星の影から


 アイオロスたちがN.Y.に来て、時間が取れれば、会うのは習慣のようになっていた。N.Y.を中心に、いいトコ国内を移動するのが精々な俺には、世界中を飛び回っている彼らの話を聞くのが楽しみだった。
 そして、知らず知らず、運命の輪とやらは再び廻る刻を迎える。

「え、ギリシャ?」
「あぁ。一度、来てみないか。アテネの観光案内くらいならするぞ」
「アテネかぁ。いいなぁ。オリンピックの時、テレビで見たけど、如何にも神話の時代を思わせる遺跡が普通に市街にあるんだよな。過去と未来が共有されてるって感じは我がアメリカにはないからな」
「まぁ、アメリカは若い国だからな」
 建国から二百年……。ギリシャやらヨーロッパ諸国に比べれば、若いどころか赤ん坊みたいなもんだろう。
 今でこそ、強大国と成り上がりはしたが、若さ故に力に溺れて、粋がっているようにしか見えないのかもしれない。実際、歴史の浅さがアメリカ人のコンプレックスだったりもするのだ。
「俺の御先祖もあちゃら辺りの出身なのかな」
「分からないのか?」
「あぁ。多分に漏れず、移民してきたわけだからな。でも、かなり昔の話で、出身も全く伝わっていないんだ。名前も特有ってわけじゃないしな」
 如何にも何処其処出身と判別可能な先祖の名を代々、大事に受け継いでいる家もあるが、ロー家はそうではない。英語名ではあるが、もしかしたら、こちらに渡ってきてから、適当に付けたのかもしれない。大体、意味が『獣の吠え声』などという辺り、誰が考えたんだと御先祖に問いたくなる。
 そう言うと、アイオロスに笑われた。
「俺は良いセンスだと思うがな。獣の吠え声って、大型獣限定の咆哮だろ? 虎とか豹とか…、ライオンとか。格好好いじゃないか」
「そうかねぇ」
 気のない相槌にアイオロスは肩を竦めた。
「でもまぁ、見かけからすると、案外に近いかもな」
「だろう? まぁ、混血もしているだろうから、何ともいえんけどな。ただ、今までは自分のルーツなんて、気にしたこともなかったのにさ」
 生粋のギリシャっ子だというアイオロス・アイオリアの兄弟に似ているのだから、その辺かな? くらいに思ってもいいだろう。何となく、想像するだけで楽しい気分になれる。

「そういや、有休も滅多に取らんから、結構、溜まってるだろうなぁ」
「消化しないと消えちまうんじゃないのか」
「既に何年か分は消えてるよ。しかし、国外となると、二、三日ってわけにはいかんしな」
 パスポート何処仕舞ったっけ、とかボンヤリと考える辺りは大分、心を動かされている。
「まぁ、その気になったら、声をかけてくれ。日程も合わせて、観光案内するからさ」
 無理強いしないでくれるが、もう一寸、押してくれてもいいとも思うのは自分でも勝手なもんだ。結構、その気になりかけているからこそ、後一押しをして貰いたいのかもしれない。
 しかし、その一押しをジャックにと、チラとでも考えたのは間違いだった。
「ハ? ギリシャ? いや、行ったことはないが……何だ、行くのか」
「いや、まだ決まったわけじゃないけど」
「オリンピックは疾うの昔に終わっとるぞ。しかし、何でまた」
「あぁ、アイオロスに誘われて──」
「また、アイオロス様か」
「ジャック、そのワザとらしく“様”付けするのは止めてくれ」
「ハイハイ。しっかし、遂にお国への旅のお誘いときたか。マジにヤバいんじゃ」
「ジャック。今度、その下らん与太話を持ち出したら、コンビ解消して貰うからな!」
「俺はお前さんの貞操を心配してだなぁ」
「しつこいぞっ!!」
 危うくコーヒーをぶちまけそうになった。
 しかし、結局、この馬鹿話が最後の一押しの決め手となった。よーし、ギリシャに行くぞ。んでもって、暫くはこの相棒ともおさらばだっ!!



 そして、ギリシャ。
「……暑いな」
 空も海も“碧”という印象が強い、眩い国だ。
「やっぱり、神話の国だな」
 ゼウスを筆頭に天空の神々の統べる国──美しい色合いがその形容に相応しいと思えた。
 そんなことを考えながら、降り立った空港ではアイオロスが待っているはずだ。でないと、マジに困る。右も左も言葉も解らん、土地勘もない国ではガイドは必須だ。
「リア!」
「アイオロス。良かったぁ」
 誘っておいて、来ないはずもないが、顔を見るまでは結構、不安だったりしたものだ。
「さて、とりあえずはホテルにチェックインして、今日、回れる所を案内するよ。あ、時差ボケは大丈夫か」
「大丈夫大丈夫。一日くらい、寝ずに済ますことなんて、未だに多いからな」
 適当に休みながら、保たせるようになっている。とはいえ、最近では昔のような無理が利かなくなってきたのも事実だが。
「じゃあ、夕飯までのスケジュールはバッチリ組んどいたからな」
 本番は明日からってことか。その辺も気を利かしてくれたわけだ。本当に頼もしい奴だよな。

