを見た瞬間、乗り出した体をシートに戻そうとしたが──間に合わなかった。
 更なる力で叩き付けられてしまったのだ。

 何という猛々しさか。優美なる風の精霊《シルフ》などではない。
 これは神だ。荒風《あらし》をも司る神に等しい。
 その刹那、サミア大尉は愛機を思った。
〈ガルーダ……〉
 荒ぶる風さえ纏う鳥の王。
 本当は、この名はFRX00にこそ相応しいのかもしれない、と……。



 風の鳴る音に目が覚めた。久しくなかった響きだった。思わず、跳ね起きてしまったほどだ。
 サミア中尉はまず収容庫の屋上部を見遣った。だが、次なる音はしない。
 気のせいか、夢でも見た(いや、聞いた)かと笑いたくなる。
 が、忘れた頃にまた風が鳴った。切り裂く、というほどではない。妙に鈍い響きだが、それでも、これはあの音だった。
「やっぱり、また、あいつか」
 新入りにそんな物好きがいるとも思えない。
 音を頼りに歩き出す。尤も、あんなものを投げられる場所は限られている。果たして、察しをつけた場所に、彼はいた。ブーメラン戦隊の総監であるブッカー少佐だ。
「おう、やっぱり来たな」
 サミアを見つけ、ニッコリと笑って、手を上げた。その手にはブーメランらしき物が握られている。サミアが地上に出ているのを承知しているのは当然だ。許可を出した当人なのだから。
「何だ? あの不細工な音は」
「不細工はないだろう。というか、音に不細工なんてモンがあるのか」
「ある。そいつがいい例になるな」
「酷い言い草だな」
 酷い言われようで断言されても、少佐は苦笑するだけだ。
「……自分で作ったのか?」
 どう見ても、木の削り出しまでが見える代物だった。
「まぁな。一から削るのは中々、骨が折れる。上手く、飛ばないしな」
「そりゃそうだろう。そんなデコボコで飛ぶかよ。そのくらい、コンピュータにやらせりゃいい」
「……もう、コンピュータは使わないで、全部、自分でやるって決めたのさ」
 薄く笑い、大きくバックスイングした手を振り、投げた。奇妙な音を引きずりながら、大して飛ばず、目と鼻の先で落ちた。
「決めたって、まともに飛ばないんじゃな」
「いいんだよ。気長にやるさ」
 取りに行くが、大した距離ではないから、戻るのも早い。

「ところで、ジョージ。新しい機体がうちに回ってくる話は聞いているだろう」
「あぁ。全機、総取っ替えだってな。FAFにしちゃ、奮発したもんだ」
「序でに隊の再編もやる。何人か、この期に抜ける奴もいるが」
 総監にすれば、立場上、頭の痛い話だが、ブーメラン戦士達が互いの進退などを気にするはずがない。ただ、まるで無関係ではないのは、
「それじゃ、残る方は当分、ローテがキツいってことか」
「当てはある。そう長くは続かんさ。それでだ。お前さん、昇進できるぞ」
「……ヘェ。俺が大尉だって? そりゃまた太っ腹なことだ」
 といって、変わるのは給料が多少は上がるくらいなものか。但し、フェアリイにいる限り、大した使い道もない。
 他の戦隊ならば、階級に見合った役職も付いて回るが、特殊戦は違う。個で飛ぶ特殊戦に、そんなものはない。
「でな、ジョージ。再編後はB−1に乗らんか」
「────」
 反応がなかった。軽く目を瞠った程度で、少佐は気付かない。
「残る連中の中じゃ、お前さんが一番、安定した飛び方をするし、経歴も長い方だからな。……あぁ、全く早いもんだな。あの時の新入りが今じゃ、うちのエースの一人なんだからな」
 後の方は少ーしばかし回想に浸り、遠い目をしていた少佐だが、
「断る」
「あぁ、そうか。断る──何!?」
「断る。俺は十三番機のままでいい」
 きっぱりと拒絶され、瞬間、言葉を失う。
「どうしてだ。一番機ってのは中々、名誉なことだぞ」
「名誉だ? んなモン、犬にでも食わせろ。俺はずっと十三番機でやってきた。再編があろうとなかろうと、変わる気はない。勝手なことはするな」
「いや、しかし、ジョージ」
「俺じゃなきゃ、ダメだってことでもないだろうが」
「そりゃまぁ……」
「だったら、他の奴に、その名誉って奴をくれてやればいい」
 ブッカー少佐はポリポリと頭を掻いた。
 確かに、少佐自身も現役時代を思い返せば、頷けるが、ブーメラン戦士が名誉なんぞを有り難がるはずもない。ナンバー自体に拘らない奴なら、いないでもないだろう。
「しかし、ジョージ。何だって、そんなにB−13がいいんだ?」
「変わるのが嫌なだけだ。それで今日まで上手くやってきた。験担ぎみたいなもんだ」
「ほぅ、験は担ぐのか」
「悪いか」
「いや、別に悪いとか、そういうことじゃ」
 ただ、意外だっただけだが、少々、頑なな気がしないでもない。だが、ブッカー少佐は笑って、その件は終わりにした。
 もう少し、突っ込めば、『験担ぎ』だの『B−13がいい』だのではなく、『B−1が嫌だ』というサミアの真意に辿り着けたかもしれないが、それをブッカー少佐が知るには更に数年を要する。
「それはいい。それと機体の名前だが、自分で決めてもいいぞ」
「名前?」
 今度はまともな反応があった。
「あぁ。新シルフのパーソナルネームさ。それとも、そいつも今のままがいいか」
「いや……それは、一寸考えておく」
「そうか。何だったら、俺がキャノピシルに書いてやろうか」
「断る」
「……そんな、きっぱり即答せんでも」
 書道が趣味の一環だという総監は少々、傷付いた顔をしたものだ。

