傷 跡 ふみ
2 テストフライトから半年が過ぎ、約束通りにテストフライト帰還後から呼び始めた『スノー』『ノア』の呼びかけにも違和感がなくなった。 ノアの機長としての上達の速さは、目を瞠るものがあり、正式に機長に就任して2,3ヶ月を過ぎた頃には、他の機長と比べても遜色のない腕となっていた。 その努力と実力を目の当たりにした、それまでは遠目で見ていたシャトル・スタッフ達も、次第にノアを仲間として受け入れるようになり、最近では、ノアも年相応の表情を見せることも多くなってきた。──あくまでもシャトル・スタッフの仲間内の中ではであるが…。 「お帰りなさい。」 「無事でよかったわ。二人ともお疲れ様。」 フライトから戻ると、到着時に必ず偶然、通りかかる、書類を持った二人連れに声を掛けられた。 一人は、妻のジャニスの友人であり、俺にとっては悪友(天敵?)であるシャーリィ・ビンセント中尉。 もう一人はシャーリィの上官のミライ・ヤシマ大尉。彼女は元ホワイト・ベースの操舵手であり、かつてのノアの相棒ともいえる女性だ。
ノアとミライを二人だけにするように、俺とシャーリィはさり気なく離れる。 「毎回、ご苦労様ですね、ビンセント中尉。」 「あら、偶然よ、偶然。毎回、ホント偶然によく会うわよね。シュネーヴァイス中尉。」 揶揄う俺に、悪戯っぽく笑って惚けるシャーリィ。いつもはここで他愛のない話になるのだが、今日は少し様子が違った。 上官達を見遣っていたシャーリィが、俺を見る。その顔には、少し苦い微笑が浮かんでいた。そして…軽く息をつき、珍しく本音を言う。 「妹みたいなのよ、彼女。それに…そう、『償い』かな? 戦時中、歴とした士官学校を出た軍人なのに、こんなジャブローみたいな後方にいて、民間人だった彼女を前線に送り込んでしまったということへの。今、彼女を軟禁に近い状態にしているということへの。だから…せめて好きな人と一緒にいさせてやりたい。──そんなところかしら、ね。」 シャーリィの年下の上官を思いやる気持ちがよく解る。 「それに、ね…。」 さらに何かを言おうとして、シャーリィは言葉を切った。その視線は、彼らに近付く一人の女性士官に向けられていた。 『また…か。』 溜息が出る。何が起こるか、容易に予想がついた。 その女性士官は二人に物凄い勢いで近付いたかと思うと、ノアを罵り、平手を喰らわせて、泣きながら去っていった。 周りにいた者達は呆然としていたが、ノアは打たれた頬を押さえるだけで、ミライはそんなノアに悲しげな顔を向けるだけだ。 こんな場面はもう何度目だろうか。何度見ても、あまり楽しいものではない。 泣きそうな顔をしたミライは、シャーリィに促され、二人はその場を立ち去った。 俺達も何事もなかったように、いつも通りに一緒にオフィスを目指した。 勤務時間終了後、ノアの官舎で飲むことにした。地球に戻った時は直ぐに帰宅するのだが、妻のジャニスは娘のミリシアを連れて、友人の家に泊りがけで出ている。一人で過ごすのもつまらないということで、俺はノアの官舎に潜り込んだ。 ノアは見掛けによらず、酒が強い。機長就任直後、『歓迎会』と称して、その実は若すぎる機長を可愛がろうという意地の悪い企みがあった。 が、ノアが酔う前に計画者は全て撃沈していた。おまけに介抱までされたとあっては…。可哀想に、彼らはノアに頭が上がらなくなってしまった。 ついでに言うと、普段は全く吸わないが、タバコもいける。意外そうな顔をすると、「16から大学生やってたからな。」と悪戯っぽく笑っていた。
明日は非番だ。どれだけ飲んでも、任務には支障はない。しかも官舎だと帰る必要がない。 それに…店だと話せないことも話せる。 「ノア、お前…これで何人目だ?」 「あぁ…? あ…分からない。数えたことないからな。」 昼間の件を蒸し返してみる。ああいうことがあった日は、俺が年長者として意見をするのが慣例となっていた。──忠告としての意味は殆ど持たないが。 ノアは女性士官に人気がある。一年戦争の英雄。20歳という若さで少佐という階級。おまけに人当たりも悪くない。…とくれば、人気が出るのも当たり前だ。言い寄る女性士官は数知れない。実際、関係を持った者もかなりいる。が、長続きした例がない。原因は…ノアだ。 ノアは関係した女性達に深入りはしない。彼女達が、自分の心の内に入ることを決して許さない。ノアと彼女達とに存在するのは体の関係だけだ。 そんな関係は心を冷やすだけなのに。そのことを十分理解しているはずなのに、それでもノアが彼女達を求めるのは、人の温もりが欲しいからなのだろう。 本当の温もりは、愛している人からしか与えられないのに…。 本当に自分を温めてくれる人が誰だとは理解っているのに、愛おしいはずの彼女を拒む。 ──自分を傷付け、彼女を傷付けるように。 「いつまで、こんなこと続けるつもりだ?」 