 荷物を置き、身軽な格好でアイオロスにくっ付いていく。さすがな地元ッ子の解説を聞きながら、とにかく感心しきりだ。
 そんな姿はとても観光客には見えないだろう。アイオロスと並んでいると、地元の兄弟が散歩でもしているようにしか思われず、正真正銘の観光客に写真を撮ってくれ、と頼まれることもあり、二人で大笑いした。
 俺自身はカメラを持ってこなかったが……何故か、記念写真を残そうという気にならなかったのは不思議だ。その気になったら、出先で『UTSUSUNDESU☆』でも買えばいいか、とか思っていた。
 しかし、今のところ、その気にはならなかった。記憶にだけ留めようというのも、いいものだ。

「本当に、神話の時代と現在が混在しているんだな」
「今でも、そこらを掘れば、何かしらが出てくるからな。ローマの話だが、市庁舎の下では発掘調査が続いているそうだぞ」
「そりゃ、凄い。歴史ってのはそんなものなのか」
「時の上に、時を重ねているようなものだからな」
 アメリカではとても考えられない話だ。たかだか、建国二百年余りの我が国では、あるとすれば、先住民の遺構が一部で出るくらいだ。
 だからこそ、憧憬めいたものを感じもする。もしかしたら、俺の御先祖はこんな国の何処かで暮らしていたのかもしれない──そう考えるのは中々、楽しいことだった。
「そういや、アイオロスはギリシャの何処の生まれなんだ。このアテネか?」
「俺か。俺は──ネメアだ。判るか」
「あ〜。えーっと、ワインの産地?」
「おー。それ知ってるだけでも大したもんだよ」
 アイオロスは本当に驚いたように顔を輝かせた。
「いや、たまたま。ギリシャ行くって言ったら、ワイン好きの同僚が教えてくれた。何だっけ、ネメア・リザーヴを何としても、土産に持って帰れってさ。良いワインなのか?」
「まぁ、中々手に入れにくい逸品ではあるな。といって、バカみたいに高いわけでもないが」
 アイオロスは帰るまでに何とか入手できるように、ツテを当たってみると言ってくれた。
「そいつが熱く語るんだよ。今じゃ、ワイン大国はフランスやイタリアなんかだけど、そもそも、ワイン発祥の地はギリシャで──」
「嬉しいな。解ってくれている人もいるんだな」
 耳タコに聞かされたことを言うと、アイオロスは満面に破顔した。


 夕飯にありつきながら、話すこと自体はN.Y.で会う時と変わらないが、食事はギリシャ料理だし、確かにワインも美味い。
 そして、何よりも解放感が違った。数日間はこの楽しさが続くかと思えば、子どものように心が浮き立つ。明日は何処に連れていって貰えるのかと。
 日々にも仕事にも追われることのない、何とも優雅な時間だ。
 時間……反射的に時計を見ると、時差分を直していないことに今、気付く。今日は時間を気にすることもなかったためだろうか。
「えっと、ニュー・ヨークと何時間違うんだっけ」
 アイオロスに尋ねた時、彼の携帯に着信があったようだ。ポケットから取り出した時計を俺に渡しながら、チェックしている。同僚にもいるが、腕時計を嵌めるのが嫌いなタイプだった。
「一寸、失礼」
 完全オフとはならないらしいアイオロスは席を外した。
 時間合わせをして、残った料理をつつきながら、彼を待つが、中々戻ってこない。
「……遅いな」
 何れ戻ってくるのは解っていても、独り取り残されると不安にもなる。
 立ち上がり際に、弄んでいたアイオロスの時計をポケットに突っ込んだのは殆ど無意識だったろう。これが後に一つの転機の原因になるとも知らずに。
 テーブルを離れかけたところで、アイオロスが戻ってきた。
「どうした、リア。トイレか」
「あ、うん、まぁ」
 誤魔化し、トイレに向かう──独りになって、心細くなったとはさすがに言えなかった。