 そして、数日後、サミア中尉が持ってきたのが、
「ガルーダ、か。意味があるのか」
「インド神話の鳥の王だ。全ての風を司るといわれている」
「ほぅ、面白いな。ブリーフィング・ルームに置いてあった本はお前さんのだったのか」
 ブリーフィング・ルームはブーメラン戦士の憩いの場になっていたりする。尤も、憩うのは集まって何かするのではなく、夫々が勝手に、時間潰しの場に使っているのだが。
 編物の道具やら絵のキャンパスまで置かれているのだから、感性が欠落しているといわれるブーメラン戦士にも特有の感性はあるようだ。
 そして、分厚い哲学書やら神学書などもあるのだ。その全てがサミアのものではないだろうが、その中にインド神話の本が含まれていたのは覚えていた。
「風を司る鳥の王か。鳳凰の如く美しい鳥なのか」
「…………」
 何故に、答えなかったのかは後で本を借りて、得心したものだった。
 まぁ、神話とはそういうものだ;;;



 いつも彼は、空を見上げていた。空を、風を追っていた。風の中の光を……。
 ただ、そうしているのが好きだったのだろう。
 それは解ったから、何も尋ねることなどなかった。

 思えば、理由を聞いたこともなかったのだ。


「……佐……ブッカー少佐。しっかりしてくれ」
 軽く揺さぶられたものの、感覚は急には目覚めない。追いつかないというべきか。
 呼びかけも、やけに遠くから響くようだ。それも幾重にも木霊する。耳鳴りも重なっているのだろうか。
「サミア大尉。大尉……!」
「これは……」
「中尉、大尉が──」
 前席でも遠いやり取りがなされていたが、今のブッカー少佐には意味のない会話に等しい。
 それでも、ブッカー少佐は意識を取り戻した。状況を確認しなければならない──それは長年の戦士としての習性のようなものだろう。とはいえ、時間はかかった。
「少佐。気が付いたか」
「エーコ中尉か。ここは……、我々は帰ってきたのか」
 何が起きたのかを必死で思い出そうとするが、意識が覚醒するに従って、全身が悲鳴を上げ始める。反して、首の辺りだけは妙に痺れて、感覚がない。
 整備主任は深い息をついた。
「あぁ、驚いたよ。FRXは完全自動飛行で戻ってきた」
「サミア大尉が操縦していたわけじゃないのか。やはり……あの時、何かに乗っ取られたまま──」
 そこで、少佐は蒼くなった。痛みの為だけではない。今や、得体の知れない存在と化したFRX00を特殊戦に引き入れるなど!?
 だが、エーコ中尉は落ち着いている。その点に関しては、だけなのだろうが。
「何か、か。少佐は気付いていなかったのか」
「何を……」
 痛みは酷くなる一方だ。無論、思考も乱され、纏まるはずもない。
「雪風だ。少佐、今のFRXはあの雪風なんだ」
「何…、だと?」
 少佐はエーコ中尉の顔を凝視した。特殊戦の全機体の整備責任者は自身も、この事態にどう対するべきか戸惑っている様子を隠そうとはしなかった。
「雪風が、そのデータを全てFRXに転送した。シルフの、嘗ての自身の抜け殻は完全破壊してくれたよ」
「…………何て、こった」
 データの転送とはいえ、転送元にもデータは残る。“雪風”は、飛べなくなった古い己を物理的に消し去ったのだろう。
 そこで、ブッカー少佐は別のことに気付いた。
「雪風を、シルフを確認したのか? それじゃ、零……深井中尉とバーガディシュ少尉は」
 行方不明だった“雪風”の乗員達の安否は何よりも気にかかる。
「救難信号は出ていた。だが、見付かったのは深井中尉だけだ。バーガディシュ少尉はまだ……」
 エーコ中尉は眉を曇らせ、「救助隊もそろそろ戻ってくるだろう」と付け加えた。

