星の影から


 俺たちが部屋を辞した後の三人の表情が一変したことなど、勿論、俺が知るはずもない。
「驚きましたね、アイオロス」
「あぁ…。しかし、参った。あの顔とあの声で、ああも他人行儀されることが、これほどキツいとはな」
「仕方ありません。事実、他人なのですから」
「ムウ…、あのなぁ」
 力なく笑うアイオロスなど、多分、俺は想像もできない。
「ともかく、二人はどう感じましたか。あの方、リアステッド・ロー捜査官は──」
 キド総帥の問いに二人は顔を見合わせ、頷いた。
「恐らく」
「私も、間違いないと思います」
「そうですね。私も、そう……」
 何が間違いないのか、その場にいれば、問い質しただろう。それとも、知らぬ振りを決め込む方が賢明か。
 ただ、幾らか沈んだ三人の表情を見れば、何も聞けなかったかもしれない。
 頭を掻いたアイオロスが殊更、明るい声を出しても、それも辛そうで……。
「それにしても、まさかFBIの人間だとはね」
「しかも、顔は似ていますが、年はアイオロスよりも上ですよ」
「こんなこともあるのだな」
「双子座《ジェミニ》以外にも、同等の宿星の持ち主がほぼ同時に現れることがないわけではないとは聖域の記録にもあります。そして、星が目覚めぬままに終わることも──現にこれまでの聖戦で、全ての聖闘士が集ったわけでもないのは、そのような例が多々あるからです」
「宿星《ほし》を知らずに一生を終える者もいる、か」
 感慨深そうに呟いたアイオロスは思い改めたように顔を上げる。
「それで、アテナ。如何されるおつもりですか」
「少し、様子を見ましょう。あの方も私を見て、驚いたようでした。何か感ずることがあるのか、或いは──」
「彼も夢を、見ているかもしれない?」
 夢? 夢とはやはり──!
 総帥ではなくアテナなどと呼ばれた少女は微笑んだ。それを目にしていれば、年不相応な慈愛の表情に驚くどころではなかっただろうに。
「でも、何といっても、この国の司法省にお勤めの方ですもの。おいそれと、聖域にお連れするわけにも参りませんわ」
「さすがに前例がないでしょうな。三十も目前で、初めて聖域を訪れ、聖衣に選ばれるというのは」
「それも面白いですけど」
「ムウ、控えろよ。彼はリアじゃ、アイオリアじゃないんだぞ」
「リアではありますね。でも……確かにアイオリアではないことは重々、承知していますよ」
 あぁ、まただ。アイオリアという俺に似た名前の持ち主が彼らの気持ちを沈ませるのか。
「暫く様子を見ます。身辺調査も兼ねて、誰か張り付けましょう」
「では、私が──」
「いけません。アイオロスでは目立ちすぎます。生き別れの兄弟でもいたのかと噂されるに決まっていますわ」
「ハハ、ですよ、ね」

 こうして、俺の周囲は俄かに慌しくなったが──勿論、俺は気付けなかった。
 宿星、聖戦、聖域、聖闘士や聖衣にも別の意味があるのか。そして、アテナとは一体……。
 それらの意味を俺が知るにもまだ暫くの時間が必要だった。



 グラード財団を尋ねてから一月は、特に変わったこともく過ぎた。当然、グラード財団からの照会はあったはずなのに、出来た方々だったのか、俺たちの突撃について、上に文句がきた様子もなかった。
 新たな案件の捜査に関わり、ジャックも余計なことに時間を割く余裕はなくなったらしい。
 いや、変わったことが一つだけあった。あの日を境に、パッタリと例の夢を見なくなったのだ。やはり、関係があるとしか思えないが。そこで行き詰まる。
 普通に考えれば、グラード財団総帥としがない一介のFBI捜査官と何らかの関わりがあるはずがない。
 単に夢の少女と似ている、現実の存在と直に会ったことで、俺の中の何かに変化があり、見なくなっただけか? 夢は深層心理とやらを映す、とも云われるが、全く厄介なものだ。
 自分の心ほど、理解不能なものは或いはないのかもしれない。

