『愛』がある限り〜腕時計 最終章〜 入江和馬


中編 混迷の星達 −under a rose−


「ごきげんよう、ベルンハルト・シュネーヴァイスさん。」
 穏やかに微笑む、彼が見たこともないマサキがそこにはいた。
「……。」
 スノーはその笑顔と瞳を見て…何も言えなくなってしまった。そこにいる彼女は、彼が知っている『マサキ』ではなかったのだ。



「はぁ? マサキがお嬢さまだぁ? …それ、新手の冗談ですか?」
 まじまじとミライの顔を覗きこむ。どうやら、スノーは本気でそう思っているらしい。
 その表情と態度だけで、今までのマサキとスノーの関係が分かるようだった。

親友。…それも異性同士の。それ以上でもそれ以下でもない、友だち。

 …その関係を壊したくないと共に望み、保つために彼らは自然と努力をしてきたのだろう。
 スノーはマサキについてはホワイト・ベースのクルーでブライトやミライの親友である、というくらい…しか知らない。マサキが家族についてなどは積極的には話さないためか、また彼がそんなことに無頓着なためか、スノーも聞くことはなかったのだ。それはそれで『偏見を持たない』とか『その人自身を見る』ということなのかもしれないのだが…。

 ミライには二人の関係が…いや、心理状態が理解かるような気がした。まるで、結婚前のブライトと自分のようで、見ていて辛かった。お互いの気持ちが解かるだけに…。
「やっぱり…あの子ったら、一番大事なこと言ってないなんて…。」
 予想していた通りの展開だったので、マサキがいる場所までヤシマ家が用意した車で向かう途中、マサキの現在の状況についてミライが話しはじめた。
 …が、しかし、
「今回はそれが裏目に出てしまったようね……。」
 とミライは呟いた。
 一方、スノーはミライの説明を聞いても納得はできない…が、彼が今も腕に着けているあの腕時計が現実を示している以上、スノーもその持ち主だった人物の現実を知らなければいけない…。だが…。
「ですから、マサキがなぜ、ヤシマ家のお嬢さんであるミライと幼馴染みなんですか?」
 スノーにとっては寝耳に水だ。あの起伏もあるが、包みこむような性格と表情を持つマサキが、ヤシマ家と関わりが深い人々──いわゆる“お金持ち”の中に存在しているのだろうか?
 色々と考えこんでいるスノーを見て、ミライは彼を選んだのは正解だと感じたが、これからのことを考えると気の遠くなるような思いがした。しかし、彼に頼むしかない…。スノーにマサキという人物について話していくことをミライは決心した。
「マサキの名字を御存じ?」
「え? 確か“輝(ヒカル)”でしたよね」
「…そう、通称はね。“輝”は日本語に名字を訳したものなの。」
「…マサキって、日本人じゃないんですか?」
 自分の前ではそう笑っていたが…。スノーは複雑な表情のミライの視線を受け、疑問を投げかける。
「…そうね。日本人だったら、よかったかもしれないわね。本当に…。」
「どういう意味です?」
 ミライはその表情をより険しくしたが、今のスノーにとってはそれさえも疑問の対象にしかならない。ミライは再び深い溜息をつくと、スノーに視線を戻し、話しはじめた。
「その辺は後でゆっくり説明するわ。マサキは本名をね。スヴェトラーナ・マサキ・アグラーヤというの。」
「スヴェ…? アグラ……?」
「あぁ、ロシア語よ。マサキはロシア系の家系に生まれたの。」
「ロシア?」
「ちょっと難しいかもしれないから、もう一度、言うわね? 彼女の本名はスヴェトラーナ・マサキ・アグラーヤ。通称スヴェータ。私も彼女と軍で再会した時は名前が違うから、驚いちゃったけど…。」
「……。」
 スノーは言葉もなく、ミライの言葉を全身で聞いていた。
「これはロシア語の女性名だけど、スノーも“アグラーイ”っていえば解かるでしょ?」
「アグラーイ…ま、まさか、あの…連邦政府を裏から動かしているといわれている…。」
「そう、アグラーイ家。だから、ヤシマ家とも縁が深いのよね。」
 深い溜息をついたミライの表情は複雑だった。何かいいたげでもあったが、スノーといえば全くついていけない状況で、それに気がつかなかった。マサキがお嬢さまといわれる人間で、それもあのアグラーイ家なんて…!
「そう、驚くわよね…。私だって初めて会った時は驚いたもの。純血を貴ぶあのアグラーイ家の人たちの中に、彼女のような人がいるなんてね。彼女は…その容姿からも『異端』な存在だったの。だから、彼女の存在自体があの家では秘密だったのよ。唯一同い年くらいの私は、アグラーイ家から頼まれて、よくマサキとは遊んだけれどね。…彼女からは自分のことは、本名じゃなく“マサキ”って呼んでほしいと言われていたから、私はそう呼んでいたんだけど…。」
 ヤシマ家の送迎車はリムジンであり、運転席とも強化ガラスで仕切ってあるために、このような重要な話もできるのだが、スノーはまだ事実を頭の中で整理できないでいた。一度聞いたことを整理し、正確に覚えることができるのが自慢の頭も、今日の出来事は許容量を遥かに上回っていた。

