『愛』がある限り〜腕時計 最終章〜 入江和馬



他の人間に何をいわれようと、人には守りたいものがある…。
俺にとって、それは……あいつなんだ。

前編−A passional whirlpool−


「お願いがあるんだ…。」
 金髪の頭を掻きむしりながら、彼は言葉を紡いでいく。
「俺が…宇宙から…帰ってきたら、お前さん…いや、その…俺のこと、一人の男、として…。」
 頭から離れた手は、もう一方の手と擦りあわせるのに忙しくなってきていた。それが暫く続くと手を組んだり、頭を掻いたり…。
 手は自分の心の具現化のように忙しく動き回っていた。表情もいつもの穏やかさや冷静さなどの彼らしさはなく、余裕が全くないことが自分でも分かる。言葉もたどたどしく、視線もわざと相手と合わせない。正面にその姿を捕らえることができず、後ろを向いて、わざと彼女に話しかける。その姿は見えないが、いつもの彼女の雰囲気が彼の回りを包みこみ、その存在を主張している。それだけで、彼の胸は高鳴り、喜びを体中に感じる。
 自分の心の中を、一番隠していたことを、一番隠していたい人間に話す。それは、今の彼にとって何より緊張するものだった。
 だが、ここで話さなければ…この胸の想いを、この腕時計の呪縛を解かなければ、俺は前に踏み出せない。
「だから……。俺と……。マサキ。」



「また、あの夢、か……。」
 スノーは目覚ましが鳴る前に起き上がり、重い体を引きずって、シャワーを浴びにいく。
 あの時…マサキがブライトを助けにいくと言ったその時、スノーは彼女の笑顔を見て、何も言えなくなってしまった。自分のことより、自分が好きな人のために動いてしまう彼女。スノーはそれを応援はしたが、心の中では複雑だった。

『俺は、なぜ、こんな想いを抱くのだろう?』

 そんな想いを抱えているとき、今朝と同じ夢を見たのだ。それは、その夜、古い恋愛映画を見たからかもしれない。が…。
 自分の想いを自覚する瞬間でもあった。
 夢だから、許されること。
 分かっていても、いや、分かっているからこそ…。
 頭は一気に混乱し、精神は地の底まで沈んでしまう。自分の存在の意義をどんなに考えたことか。
「……あのとき、後悔はしないと思ったのに…。」
 マサキを見送るとき、あいつの幸福だけを願っていたのに…いや、そのはずだった。
 この気持ちは、彼女の気持ちも聞いていないし、自分勝手なものだ。決して彼女の幸福には繋がらない。今の自分では…いや、自分だから。だからこそ、
「この想いは、誰にも…あいつには言えない。だから…。」
 亡くなった妻の写真を見て、いつもこの言葉を呟き、現実の世界に戻るスノー。寂し気な表情を浮かべ、シャワールームに入るのは、彼の朝のいつもの日課になっていた…。


★      ☆      ★      ☆      ★


 スノーがブライトのコ・パイロットを離れ、五年以上が過ぎた。その間に、ティターンズの台頭と反乱、アクシズ戦争など様々な騒乱が起きた。スノーは黙って、その状況を見ているしかなかった。……一民間人として。
 彼にとってはそれ以上のことが起きていたのだ。彼の妻と娘が亡くなってしまったのだ。元連邦軍兵士の麻薬中毒による無差別殺人事件。よくある出来事であったが、それに巻きこまれた悲しみは想像をこえた。自分もかつて所属していた連邦軍の、元ではあるが、兵士が最愛の家族を殺す。それが彼の精神状態を一時期、乱れさせたのはいうまでもない。
 だからこそ、その絶望の縁からアルコールという手段も含め、何年もかけて、やっと這い上がってきたのだが…。
 その映画を見て以来、彼はその夢をくり返し見るようになった。


 『占いの館Yum』を経営しながら、スノーは人々の不安が高まっているのを感じていた。
 占いの館を訪れる人々は日々の生活に不安を抱えて、その不安を占いで軽減させているようにも見える。『Yum』での一番人気の占い師“チャイナ・ムーン”もそれを分かっているのか、他愛のない恋愛だけではなく、人生相談もできるところが、この館の売りになっている。
 人々は、常日頃の不安や悩みを彼に話し、悩み疲れていた人々は身体的・精神的な疲れを癒し、以前の一人の人に戻っていく。この館を穏やかな表情で出てくる人々をスノーは驚いきつつも何度、見送ったことか。
 “Yum(やむ)”…人が最初に覚える幼児語を名前として、共同経営者でもある“チャイナ・ムーン”が上げたとき、スノーは違和感を強く覚えたが、今なら理解かる。彼はその言葉にリスタート──“人間として最初に戻る”という意味を込めたのだろう。だからこそ…、自分もここに居られるのだろう。