 そして、俺は時々だが、サオリ・キド総帥の行動を情報上で追うようになった。何せ、グラード財団総帥だ。大まかなスケジュールは公表されている。その日はどの国にいるのか、何のレセプションに招かれているのかという程度のものだが。
 拠点の日本に半月ほどは滞在し、残る半月は文字通り世界を飛び回っている。ハイ・スクールの学生たちと同年代の少女が何と、過酷な役目を負っているのだろう。
 そう思うと、胸の奥が重く疼くようだ。これは何だろう。同情か? 普通の少女らしく過ごせない一人の少女への……。
 考えても答が出ないことは案外に多いものだと、彼女に会ってからは身に染みて、納得した。
 この日、一月振りにキド総帥はN.Y.を訪ねていた。今もあの巨大ビルの最上階で忙しい時間を送っているのだろうか。気にかけても、二度とは会うことのないだろう少女は……。

 俺にとってはありきたりの普通の一日は終わり、支局を出たこの日、またしても、運命の歯車とやらがカチリと回った。


☆        ★        ☆        ★        ☆


 非常に淋しくなった冷蔵庫を幾らか埋めるための買い物をして、店を出た時だった。
「キャーッ! 引ったくりよーっっ!!」
「誰かっ。捕まえてッッ」
 金切り声に呼応する動きはない。マンハッタンなどは別にして、ダウン・タウンでは仕方あるまい。引ったくり程度は日常茶飯事──命を取られなかっただけでも有り難く思え、といわれるほどだ。
 しかし、仕事柄見過ごすわけにはいかない。しかも、そいつがこちらに向かってくるとなれば尚の事だ。
 俺は警官ではないから、取り押さえたとしても逮捕は出来ないが──警官が駆け付けるまで確保しくらいはしておける。などと捕まえる前から考えていた辺りは俺も大概だ。
 だが、結局、俺は何もする必要がなかった。

 俺より先に飛び出した人影が、引ったくり犯の足を引っかけ、転がした。罵りながら、飛び起きた男はだが、あっという間に地面に伸びることになる。
 鮮やかな手並みだった。襲い掛かる男の懐に飛び込み、胸に強烈な肘打ちを叩き込み、動きが止まったところをジュードーのように投げを打ち、男を押さえ込む。
 それでも、伸びた男はもがいていたが、ガッチリと押さえ込まれ、動きが取れない。全く往生際の悪い奴だ。
 俺は切札を使うために駆け寄った。バッジを出し、押さえ込まれた男の鼻面に突きつける。
「FBIだ! いい加減に観念しろ」
 FBI捜査官にはこの場での逮捕権がないことを知っていたとしても、権威の象徴が現れれば諦める奴が殆どだ。その男も「畜生」とか口汚く罵りながらも、力を抜いた。
「有り難う。助かりました──」
 体を起こした人影が顔を上げ、「あ」と口を開く。俺も似たような顔を、いや、表情をしていたに違いない。
 引ったくりに遭った女性が追い付き、向き追う俺たちを交互に見て、目を丸くしたのもまた仕方がない。
「双子なの?」
 知らず疑問が口を突くのも当然だった。

 警察の事情聴取を簡単に受けた後、俺たちは一緒に飲みにいった。俺はFBIの捜査官で、彼はグラード財団の幹部だ。そのため、意味のない余計な時間は殆ど取られなかった。
「いや、驚きました」
「こちらこそ」
「でも、一番驚いたのは、あの被害者女性でしょうね」
 真ん丸の目を思い出すと苦笑が込み上げてくる。駆け付けた警官も犯人の男でさえ、並ぶ俺たちを認めた瞬間はあんぐりと口を開いていた。
「それにしても、またお会いできるとは思ってもみませんでしたよ」
「……そうですね」
 俺の言葉に彼──アイオロスはシミジミと呟いた。
「ともかく、再会に乾杯」
 アイオロスは何だか、とても嬉しそうだった。

