|  
 星の影から
 5
 「あぁ、大丈夫だ。じゃあ、一時に──」
 外からの電話を切ると、美味くもないコーヒーを淹れながら、ジャックが確めてくる。
 「また、アイオロス様か」
 「あぁ。今回は時間が取れるっていうんで、昼を一緒に」
 「しかし、頻繁にお前さんと会うっていう理由が解らんな」
 ジャックが首を傾げるが、遠くに住む友人に会える時に会うのは特に不思議なことでもないだろう。俺の方はまずアメリカを離れることはないのだから、尚更だ。
 「しかし、普通、彼女とか」
 「彼女は国にいるんじゃないのかな」
 「聞いたのか」
 何故に体を乗り出す。そんなに興味津々なんだか。
 「いや、ちゃんと聞いたわけじゃないが──」
 とても大切な女性がいるような節は見え隠れしているので、殊更に尋ねたりもしなかった。
 「何だか、怪しいなぁ。お前、まさか本当に引き抜きの声がかかってるわけじゃないだろうな?」
 「あれは冗談だろう。大体、あんたの方が乗り気だったんじゃないのか」
 「それこそ、冗談に決まっとる。う〜ん。となると、アッチのシュミとか?」
 ボソリとした呟きだったが、確り聞いてしまったし、理解した瞬間には頭に血が上った。
 「阿呆かっ。下らんこと言ってないで、報告書! 今日中に提出だからなっ」
 バンッとデスクを引っ叩くと、カップの中味が幾らか零れたが、俺は構わず踵を返し、足音も荒く部屋を出た。
 「お〜い、リア〜〜」
 間延びする相棒の声など無論、無視した。
 
 
 「ハハハハハ、面白いなぁ、それ」
 アイオロスは豪快に大受けした。って、笑うトコかよ。
 待ち合わせのカフェで、俺たちは昼飯を食いつつ、馬鹿話に興じていた。
 アイオロスはやはりキド総帥のお供で世界中を飛び回って、忙しいので、いつもこんな風だ。時にはミロやムウも一緒になるし、時間が取れても、精々が数時間だ。
 互いの家を訪ねたこともない──というより、俺はアイオロスがN.Y.に家を持っているかどうかも知らないのだ。
 「いや、あのキャット捜査官? 彼の発想力は豊かだな。小説家にでもなればいいのに」「笑ってる場合か。それこそ、名誉毀損で訴えてやりたいよ」
 「君が怒ることはないだろうが」
 ゲイ扱いされて、何故に、そんなに鷹揚に構えていられるのか。器量がデカ過ぎるのも問題かもしれん。
 「いーや、あいつ絶対、頭ン中で想像してたね」
 「う…、それは一寸……」
 さすがのアイオロスも額に冷汗を浮かべ、顔を引き攣らせる。
 一つ年下だが、妙に包容力があり、頼り甲斐のあるアイオロスを俺は友人としてはかなり上位に置いていた。それを貶されたようで腹が立ったのだ。
 「だーろう! ブチ殺してやりたいよ」
 「それは──気持ちは解るが、実行しないようにな」
 一頻り爆発して、幾らか気が済んだ俺はコーヒーを啜る。
  一息つくと、疑問も湧く。何といっても、世界のグラード財団総帥の側近中の側近だというアイオロスが何故、一介のFBI捜査官と懇意にしてくれるのか。そりゃ、俺だって、それなりに選抜された捜査官ではあるが、そう特別な情報を得られるわけでもなし──尤も、仕事の話などしたことがない。やはり、顔が似ているから親近感が湧くとか?