いつもなら、この後、溜息をつきながら「いい加減にしておけ。」と言って、終わるのだが…。 「お前、ミライ・ヤシマ大尉のこと、どう思っている?」 ノアは驚いて俺を見る。──いつもとは違う展開に戸惑っている。 「──。仕事はキチンとこなすし、人としての思いやりもある。素晴らしい女性だと思うよ。」 「……ノア。俺の言いたいことの意味は、理解っているのだろう?」 明らかに逃げの言葉に、俺はノアの瞳を真直ぐに見詰めて、穏やかに問い詰める。 ノアの瞳に怯えが奔る。が、今日は逃げを赦すつもりはない。 「一度、聞きたかったんだ。ミライを何故、避ける? 何故、彼女と付き合わない?」 ノアの体が強張り、左手で右肩を抱きしめる。そこには銃創があるのを俺は知っている。前の戦争で受けた傷だ。 そのまま、身動《みじろ》ぎしないノア。何も言わず、俺は沈黙でノアを追い詰める。 ピポーン 重く圧しかかるその沈黙を破ったのは、インターホンの音だった。 俺は、ノアの許可を取らずに勝手に鍵を開けた。誰が来たのかは、分かっている。 予想通り、入ってきたのは、シャーリィとミライだった。 「ご招待ありがとう。お酒とおつまみの追加、持ってきたわよ。」 シャーリィの明るい声が響く。…が、直ぐに、いつもの雰囲気と違うことに気が付いたようだ。 「あ、れ…? 私達、お呼びでない…?」 「ブライト、どうしたの? 顔が蒼いわ。何かあったの?」 ミライの問いかけに、ノアは何も答えない。 そんな彼らを横目に俺は胸ポケットから取り出した煙草に火をつけた。 溜息とともに白煙を吐き出す。 「ノアにね、ミライさんをどう思っているのかを聞いてたんだよ。…そう、ミライさんと付き合えない理由が何か、とかね。」 ミライは反射的にノアを見詰める。その瞳は複雑に揺れていた。 そのミライの視線に耐えるように、ノアは右肩を抱きしめる左手に力を込める。 「……そう。それは、私も是非、聞きたいわ。」 「シャーリィ!」 横から口を挟んだシャーリィの貌が恐ろしく真剣だったので、ミライはそれ以上の抗議の声を上げることが出来ない。 そして…理解したはずだ。自分が此処に連れこられた本当に理由を。 「ミライ、あなただって、もう時間切れだということは分かっているのでしょう。だったら、このままでいいわけが…。」 「で、でも…。でも、シャーリィ!」 「お互い好きなのに…。いつも相手のことを求めているのに。なのに…、何故、ブライトは好きでもない女と付き合うの? ミライ、あなたは何故、そんなブライトに何も言わないの? このままだったら、お互い傷付け合うだけじゃない。傷付け合ったまま、あなた達は…。もう時間がないのよ。そのことは、貴方だって分かっているのでしょう?!」 ―─ガタン!! 今まで身動ぎしなかったノアが椅子を立ち上がった。出て行こうとする腕を俺が掴む。 「逃げるなよ、ノア。」 「イヤだ、離せ。俺はこんな茶番は御免だ! 冗談じゃない!!」 「スノー、止めて。お願い、止めて!」 ミライは俺とノアの間に入ってきた。その隙に逃げようとするノアの背中に、俺は事実を突きつける。 「ノア、ミライさんに転任の話があるそうだ。正式な辞令はまだだが…確実らしい。」 俺の言葉にノアは振り返る。 その問いかける視線に、ミライは顔を背けて…頷いた。その意味するところは明確だ。 ──ノアの漆黒の瞳が揺れる。 「もう時間切れだ。『現実』からもう逃げられない。」 「だからって、俺にどうしろと言うんだ! 俺に…!」 「『結論』を出せ、ノア。『現実』から逃げるな。」 俺は真直ぐにノアを見詰める。その視線に……ノアは力が抜けたようにその場に座り込む。 俺はそんなノアに近付き、肩を掴んで立場を確認させる。 「もう時間切れだ。『結論』を出すしかない。どんな『結論』が出ようとも、二人で決めるしかないんだ。誰もお前にはなれないし、誰もミライさんにもなれない。ノア…もう『結論』を出すしかないんだよ。」 見上げるその縋るような瞳の色に気付かなかった振りをして、俺はシャーリィと部屋を出た。 「上手くいくわよね。」 「…………。」 「スノー、あなたまさか…?!」 「いや…。」 問い詰めようとするシャーリィに首を振る。 「じゃあ…!」 俺は、ノアが…ミライが…二人が本当に求めている答えを出すことを望んでいる。そう…それだけだ。 「結論を出すのは、ノアとミライだ。俺達は、切っ掛けを与えることしかできない。」
どんな答えを出そうとも、それがノアとミライの答えなのだから…。 1 3
ふみさんよりの頂き物小説・第二章UPっス☆ 怒濤の展開です★ ふみさん版スノーだけでなく、シャーリィも登場♪ うちのオリ・キャラさんたちは恵まれてるねぇ。 さて、彼らは如何なる結論を出すのかっ!? 次章、お待ちあれ。にしても、たらしなブライトねぇ…………^^;;; 2004.10.22. |