星の影から


 何だっ!? いつもは俺に押し付けてくるくせに!! 何だって、今日に限って、先に切り出すんだ、こいつはっ。内心、爆発するのをヨソに、ジャックは質問を始める。
「事件といっても良いものか、判らんのですが、少々、気になることがありまして、是非、御意見を伺いたいと思った次第で」
「ホゥ。どのようなことについてでしょう」
「あの日蝕──あぁ、無論、お解かりとは思いますが、普通の日蝕ではありませんよ。半年ほど前の、あの幻覚だとされている日蝕について」
 何とも正面からズバリと切り込んだな。これで、退くに退けなくなったじゃないか。どう収拾をつける気だ。
 三人の青年も目を瞬かせていた。そして、眼前の二人が目配せをし合う。
「と申されましても、一般的見解以上のことは想像できかねますが」
 アイオロスの返答にも困惑が滲んでいる。そりゃそうだ。いきなり押しかけたFBIが何を問うかと思えば、そんな超自然的なことに如何な答えを期待しているというのか。
「因みにお三方は御覧になられましたか」
「いいえ。生憎と私はその頃、永い眠りにありまして……」
 これはアイオロスだ。とても剛健そうに見えるが、病床にでもあったのだろうか。
「私たちは昼の側にいなかったものでして」
 ニッコリと優美な笑みを浮かべたのはムウと紹介された青年だ。
「貴方方は? 御覧に、なられた」
「えぇ、まぁ」
「何か感じられたのですか。ただの幻覚とは思えないような異常などを」
 逆に問われ、ジャックは頭を掻く。
「そう言われても、何というか記憶が曖昧で、よく覚えていないんですよ。そういう人間が多いから、集団幻覚といわれるんでしょうがね。お前はどうだった」
「俺か? 俺は……」
 それほど曖昧ではない。寧ろ、ハッキリ覚えている。だから、実は幻覚といわれてもピンとこなかったんだが。
「どうしたよ」
「いや、うん…。覚えている限りでは何か妙な寒気を感じたような」
「寒気?」
「今までにも部分蝕なら見たことはあったが、そんな風に感じたのは初めてだったな」
「何で言わなかったんだ、それ」
「別に聞かれなかったし……」
 そんな突っ込まれても困るっての。
 この時、アイオロスとムウが視線を交わしたのには気付けなかった。

「やはり精神に何らかの影響があったのではありませんか。実際に見ていない私たちには判じようもありませんが」
 アイオロスが穏やかに纏めると、ジャックが切り返す。
「それでは、その前に続いた異常気象については」
「異常気象? あぁ、雨のことですか」
「えぇ。何故かソロ家が私財を擲ってまで復興に尽力し、今回はグラード財団も協力を申し出られたとか……いや、美談ですな」
「ジャック、よせよ」
 それで救われる者がいるのなら、皮肉を言うことはない。
「ただ、随分と英断されたというか。俗な言い様ですが、相当な大金を食うでしょうに」
「費《つか》うべき時を惜しんで、命が失われれば、それは悲しいことです。大金だろうと我々には幸い、為し得る力がある。救える命は拾い上げる。それが総帥の御意志です。溜めておくばかりでは金も腐りますよ」
 最後は幾らか茶化していたが、爽やかともいえるアイオロスの全開の笑みにはさしものジャックも口籠もる。分が悪いな。
 俺と同い年くらいだが、何というか海千山千の印象を受ける。
 そのアイオロスが時計を見た。時間切れだろうか。いや…、
「こちらからも一つ質問しても宜しいか」
「ど、どうぞ」
 ジャックの緊張が伝わってくる。圧されているな。
「何故、私どものところに来られたのですか。雨による被害者救済との関連はともかく、日蝕については──私どもが何かしたと考えられているのでしょうか。だとしても、何故? 結び付ける根拠が薄いように思えます」
「勘、といったら、怒りますかな。いや、そればかりではないな。引っかかるのは──そう、あのセイントというものですよ」
「聖闘士《セイント》?」
 顔色が僅かに変わったようだ。その言葉の響きも他者が口にするものとは何故か、異なって聞こえる。
「よもや、御存知ないわけはないでしょう。こちらのサオリ・キド総帥が主催し、全世界的に話題となった銀河戦争《ギャラクシアン・ウォーズ》です。私も見ましたよ。確かに超人的な力を持っていると思われる少年戦士たちの戦いを」
 ジャックは一度言葉を切り、息を調える。妙に力が入っているな。
「凡そ、常識では考えられない彼らの存在をブチ上げたのは他でもないグラード財団。或いは総帥個人かもしれないが……だからこそ、最近続いた超常現象と何か関わりがあるのではないかと、そう連想したのです」
 一気に言うと、ジャックももう一つ息をついた。