「おっはよー、レオン。じゃなくって、“チャイナ・ムーン”♪」
「…その名前はよせ。ところで、いつものオーラがほとんどないぞ。また、あの夢を見たのか?」
 表情や態度という外見ではなく“オーラ”というところが“チャイナ・ムーン”ことレオンらしい。一目でその人の心理状態まで見通せるようだ。
 スノーは一瞬、いつもの表情を作ったが、レオンと視線に合わせると、目覚めたときの表情に戻っていた。どう誤魔化しても、こんなときの彼には──いつもより鋭い視線と言葉をスノーに向けてくるレオンには、冗談は通じない。悟られたくないとわざと明るく振舞おうとしたが、諦めて真実を言うしかない。そう思うと、言葉が出しやすくなった。知らず知らず、スノーはいつもレオンと話している口調に戻っていた。
「まあ、な…。」
「そいつをしているからじゃないか?」
「違う! これは…!」
 スノーの左手首に二人の視線が集まる。その先には腕時計…あのとき、マサキから受け取ったものがあった。
「もう、そいつは動かないのに?」
「…あいつから預かりものだから…。だから、こそ…。」
「だから?」
 容赦ないレオンの問いかけにスノーは必要以上に感情的になっていった。
「だから!? だからなんかじゃなくて、これは…この腕時計は…!」
「そいつに縛られているとは、思わないのかい?」
「…そうじゃない。これにはブライトとあいつの想いがこもっているんだ。それをあいつから預けられたんだから、俺は…。」
 落ちつきなく机を叩き、歩き回る。話しているレオンとは視線を合わせず、ずっと床ばかり見ているスノーにレオンは小さな溜息をついた。
「…あいつあいつと言うが、なぜ名前を出せないんだ? それに、そいつという大きな想いをお前さんが抱えきれずに倒れているように俺には見えるが?」
 淡々とレオンはスノーに語りかけた。
「……これは、俺にとって大切なものなんだ。大きな想いなんて、俺には関係ないことさ。それは、ブライトたちとの間のことだけであって…。」
 心が沈んでいくのを自覚しながら、スノーは視線を床に落とし、レオンに話す…というよりも独り言のように呟く。スノーが自然に片手で腕時計を庇うような仕種をしているのを見て、レオンは心の中でスノーの言う『あいつ』への想いの予想以上の大きさを改めて感じた。
「あいつは………。」
 『マサキ』という単語を口できない自分を自覚する。その言葉を話せない。
 そんなスノーをレオンは穏やかな表情で見つめ、
「話せない、じゃなくて、相手への想いの大きさを自覚していないんだろ?」
 レオンはいつも通りの口調と表情で、スノーの心に語りかける。その目は、スノーの腕時計を追っていた。
「だが…しかし…なぜ、今さらそれを…?」
 混乱している意識の中で、スノーはそう尋ねるのが精一杯だった。レオンもこの気持ちを分かっていてくれたはずだ。現在のスノーを一番、理解していたはずのレオンなのに、なぜ…?
「……ノア夫人が応接室でお待ちだ。お前さんに用があると。…その腕時計をくれた人物のことで、な。」
 スノーは、その答えを聞いて呆然とした。


☆      ★      ☆      ★      ☆


「お久しぶりです。ノア夫人。」
「こちらこそ、御無沙汰して申しわけございません。うちの主人からも宜しく伝えておいてくれ、との伝言を頼まれていますわ。」
 応接室に入った彼は、優雅な動作で立ち上がった彼女に、一瞬目を奪われた。その微笑みからは現在の近況を聞かずとも分かる幸せなものが伝わってきた。
「…お幸せそうで、良かった…。」
 久し振りの微笑みを浮かべて握手に応えたスノーは、ソファーに座ることを勧めると、自分は彼女を待たず、さっさと座りこんだ。
「ベルンハルト・シュネーヴァイスさん、その…。」
「ああ、スノーで結構ですよ。ノア夫人。」
「では、私のこともミライ、と呼んで下さい。」
「ミライ、今日はどんな御用件で…?」
 微笑みを惜しみなく彼に向けるミライをスノーは羨ましく思った。信頼を寄せる者が存在するだけで、人は強くなれる。この微笑みにはその人間の強さを感じた。
 自分を見るスノーの瞳に、ミライは一瞬迷った。余りにも悲しい瞳。表情だけは笑顔なのに、瞳だけは悲しみに満ちている。だが、その瞳の強さにはミライは心を打たれた。この強さは表面的なものではなく、真の強さを持っている。同じような瞳を以前、スノーとは別の人物で見たことがある。その人物は…。
 この瞳を再び、その人物に宿らせたい。そして、それができる者はスノーだけなのだ。その思いが胸に大きくなると、自然と言葉がミライの口からこぼれた。
「では、スノー。率直に言いましょう。…………マサキの記憶がなくなったのです。」

《続》

『腕時計〜Good-Luck!』 『最終章(中編)』


 入江さんからの頂きもの・その4☆ 強引にUpに持ちこみました。
 「前半が書けました」という入江さんを口説き落としてのシリーズ化体制。
 意外なツボを突かれまくって、その気になった輝です。あの設定をこう使うか!? レオンまで出てくるとはっ☆ すでに後光が見えます。光の翼が入江さんの背中に・・・^^
 因みに『占いの館』てのはArk☆版の霊能力者と化したレオンがスノーにハメられて、やらされてる(爆)ギャグ・ネタです。ソレをシリアスに使う? チャレンジャーな入江さんに脱帽★ 輝の依頼で、『占いの館』の名前まで命名して頂きました。“Yum”か・・・奥が深いっしょ♪ “チャイナ・ムーン”はArk☆版より、何てベタなネーミングや;;;
 続編は冬コミ後になりますが、もー気になりますねぇ。それまで、皆さん、色々と想像を膨らませて下さい。そういう楽しみが狙いなのです♪ け、決して、途中までしか上げられなかった『蜃楼・間奏』のように、同じ道に引きずり込もうとしているわけでは・・・ないのか? ホンマに胸張って、そうと言いきれるか??
 ともかく、『マサキに何が起こったのか? 二人の運命や如何に!?』 今いちな煽り文句TT

2002.12.10.

トップ あずまや