マサキが…あのアグラーイ家の…一人娘?
あの『裏の将軍』といわれている……。
異端の存在だって!? あいつの存在は、…そうあいつは…。
俺の……。

「……スノー、大丈夫?」
 よほど険しい表情と酷い顔色をしていたのだろう。ミライが押さえた調子で声をかけてきた。
「あぁ、何とか……。だが、それは……。」
 その言葉の続きが出る前に、車は静かに止まり、運転手のマイクを通した声が後部座席にいる彼らに降り注いだ。
「到着致しました、ミライ様、シュネーヴァイス様。アグラーイ家の別荘『ナジェージタ』です。」


★      ☆      ★      ☆      ★


 豪華な邸宅──正しく、その『別荘』に相応しい言葉だった。
 美しい薔薇のアーケードを通りすぎ、薔薇の花束が下げられているポーチまで、歩いて5分はかかっていた。そこからマサキがいる部屋まで、さらに5分以上かかった。
 スノーでも判別る高そうな家具が並び、足も疲れてきたが、ブライトも先に行って待っていること、何より久しぶりにマサキに会えることへの想いが彼の足を前に進ませていた、といっても過言ではなかった。
 
 だが…。

「今の私には、初めまして。シュネーヴァイスさん。お話は先ほどノア大佐からお伺いしていました。今、ノア大佐は兄と一緒に離れの図書館の方にいっているの。…ミライ、旦那さまをもう暫くお借りするわね? 兄がノア大佐のこと気に入ったみたいで…。」
「いいのよ、スヴェータ。気にしないで。ブライトは私の自慢の夫だから。お兄さまに気に入られるのは当然のことなのよ。」
「まあ、ミライったら……。」
 笑顔で話す二人を見ていると、自分がこの場に存在することへの違和感を感じてしまうスノー。その表情を見て、彼の心を乱している本人が声をかけてきた。
「シュネーヴァイスさん、ごめんなさい。退屈だったかしら?」
 微笑みを湛えた顔をスノーに向け、スヴェータは話しかける。スノーはそれを受け、戸惑っていた。今まで見たことのない彼女がそこにいる。別人とも思える立居振るまい、言葉使い。紅茶を飲む動作一つからでもそれは判る。
 そして…彼に対しても、一歩引いた態度で話している。スノーは言葉が浮かばず、ただ呆然と立ちつくすのみだった。
 そのはずだった。
 しかし、彼の口からは、そんな彼の想いとは関係なく言葉が紡ぎだされていた。
「……なぜ、そんな辛そうな表情《かお》をする、マサキ。」
 一瞬、マサキは──いや、スヴェータは表情を険しくし、考えこむような様子も見せたが、あっという間に笑顔に戻り、スノーに穏やかに問い返した。
「なぜ、そんなことを仰るのですか? 確かに10年間の記憶はなくなりました。しかし、これといって不自由はしていませんし……。」
「いや、そんなことじゃない。瞳が、心が辛そうだから…さ。こっちもなぜと聞きたいよ。そんな心でなぜ、無理をする?」
「無理をするなんて…そんなことはないですよ?」
 同じ微笑みを湛え、穏やかな表情で問い返す。その仕種は先ほどとも、さほど変わらないように見えた。
「その悲しみは…俺には癒せないのか?」
 そう言って彼女の手を取ろうと、スノーが手を伸ばした瞬間、

「どうしたんだい、私のスヴェータ?」
 全く気配をさせずに入ってきていた人物を見て、その場にいた者は全員、目を瞠った。
「お兄さま!」
「スビャートンカ!」
「………。」
 夫々の言葉と表情と視線で、彼を瞳に捕らえる。スビャトスラーフ・ミハイロビッチ・アグラーイ。若きアグラーイ家の当主であり、才能にも恵まれ、連邦政府でも裏で重要な役目を任されている。そして、その容姿も世間の話題の的であった。
 その彼が、『スヴェータ』の顔を微笑みながら、覗きこんでいる…スノーはそれをただ見ていることしかできなかった。