 僅かな沈黙がやけに重かった。息が詰まりそうになるほどに。
 その瞬間、クスッと笑い声が漏れた。
「なるほど、あれは途中で終わってしまったが、そこまで騙せたのなら、大成功というところでしょうね」
「だ、騙せた?」
 ジャックが素っ頓狂な声を上げると、アイオロスが苦笑する。ジャックにか、その発想にか。
「えぇ、真に迫った真剣勝負を楽しんでいただけたようで」
「キャット捜査官。あれは勿論、ショーですよ。聖闘士《セイント》も聖衣《クロス》も我が財団が用意したものです」
 あぁ、まただ。セイントにクロス──彼らが発すると何故、響きが違うのだろう。
 俺の疑問には誰も気付くはずもなく、ムウが続ける。
「生身の人間が幾らか強化される程度のものです」
「し、しかし──」
「会場では盛り上げるための特殊効果も行っていましたが、全て観客の方々に喜んでいただくためのものです。大袈裟に演じたことは許して頂きたい」
 ここと思っていたポイントをこそ、あっさりと躱《かわ》されて、ジャックが混乱を始めた。仕方がない。ここまで話が進んだのなら、俺も気になることは聞いておこう。
「では、何故、中止されたのですか。ゴールドクロスが奪われたところまでは放送もされていましたが」
「貴方も御覧に?」
 そりゃ、あれだけ派手にやっていたんだ。全世界で一度も全く見なかった奴なんて、そうそういないんじゃないか? 余程の魔境に住んでるような奴くらいしか……。
「本当に大成功だったな。中止したのは妨害が洒落にならなくなったからです。何しろ、グラード・コロッセオまでが破壊されたのですから」
「誰に、ですか」
「それは──答えられません。示談になりましたしね。ただ、聖闘士による銀河戦争に危機感を抱いた者たち、とだけ言っておきます」
「あれほどのコロッセオを一つ破壊されて、示談、ですか」
「他にとるべきモノがあれば、安いものです」
 それは何だ、とまでは聞けなかった。もう突っ込むところもない。何をどうすれば、巨大なコロッセオ一つを一晩で廃墟同然にできるのかも謎だが、一応は筋が通っているようだ。

「しかし、面白い着眼点ですな。さすがにアメリカの誇るGメン、FBI捜査官だ。我が財団に引き抜きたいくらいですよ」
 冗談、だよな。いつの間にか、落ち着いていた──俺が話している間に冷静さを取り戻すのはいつものことだ──ジャックが軽快に笑った。
「ハハ、有り難うございます。しかし、生憎と今の水が合っているようでして」
「では、水が合わなくなったら、考えて頂こうかな」
 もう一度、アイオロスが時計を見る。今度こそ、タイム・リミットだろう。こちらから立ち上がりかけた時だった。



「お話は済んだようね」
 ミロが前に立っていたドアが開くのと同時に、若い女の声がかけられた。立ったまま、視線を向けると──そこには!
「まぁ、本当によく似ているわ」
 どこか懐かしそうに目を細める少女……あの夢の少女がそこにいた。
 夢では遠かった淡い色の瞳が間近にある。ドクンと心臓が……、いや、全身が脈打ったような気がした。
 ジャックがそつなく話しかける声もどこか遠くから聞こえる。
「これは、キド総帥ですな。わざわざお出まし頂けるとは恐縮です」
「いいえ。隣で聞いていましたわ。私が応対しても良かったんですけど、他にアポが入っておりまして」
「総帥、こちらの会話にばかり気を取られていなかったでしょうね」
「だって、詰まらないんですもの。この方々のお話はとっても面白いのに、アイオロスったら、ズルいわ」
「総帥……」
 何というか、十四歳でグラード財団の総帥を果たしているほどだから、余程確りとした才媛なのだろうが、それだけでなく、年相応の茶目っ気も持っているようだ。
 或いはだからこそ、皆が従っているのかもしれない。