 それはいつかは聞いてみたい問いでもあった。再会し、友人付き合いを始めてからも半年ほど……いい頃合かもしれなかった。
 だが、尋ねた時のアイオロスの表情は結構見物だった。キョトンという修飾語が似合いそうだったからだ。
 「何を今更──」
 「今更かな。割りと気にしていたんだが」
 「何故? そんなに可笑しなことか?」
 「でも、アイオロスは」
 「グラード財団総帥の側近。だから? それはたまたまだ。巡り合わせって奴。そういう意味ではリアに会ったのも巡り合わせだと思うぞ」
 「そりゃ……」
 俺は「リア」と呼ばれるのは嫌だが、アイオロスは例外だった。大抵の奴は女名をざーとらしく呼ぶので、時には実力行使で止めさせた。
 だが、彼の呼びかけには嫌味がない。最初は彼も「リアステッド」と呼んでいたはずだが、いつの間にか、そうなっていた。いつから変わったのかも互いに覚えていないほどに自然な変化だった。
 「友人には恵まれている方だと思う。当てになる奴も楽しい奴もいる。でも、ムウやミロもそうだが、完全に仕事抜きで話せるわけではないんだ。そう考えると、案外と俺には普通《ただ》の友人ってのはいないんだよ」
 「ただの、友人か?」
 「そう。仕事のことも忘れて、ただ、その時を楽しめる相手ってのは意外といないもんだろう」
 言われてみれば、確かに俺だって、そうだ。意外とどころか、今はアイオロス以外に仕事抜きで会う友人なんて頭に浮かばないじゃないか。
 「だから、俺はリアに会えるのを楽しみにしているんだ。本当に……。リアは、俺が連絡を取るのは実は迷惑だとか?」
 「そんなことないよ」
 思わぬ言葉に手を振って、即答するとアイオロスはニッコリと笑った。
 「なら、良かった」
 そんな安心したような顔をされると、妙に胸が騒ぐ。
  時々、アイオロスは酷く懐かしそうに俺を見る。それは自分にそっくりな奴を、鏡を見ているような感じではなくて……。前にミロも、いや、キド総帥までもがそんな表情を垣間見せた。その理由だけは今以て、解らない。「アイオロスに、そこまで言って貰えるのは光栄だな。やっぱり、親近感が湧くのか。顔が似ているから」
 ストレートに聞いてみるが、アイオロスの反応は思ったほどではなかった。
 「ん〜、それもないわけじゃないが、切っ掛けみたいなものでしかないな。幾ら顔が似ていても、中味がイヤ〜な奴だったら、却って、付き合いたくないだろう」
 それも確かに。アイオロスへの質問はそのまま俺にも返ってくるんだと今にして気付く。
 似ていようといまいと、俺はアイオロスという、この人物が気に入ったから、友人付き合いをしているんだ。
 「それに、な。確かに俺たちは似ているが──リアが本当に似ているのは、実は俺よりも弟なんだよ」
 「弟? アイオロス、弟がいるのか」
 「あぁ、まぁ…。ムウもミロも勿論、俺も最初に会った時はそれで驚いたんだ」
 「へぇ、それこそ、似た者兄弟なのか」
 そういえば、あの展望エレベータで、ミロが「アイオロスというよりは」と言いかけたが、そういうことだったのか。
 「もしかして、本当に双子か」
 「いや、アイオリアは俺より七歳下だった」
 「アイオリア? 何だ、名前まで似ているのか。エラい偶然だな。アイオロスより七つ下ってことは──」
 そこで俺は気付いた。今、アイオロスは「だった」と過去形を使った。まさか…、まさか!
 「……まさか、弟さんって」
 「ん? あぁ、うん…。今は、いない」
 重いものを呑み込むような表情だった。いつも明るさを伴うこの男も、こんな表情を持っているのかと疑いたくなるうような。
 「あ…、えっと。スマン」「何故、謝る」
 「いや、だって、辛いことを思い出させたみたいだから」
 その弟とそっくりだという俺と会うのも本当は──辛くはないのか? 危うく堪えた言葉をアイオロスは察したらしい。
 「確かにな。あいつが、もういないってことを自分に認めさせるのにも時間はかかったよ。俺はあいつに、随分と苦しく悲しい思いをさせてしまったから、少しでも取り戻したかったんだが、叶わなかった。でも、もう…、いない。どんなに望んでも、願っても──解っているのに、まだ望んでしまう。探してしまうんだ。俺の隣に、後ろに……。けど、やはり、あいつはいない」
 組んだ両手に額を預けるようにしていたので、表情は見えなかったが、もしかしたら、泣いているのかもしれない。涙は堪えたとしても、きっと泣いているんだ。