「お久しぶりね、スビャートンカ。」
「……おぉ、これは……。ヤシマ家の…ミライ。お綺麗になって…。スビャートンカと愛称で呼んでくれるのは久しぶりだね。嬉しいよ。」
「ありがとう。あなたもお元気そうでよかった。」
「何にもまして、旦那さまが、あの『カイル・ノア氏』の御子息とはね。最初に聞いた時にはさすがの私も驚いたよ。」
「そう? あなたは良く知っているでしょ? パオロ大佐とも知己だったみただし?」
「……。相変わらずだね、ミライは。…そうそう、旦那さまを返しておくよ。」
 穏やかに微笑みながら、そっとブライトを招き、ミライの方へ行くように促す。そして、ミライと視線を合わせてきた。その瞳は美しい光と野望を秘めている…そう彼女は思い、幾分、複雑そうな表情で微笑むブライトを一瞬視界に入れ、マサキに目を戻した。 
「スヴェータ、こちらは…?」
 何も言わず、スビャトスラーフに強い視線を注いでいるスノーを指さして、スヴェータに穏やかに尋ねる。まるで今まで、その存在に気つかなかったような動作だった。
「ベルンハルト・シュネーヴァイスさん。私の親友…だったみたいなの。その…記憶がない頃の、ね…。」
「そうですか…スヴェータがお世話になりました。そして、もうお世話になることはないでしょう。」
 浮かべた微笑をそのままに、スビャトスラーフは淀みなく言い放った。
「スビャートンカ!? あなた一体…。」
 ミライが抗議の声を上げた。一方のスノーはまるで聞こえないように…実際、耳に入っていないのかもしれないが…その視線を『スヴェータ』ことマサキに向けていた。その視線に、自分の想いを乗せるように…。
 スビャトスラーフもミライの声を無視し、妹である『スヴェータ』の瞳に自分を映しながら、彼女に話しかける。
「いいかい、もう君はこの“アグラーイ”家の一員なんだ。そして、来月には正式に私の妻になる。」
「……ええ、そうですね、お兄さま。」
「お兄さま、じゃなくて?」
「……スビャートンカ。」
「そう、その調子で、ね。」
 その答えに満足したのか、その微笑みを湛えたままで、スノーを視線に捕らえた。
「ベルンハルト・シュネーヴァイスさんでしたね。あなたは『スヴェータ』とは合わない。…それは解りますよね?」
 スノーはその言葉を無視するかのように黙りこみ、マサキに強い視線を送る。が、マサキ…いや『スヴェータ』は兄であるスビャトスラーフに真向かっていたので、気付かなかった。
「あなたは、スヴェータのことを何も知らない。あなたが知っているのは彼女が演じていた『マサキ』という人物だけだ。」
「……。」
「それをあなたは理解かっているはずでしょう? 現在の『スヴェータ』を見て。」
「…違う。」
 低くスノーは断言し、スビャトスラーフに視線を向ける。
「そうかな?」
 穏やかな微笑でスノーの視線を受けるスビャトスラーフは、余裕で彼に短く対応した。
「…『スヴェータ』こそ演技された人物だ。なぜ、それが解からない?」
 静かな言葉の応酬。二人は互いの視線を絡ませ、微笑みあう。その言葉には一人の女性への想いが詰まっている。
 しかし、その二人の想いを受けている女性は、違うものに想いを馳せていた。場の雰囲気にさすがの『スヴェータ』もスノーに視線を送った。そこで、彼女は見出してしまった。

スノーが着けている、あの腕時計。

 それを見た瞬間、彼女の胸は表現できない感情に満たされた。そして、それを着けている彼…スノーの表情を見て、その視線を受けた瞬間…。

「スヴェータ! どうしたの!?」
 懐かしいミライの声が耳に響き渡るのを聞きながら、スヴェトラーナ・マサキ・アグラーヤは…その気配を察したブライトの腕の中に倒れこんでいた…。


《続》

『最終章(前編)』  『最終章(後編)』


 入江さんからの頂きもの・その5☆ いよいよ、佳境佳境♪
 とにかく、入江さんの暴れっぷりを堪能して頂きましょう。さらに後光が強くなったか。名前だけとはいえ、カイルとーちゃんまで^^  マサキの名前“輝=ヒカル”も・・・恥ずいよぉ★
 弥が上にも“最終章・後編”が待たれますね。ガンバレ、負けるな、スノー!! といいつつ、高慢そうで気障ったらしいスビャ兄^^;;も案外、オモロイ。
 二人の冷戦の行末は! マサキの記憶は戻るのかっ!? 結末は如何にっっ☆;;;;

2003.02.19.

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