「アイオロスさんはずっとニュー・ヨークにいるんですか」
「いや、ずっとではありません。ア…、総帥のお供で時々」
「そういえば、キド総帥は今、訪米していましたね。では、アイオロスさんは側近中の側近というわけですね。まだお若いのに凄いな」
「いやぁ。総帥御自身が本当にお若いですからね。あんまり薹《トウ》が立ったのがついていると、色々とね」
 茶目っ気たっぷりにウィンクなどされると、もう笑うしかない。解る気がする。どんなに話が解りそうな者でも、年を重ねると、どうしても融通が利かなくなったり、頑固になったりするものだ。 
 総帥も疲れるだろうし、何より──これが一番の理由だと思えるが、外に向けてのイメージがあんまし宜しくない。可憐な花の周りに枯れ草ばかりではな。
 改めてアイオロスを見遣る。確かに俺と似ているが、より精悍なイメージが強い。俺もそれなりに鍛えてはいるが──間近で見ると、違いが際立つ。
 先刻の引ったくり犯をあしらった手並みも見事だったが、総帥の護衛役も兼ねているのだろう。衣服の下に隠されてはいるが、素晴らしく均整の取れた鍛えられた体であることも疑いない。姿勢からして違うのだから。
「ところで、そのお若い総帥はお元気ですか。とても、お忙しそうですが」
 さり気なく尋ねたつもりだが、さて、どうだろう。
「えぇ。若さと丈夫さが取り柄だそうですからね」
「そうですか。それは良かった」
 何となく安堵して、グラスを口にすると、少し沈黙が降りた。

「そうそう。キャット捜査官はどうしています。まだ、グラード財団を調べているんですか」
「まさか。そんな暇はありませんよ。別の案件を抱えていますからね」
「でも、折角こういう場に恵まれたのだから、貴方の忌憚のない意見を聞いてみたいな」
「私の?」
「えぇ、どう思います? グラード財団が異常気象や集団幻覚に関わっていると、思われますか」
「アイオロスさん。そんなこと」
「酒の席での戯れですよ。何と答えられても、名誉毀損だとかは言いませんよ」
 俺は少しだけ考えたが、このアイオロスがそんな引っかけをするとはとても想像が出来ず、
「……ジャックに話を持ち出された時、勿論、否定しましたよ。そんなことはありえない。無理だろうと」
「ホゥ」
「人間には無理でしょう。そんな神の奇蹟のような真似は」
「神の、奇蹟……ですか。そうですね。では、聖闘士と聖衣は? 貴方もあの時は気にかけておられたが」
 まだ揺らぐような響きを覚える。これは言うべきなのだろうか。
「それはまぁ、グラード財団の誇る技術の粋を集めれば、可能かなとは思いますよ。ただ……」
「ただ?」
「あの優勝者に贈られるはずだった金色のクロス。あれだけは別じゃないかなって、気はしますね」
「…………」
 アイオロスの瞳が眇められたが、幾らか照度の落ちたカウンターでは気付けない。
「射手座《サジタリアス》のゴールドクロスでしたよね。射手座か。占星術での黄道十二星座《ゾディアック》ですね」
 占星術などは大して詳しくもないが、アメリカでは一昔前に、黄道十二星座《ゾディアック》を名乗る猟奇連続殺人犯が世間を騒がせ、また恐れさせたので、基本的なことは知っている。自分の誕生星座くらいも。
「もしかしたら、ゴールドクロスは十二体あるのかな」
「…………」
「あ、いや。そんなはずないですね。でも、何故、ゾディアックの中で射手座にしたんですか? やはり翼があって格好や見栄えが好いからとか?」
「あったら、どうします」
 茶化した俺の言葉を何故かアイオロスは流し、逆に尋ねてきた。
「え、あったら?」
「十二体の黄金聖衣。あったら、見てみたいと思いますか」
「それは……十二体あって、揃ったら、さぞかし美しいというか、荘厳でしょうね」
「……でしょうね」
 穏やかに微笑したアイオロスもグラスに口をつけた。

 その夜以来、俺はアイオロス時折、会うようになった。

 



 一人称展開の場合、当人がその場にいないと、苦労しますねぇ。ここでは『回想のように振り返っている』ように表現しました。または『HOTEL様式』ともいう? 「姉さん、事件です」とか「その時の俺は知る由もなく」って──解らないかも? 
 で、本編はリア君、アイオロスと再会の章でした^^ 少しずつ、物語が動き始めています★

2007.10.30.

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