傷 跡 ふみ


 「ん…、いくらなんでも遅いよな。」
 白煙を吐きながら、腕時計を見て呟いた。
 運輸局にフライト報告を済ませるだけだから、そう時間は掛からないはずだが…。
 途中で道を間違えたかな? と思いつつ、生徒であり上官でもある相棒を探しにいくために煙草の火を揉み消した。
 初顔合わせから2ヶ月が過ぎ、本日のテストフライトと相成った。
 結果は…初めてのフライトとは思えないほどの出来だった。
 教官としては(あくまでもシミュレーション上であるが)、手動《マニュアル》でもシャトルを飛ばせるだけの腕前に仕上げたつもりであった。
 が、ブライト・ノア少佐の腕は俺の予想を超えていた。

ブライト・ノア少佐──彼の一年戦争の英雄
ニュータイプ部隊であるホワイト・ベースの指揮官

 これが、生徒であり上官でもある俺の相棒の前歴である。
 戦後初めて(メディア以外で)見る少佐は、一年戦争を生き抜いた歴戦の英雄には見えない、物静かな青年だった。
 印象的だったのは、その瞳。深みのある漆黒の瞳は、昏《くら》い宇宙を想い起させた。深遠の暗闇を湛え、全ての生を拒絶するあの昏い宇宙空間を。
 その時のことを思い出しながら、歩いていると、展望室に件の少佐が佇んでいた。
 左手で右肩を抱きしめるようにして、宇宙を映し出している窓に寄り掛っている。まるで宇宙を懐かしむように。愛おしむように。
 呼びかけようと展望室に一歩を踏み入れた時、少佐の後姿に釘付けになった。
 『泣いている。』……そう感じた。俺には背を向け、顔が全く見えなかったというのに。
 さらに一歩進もうとして、今度は金縛りにあったように体が動かなくなった。
 栗毛色の髪をした女性が、少佐を包み込むように抱きしめ、キスをしていた。
 そして、彼女は手を差しのべる。まるで黄泉路にでも誘うように。──何故そう思った?

「ダメだ! 行くな!」
 咄嗟にそう叫んで走り寄り、少佐の肩に手を掛けた。
「!? シュネーヴァイス中尉?」
 振り向いた少佐は、俺の剣幕に驚いていたが、その瞳は穏やかで涙の跡はない。
 しかも…その展望台にいるのは、少佐一人きりだ。
「え…? あ、いえ…あ、あんまり少佐が遅いものですから…。」
「あぁ…すみません。宇宙が久しぶりなもので、つい…。」
 少佐は、シドロモドロの俺を不思議そうに見詰めながら謝る。
 だが、窓から動こうとはせず、窓に体を寄り掛からせたまま、窓外の宇宙に視線を戻した。俺も静寂に包まれた宇宙に視線を移す。
 ──少佐の漆黒の瞳が、昏い宇宙に同化する。
「静かですね…。」
 溜息混じりに呟いた声は少し掠れていた。
「ほんの一年前までは、ここで戦争があったというのに。地球では戦争の爪痕がまだ生々しいというのに。宇宙は、生も死も……人の想いも、その全てを飲み込んでしまうのでしょうか?」
 あまりの呟きに、俺は何も答えることができない。少佐も答えを求めてはいなかっただろうが…。
 そして、俺に宇宙に同化した瞳を向けて、淋しげに微笑む。──その昏い瞳のままで。
「人の想いを…。戦いに散った人の想いも、生き残った人の想いも、この宇宙は飲み込こんでしまうのでしょうか。だから、宇宙はこんなに静かなのでしょうか…ね?」
 俺は少佐を見詰めることしかできない。
 そして……解った。先程の姿は見間違いではないと。少佐は泣いていたのだと。

「……遅くなりました。行きましょう。」
 不意に姿勢を正し、淋しげな笑みを浮かべたまま歩き出そうとする。
「少佐!」
 そんな少佐に俺は引き止めたいと思った。──引き止める? 何処に?
「少佐、今日のフライトの結果、最終試験は合格です。私は少佐を生徒ではなく、機長として認めます。ですから……ですから少佐、以前お願いしていたように、私のことは『スノー』と呼んで下さい。──相棒として。」
 殆ど叫ぶように言った。俺自身も自分の行動に驚いたが、少佐はもっと驚いていたに違いない。
 少佐は俺をマジマジと見詰めた。そして、その驚いていた顔が、ゆっくりと笑みに変わる。先ほどの淋しげな笑みではなく、嬉しそうな笑みに…。
「テストフライトはまだ半分です。ですから、私たちはまだ生徒と教官です。ですが、無事地球に帰れたら、中尉を『スノー』と呼ばせていただきます。その時は、中尉も私を『少佐』とではなく、『ノア』と呼んで下さい。」
 軍はガチガチの階級社会だ。今まで(生徒と教官としての色合いが濃いとはいえ)こちらが年長者としても、階級が下の者に敬語を使うのもどうかと思っていたものだ。が、今度はノアと呼べという。
 俺は返事に困っていた。
 そんな俺に少佐は真直ぐな視線を寄越す。
「とりあえずは無事、地球に帰ることです。それからです。…そうですよね、ベンハルト・シュネーヴァイス中尉。」
 そう言うと、今度は本当に屈託なく笑った。
 その笑顔は、初めて俺に見せた20歳の青年そのもの笑顔だった。


プロローグ 


 ふみさんよりの頂き物小説・早速第一章UP☆ フッフッフッ、ふみさん版スノーも登場だっ♪
 ……今回の売りはそこ?? でも、重要な役どころには間違いありませんです。今後のスノーの活躍をお楽しみ☆に。…………主役は、勿論ブライト・ノアですが^^;

2004.10.17.

トップ あずまや