「それで、御用件はお済みになりましたの」
「ハイ、まぁ、退散するしかないようですな。折角、尻尾を隠しておいたのですが」
 その心は『尻尾を巻いた』と……。だが、総帥には大受けしたようだ。
 クスクス笑う少女は本当に全く普通の少女のようで、何も知らなければ、巨大な財団を肩に担う総帥とは思えない。
「おい、リア。どうした」
「…………」
「リア! 何、ボケッとしてる」
「え…、何だ」
「何だじゃないだろう。なーに、総帥に見惚れてんだよ」
「んなっ!?」
 言うに事欠いて、何てことを! だが、止める間もなく、
「まぁ、確かに可憐な方だが、年を考えろ。十四の美少女に手を出したら、立派な犯罪だぞ。幾ら童顔でもお前は三十路目前なんだからな」
「童顔ゆーなっ! ついでにリアって呼ぶなっっ!!」
 場所も忘れて、怒鳴ってしまった。地雷を纏めて二つも踏むことはないだろうが。
「まぁまぁ、怒ると童顔が余計に可愛いぞ」
「テメッ…ッ」
 すっかり頭に血が上った俺は危うく相棒に掴みかかった。知っているくせに、時々、こいつはこうやって俺を揶揄う。

「童顔はともかく……リアと呼ばれているんですか」
 童顔はともかくってのは引っかかったが──彼もそう思っているんだろうな──アイオロスに声をかけられ、俺は冷汗をかいた。今更ながらに、ここが何処なのかを思い出したのだ。
「名前の上だけを略しましてね。あんまり呼ばせないようにしていますが」
「何故、嫌なんです」
「そりゃ、リアってのは女の名前ですからね」
 それも聖書にまで登場する由緒正しき女名だ。ゴニョゴニョ口籠もると、目を瞬かせたアイオロスたちが苦笑した。皆が皆、同じように、何かを思い出したように、重ねたように笑っているのは気になったが、
「まぁ、いいじゃないか。リア王だと思えば、あれは男だぞ」
「…………碌な将来が待ってなさそうだな」
 傍から見れば、まるで漫才のようだろう。少女はまた笑った。だが、この少女が明るく笑うと、何故かホッとする。いつもは総帥として、気を張っているだろうと思えば……。
「本当に面白い方たちね。FBI捜査官というのは皆、そうなのかしら」
「とんでもない! ジャック…、いや、キャット捜査官を基準に考えないで下さい。絶対に」
「酷いな、リア。俺は至極普通だぞ」
「だから、リアゆーなっ」
 いつまで繰り返すんだ、これ。

★         ☆         ★         ☆         ★


 表情を改めたジャックはキド総帥に向き直る。
「さて…、お忙しいところを大変、失礼を致しました」
「いいえ。有意義な時間でしたわ。とても……」
 総帥の視線がふと俺に向けられた。夢の少女と向き合うような不可思議さはともかく、俺はこの瞬間、確信した。全くの直感でしかないが──あれは間違いなく、この少女なのだと。
 まるで『運命』だとでも感じさせる出会い……別に十四歳の少女を相手に色恋を語る気はない。ただ、俺の中のもっと深いところが、このサオリ・キドという存在に呼応していた。

「では、失礼致します」
 ジャックの声に我に返る。視線が交わされたのは如何ほどの時間だったのか。気付けば、もう彼女は俺を見てはいなかった。
「それでは、私が下まで送ります」
 上がってきた時同様に、ミロが先に立ち、外へのドアを開けた。
 二度と訪れることはないだろう応接室を出る時、もう一度だけ振り返る。残る三人は夫々に手を上げたり、会釈したりと応じてくれた。
 何が引っかかるのかは結局、解らずじまい──夢のことも含めて、むしろ謎が深まったような気もした。

 



 リア君(君というほどの年でもないとも判明)がキド総帥──アテナと遭遇の章でした☆ 彼の中では謎は何一つ解決していません。
 因みにリアステッド・ローのスペルは“Leahstead Roar” アイオリアは“Aeolia”だから、リアはリアでも違うリアなのです。聖書に登場する“Leah”は『レア』と呼ばれますが、英語の発音上では『リーア』かもしれん。
 で、結局『銀河戦争』の後始末って、有耶無耶になっちゃったのかな? あれだけ派手にマスコミまで呼んでたのにねぇ。新聞ネタにもなってたけどなぁ。

2007.10.20.

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