 一先ず、友人でもある部下の一人は回収されたのに安堵するべきだろう。
 とにかく、深井中尉に聞けば、状況も少しは明らかになるだろう。バーガディシュ少尉のことも全てはそれからだ。
 この時、深井中尉の負傷のことをエーコ中尉は敢えて、語らなかった。深井中尉が銃創を負っているというのは由々しき事態だ。
 だが、今はブッカー少佐自身も心身に深いダメージを受けている。そして、何よりも、前席のサミア大尉のことをまずは知らせなければならないのだ……。
「直ぐに、こいつを調べなきゃならんな。尤も、調べさせてくれれば、の話だが」
「我々が近付くのには特に反応はしなかったぞ。当たり前のように、元の……B−3の格納スペースに腰を落ち着けたよ」
 任務が終われば、特殊戦のネグラに戻り、整備班の世話になり、収集した情報を特殊戦の戦略・戦術コンピュータに伝え、中央のコンピュータに送る。事態の異常さに比して、正に通常任務の如く……異なるのは出撃時とは機体が違うということだ。
「序でに搭乗員もな。痛ゥ……首が、こいつはヤバいかな」
「動けるか。担架が必要なら、呼ぶぞ」
「冗談だろう。それより、サミア大尉は大丈夫か」
 怪我でもされては特殊戦は大打撃だ。
「あ…、サミア大尉か。その、大尉は」
 何故か、エーコ中尉は言い難そうに言葉を濁し、前席を見遣った。二人ばかり、整備員が取り付いているが、何やら徒ならぬ雰囲気であるのにブッカー少佐も気付く。
「どうした、大尉は……」
 何故かは解らない。言葉を呑み込んだ瞬間、慄然とした感覚に全身が震えた。それは痛みとは関係がない。
「サミア大尉?」
 キャノピは上がっている。声は、聞こえるはずだ。だが、応え《いらえ》はない。
「──ジョージ!!」
 痛みを無視して、ブッカー少佐は立ち上がっていた。激痛が首周りを直撃し、直ぐにシートに逆戻りするはめになるが。
「少佐! 無茶をするな。やはり担架を──」
「構うな…っ。ジョージは」
 意志の力で、ブッカー少佐は体を起こす。後席から無理に這い出て、エーコ中尉達の立つ足場に下りる。
「少佐……」
 痛ましい呼びかけなど、聞きたくもない。そんなはずはないのだ。
 だから、早く自分の目で確認して──……。

 シートに座ったまま、身動き一つしないサミア大尉。全く、身動き一つ……。
 俯いているので、メットに隠された顔も見えない。
「ジョージ」
 手を伸ばし、躊躇ってしまった。
 いや、そんなはずはないのだ。

「いつまで、気を失ってるんだ。さっさと目を覚ませ」
 わざとらしく、荒っぽい口調を投げつける。意を決して、その体を揺すった。
 だが、鍛えられ、Gスーツの上からも判別るほどに張りのあるはずの筋肉は、その力を失っていた。そして、その体も……。
 シートから向こう側にずれるように倒れ、弾みで顔が露になる。
「────」
 見開かれた瞳は何を見留めたのだろうか。
 驚愕か、畏怖か……だが、今は何も映してはいない。
 何も──光を、空を、風を追った瞳が過ったが、今はなぞるものさえなかった。

「……そんな、バカな」
 搾り出された呻きにエーコ中尉たちも言葉がない。
「ただの、テストフライトだぞ。なのに、どうして、お前ほどのパイロットが…っ」
 何よりも、“雪風”に、味方であるはずの戦闘機に、殺されなければならないのだ!?
 搭乗員を無視して、死に至らしめるような機動をした“雪風”が恐ろしいのか、憎いのか。
 ブーメラン戦隊でも一、二を争うエース・パイロットがこうも呆気なく、テストフライトの機上で、愛機を残して逝ってしまったのが悲しいのか、悔しいのか──訳も解らない。

 確かなのは、この日、ブッカー少佐は友人でもある部下を、一人、失ってしまったという事実《こと》だけだ。

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 ををっ!? 10日程で次章UP☆ 記録物だぜいっ。やれば、できるじゃん♪ な『戦闘妖精・雪風』小説第6弾。そろそろ、物語は終盤です。
 その前に言うことがあるだろう? オリ・キャラじゃないけど、オリ・キャラみたいなサミア大尉の結末。何せ登場は『戦闘妖精・雪風』では名無しパイロットの上、2Pだけ。『グッドラック 戦闘妖精・雪風』では命名されたものの戦死報告他で3Pだけ。短すぎっ…★
 とにかく、気の毒な人です。愛機(これも原作じゃ名無し;;;)ではなく、テスト機で、しかも、他の戦隊機に中身だけ乗っ取られ、存在を無視されて……こんな痛ましい最期とは。
 画面に見入ってしまった好奇心? 少佐より目が良かったのか?? はともかく、それが運命の分かれ道でした。

2004.10.16.


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