☆        ★        ☆        ★        ☆


 食事を終え、ホテルに戻ったところで、アイオロスと別れた。玄関口で、慌しく帰っていくアイオロスを見送る。さっきの連絡で、急用でもできたのだろうか。
「俺に時間を割いて貰って、大丈夫なのかな」
 何といっても、グラード財団総帥の側近だ。当然、このギリシャにもグラード財団の拠点となるべき場所はあるのだろうが……。
「余り聞いたことないなぁ」
 前に少し調べた時でも、重要拠点の中にギリシャはなかったはずだ。とはいえ、下部組織や連絡組織やらは世界中に点在しているのだから、不思議でも何でもない。況してや、アイオロス自身がギリシャ出身なのだから、その関係ということもあるだろう。
 何にせよ、特に疑問に思うことでもない──が、
「しまった」
 ホテルに入ったところで、ポケットに突っ込んだままの時計に今、気付いた。慌てて、外に出るが、今し方別れたばかりのアイオロスの姿はもう消えていた。
「う〜ん。まぁ、どうせ、明日も会うんだし」
 それまで預かっていればいいか。下手に出歩いて、妙なことに巻き込まれたり、迷いでもする方が余程マズい。
 時計をポケットに戻し、ホテルに戻ろうと振り返ったその瞬間、走ってきた子供とぶつかった。『うわっ』
「っと、大丈夫か」
 小柄なわりには中々、重い感触だった。だが、やはり小さい相手──少年の方が転びそうになるのを腕を掴んで、支えてやった。
「ソ、ソーリー」
 俺が咄嗟に喋った英語で返してくれた。といっても、エラく硬い発音で、簡単な挨拶くらいしか知らないのだろうと思えた。
 どうにも言葉が通じそうにはない。だから、俺は怒っていないと解らせようと笑って、少年を立たせてやった。
 顔を上げた少年と初めて、目が合う。
 俺は軽く首を傾げた。何となく、見覚えがあるような──黒っぽい焦げ茶の髪と瞳、東洋系の少年だ。何処で見たのか。人種の坩堝たるN.Y.の街角でだろうか。

 ハッとしたのは相手も同じだった。茫然と、大きな瞳を瞠って、俺を見上げる。
「どうした?」
 ゆっくりと発音すれば、片言でも通じるかもしれない。
 だが、暮れつつあるアテネの街角で、ただ少年は声もなく、俺を見上げるばかりだ。
「おい?」
「ア…、……リ、ア……」
「え?」
「──アイオリアッッ!!」
 少年は絶叫に近い声を上げ、俺に抱きついてきた。その名に、また間違えられたか、と合点がいく。此処はアイオロスだけでなく、アイオリアも過ごした地なのだろうから、知り合いがいたって、何の不思議もない。
 いや、不思議というよりは奇妙なことがある。
「アイオリア…、良かった。戻ってきたんだな!」
 グシャグシャに涙で顔を濡らし、喜んでいる少年。
 戻ってなどこないだろう。幾ら似ていたって、別人だとは思わず、死んだアイオリアが戻ってきたなどと思うのには些か危機感が生じる。
「いや、あの…、な」
「良かった。本当に良かった──」
 手放しで喜ばれても困るぞ。どうすりゃいいんだ。

 離れそうにない子供とホテルに戻るわけにもいかないが、突き放して、放り出すのはもっと危うい。そこで思い出したのは別れたばかりの友人だ。そうだ、アイオロスなら、何とかしてくれるに違いない。この子もアイオリアを知っているのなら、アイオロスとも知り合いかもしれない。
「アイオロスがどうかしたのか?」
 下から尋ねられ、仰天して見返す。俺は今、口に出していたか? しかし、思った通り、知り合いのようなのは好都合だ。
「いや…。君、アイオロスの居場所は判るのか」
「何言ってんだよ。アイオロスなら、聖域《サンクチュアリ》に決まってんだろう」
「サンクチュアリ? 君もそこに行くのか」
「何だよ、君って。俺、星矢だよ。忘れちまったのか、アイオリア。それとも、やっぱり甦りの後遺症とかなのか」
 おいおい、甦りって──愈々、ヤバいぞ、この子。やはり放り出すわけにはいかない。早くアイオロスに会って、引き渡さないと。
「あぁ、セイヤ…だったな。で、サンクチュアリに帰るのなら、一緒に行くか」
「当ったり前だよ! まだ戻ってなかったのか? じゃ、皆驚くぞ」
 そりゃ、驚くだろうな。とは思ったが、口にはしなかった。

 そして、余りに不可解な成行に、俺は全く気付けなかった。恐らく、互いの言葉を解さないはずの俺たちが何事もなく、意思の疎通を果たしていたことに──……。

 



 『リア君、ギリシャに行く』の章。リア君、海外旅行を満喫、楽しんでおります。そして、『偶然?星矢と遭遇』の章でもあります。起承転結でいうなら、『転の章』ですね★
 この話では『名前の意味』も結構、考えました。語感や音の響きだけで付ける時もあるけど、今回は語感と意味と両方をね。『名は体を表す』──実際あると思いますし。「星矢」と「セイヤ」もかなり違う。これは漢字を持っているからこその感覚かもしれませんね。漢字の意味で、同じ読みでも意味が変わる。例えば、「星矢」と「聖夜」だと全く違う。
 今はリア君も耳で聞いているだけだから、「セイヤ」なんだけど。それは「セイント」や「クロス」も同じことです。「聖域」──サンクチュアリは一般にも通用するので、理解できるわけです。
 
尤も、『名前に意味を持たせすぎる』ほどの考えではないので、『その程度』と受け取って下さい。(とはいえ、星矢に『矢』の字があるのは、射手座生まれで、その黄金聖衣も何度か纏うことを示唆していたのかな)
 ロスリア兄弟がネメア出身──には今のトコ、さしたる意味はなし^^;;; またワイン・ネタを絡ませたかっただけ?

2007.11.20.

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