 それほどにアイオロスは弟を大事に想い、愛していたのだろう。そんな弟を失った彼の気持ちは家族には縁薄い俺には計り知れない。
 「それが、本当の理由か?」「本当の? 何のことだ」
 顔を上げたアイオロスは幾らか暗い表情ではあるが、涙の影は見えない。自分の心をもコントロールする術を知っているのは仕事柄かもしれないが、些か気の毒にも思える。彼は弟を失ったというその瞬間、存分に泣いたのだろうか。
 「いや、弟に似ているから、俺と……」
 「何を考えているのかは大体、解るが、それは違うぞ。リアステッド・ロー」
 「でも──」
 アイオロスは片手を上げて、俺を制した。そして、真直ぐに俺を見返してきた。
 こういうところが大した奴だと思う。こちらも仕事柄、真直ぐに相手を見る奴など、とんと会わないからだ。多分、俺とて、その例に漏れないだろう。
 最初は気恥ずかしくもあったが、今では憧憬に近いものを以て、見返すようになった。
 「リアステッド・ロー、君は君だ。幾ら似ていようと君はアイオリアじゃない。上っ面が似ているだけだ。……俺はアイオリアを、弟を愛していたよ。だから、失って、悲しいし辛い。でも、君をアイオリアの代わりにしようなどと思ったことは一度もない。当たり前だ。君はアイオリアじゃないんだからな。俺にとって、弟は……誰であろうと比べられる存在《もの》ではないんだ」
 「アイオロス……」
 「俺が君に望むのは弟とは別のものだ。友人としてね。それだけは解ってほしい」
 俺は赤面しつつも黙るしかなかった。人を人の代わりになど、できるわけがない。大事な奴であればあるほどに。
 「その……いつ、だったんだ。その、弟さんが──」「一年ほどだな。例の、日蝕の頃だ」
 「まさか、何か関係が」
 「さぁ、俺たちは見ていないからな」
 そういえば、その頃のアイオロスは長い眠りにあったとか言っていた。弟に苦しく悲しい思いをさせたというのもそのことか。ちゃんと見送ることはできたんだろうか。
 「……ほんの僅かだが、言葉は交わせた。もしかしたら、アイオリアが俺に、命をくれたのかもしれないな」
 それが気持ちの問題だとしても、解るような気もした。
 「でもな。リアを見ていると、楽しかった頃のことばかり思い出すんだ。だから、リアと会うのが嫌だなんて全然、思わないぞ。大体、それなら初めから連絡入れたりしないだろう」
 「そ、そうだな」
 言われてみれば全くその通りだった。ともかく、理由が解れば、後は気にならなかった。ムウやミロも懐かしそうな顔をするが、幼馴染だったというので、同じ理由だろう。
 「そうそう、アイオリアの名付け親は俺なんだけどさ、実はアイオリアってのも女の名前でね」「え? そりゃまた……しかし、何で、そんな名前を付けたんだよ」
 「知らなかったんだよ。六歳だったからなぁ、俺も。ただ、俺がアイオロスだから、韻を踏んだ感じでいいかなぁ、とか思ってさ」
 そうしたら、実は「アイオリア」は女の名前で──それを知った時のアイオリアの反応が想像できる。俺も……結構、ガキの頃から揶揄されたからな。勿論、黙ってはいなかったが。
 「初めて、知った時はムクれてたけど、でも、嫌だとかは言わなかったんだよ。何で、こんな名前付けたんだとか文句の一つも覚悟してたんだけどさ」
 アイオロスは不思議がっていたが、後でミロに聞いたところでは「兄が自分のために考えてくれた名前だから大事にしていた」そうだ。
 「思えば、アイオロスがアイオリアに残した数少ないものだったからな」
 小さく付け加えられた言葉の意味を俺が知るのはもっと先のことだったが。
  懐かしそうに微笑《わら》うアイオロスだが、それも全て昔話だ。今、彼の前にいるのは愛した弟ではなく、似てはいても他人の俺で──アイオロスより七歳年下なら、アイオリアは二十歳そこそこで他界したことになる。そんな若さで逝ったことを思うと、やはり暗い気持ちになる。会うことのなかったアイオリア──ただ、冥福を祈るばかりだ。
 4 6 
 
 前章より半年ほどを経て、大分、親しくなったローロス(リアロスだと、区別がややしこいから)のお二人さんでした。
 そして、衝撃の真実!? いや、きっと疾うにバレてたでしょうが、この話に於いては『アイオリアは甦らなかった』のでした。……お気にキャラだけど、死なせるっての結構、やるんだよな、輝は。あ、何も投げないで下さい;;;
 2007.11.10.   
 
 |