星の影から


「そう、貴方は運命に導かれたのです。獅子座《レオ》の宿星《ほし》の下に──」
「レオ? そりゃ、確かに俺は獅子座の生まれですが」
 そんな人間はごまんといるだろうに。だが、その瞬間、周囲の者の殆どに動揺が走った。
「レオ? まさか。では、あの者が」
「獅子座の黄金聖闘士だというのか」
「次代がアイオリア様に瓜二つなど──まるで呪いではないか」
 色々と好き勝手に言ってくれるが、挙句に呪いとは何だ。誰に似ていようと、俺は俺だ。大体、俺はアイオリアどころかアイオロスよりも年上だぞ。順番からいえば、彼らの方が俺に似ているんだ。とやかく言われる筋合いは全くない。
 どうでもいいような方向に腹を立てかけたが、彼らは今『レオのゴールドセイント』とか言った。セイントといえば、例の『銀河戦争』でセンセーショナルに、正しく彗星の如く登場した少年戦士たちだ。
 彼らは確かブロンズセイントで、彼らのブロンズクロスの上位に当たるのが優勝者に贈られるはずだったゴールドクロスだった。ブロンズだのゴールドだの、メダルじゃあるまいし……そう考えれば、シルバーもあるのか?
 いや、あの『銀河戦争』はグラード財団によるショーだったとアイオロスは言ったじゃないか。
 待てよ。『銀河戦争』のブロンズセイント? 脳裏に閃いた光景に、俺は思わず声を上げた。
「そうか! セイヤ、君は──どこかで見たことがあると思ったら、君、ペガサスだろう」
「え……」
 まだ真赤に泣き腫らした目をパチパチと瞬かせている。
「え…と、見てたの」
「そりゃあ、テレビ持ってる奴なら、一度は見ただろう。あれだけ派手にやってたんだからな」
 そうして、アイオロスを見返す。
「でも、あれはショーだった。アイオロス、そう言ったよな?」
「あ、あぁ」
「セイントもクロスも、グラード財団が用意したものだった。そうじゃなかったか」
「………」
 とうとう、アイオロスも黙ってしまった。ミロやムウもいつになく、寡黙だ。そればかりか、周囲の者たちも不自然なほどに息を詰めている。その緊張に、嘆息するしかない。

 俺はキド総帥を見返した。アテナだという少女を。
「貴方は、その説明で納得した下さいましたか」
 逆に問われたことに意表を疲れた。
「本当は納得などしていなかった。違いますか」
「別に…。大体、あれはジャックが言い出したことで……私はそれほど引っかかっていたわけではありませんよ」
「でも、一緒に来られた。キャット捜査官を止めずにね。何故ですか」
 まさか、夢のことを話すわけにもいかない。今正に、相対している彼女自身に興味があったなどとは──。だが、澄んだ眼差しが微かに眇められ、息を詰める。
「何かありましたね。グラード財団に関わること。いいえ──この私に関わることが」
「──っ!」
 本当は何もかも見透かされているのか? 必要以上に狼狽えてしまった。下手なことを言うと墓穴を掘りそうなので、黙り込むしかない。尤も、そんな態度が彼女には答えを与えたようだ。

 たかだか、十代半ばの少女がまるで──何といえばいいのだろう。年など、全く無意味な存在のように感じられてならない。恐ろしく高みから見下ろされているようで、寒気すら覚える。
 アテナと呼ばれる少女。オリュンポス十二神の戦女神アテナ。まさか、本当に現人神《あらひとがみ》でもあるまいが。


☆        ★        ☆        ★        ☆


「リア。君は黄金聖衣も見ていたはずな」
 アイオロスが話しかけてくれたのは幸いだった。これ以上、まともにキド総帥と話せそうにはない。視線も逸らしてしまうが、少女の眼差しは俺に向けられたままだとは解った。
「ゴールドクロスか。途中でフェニックスに奪われた奴だろう。テレビでは見たぞ」
「あれは、射手座の黄金聖衣。多少は形に細工してはあったが、黄金聖衣は人によって、作られた存在《もの》ではない。そういう聖衣もあるにはあるが、黄金聖衣は違う。人の手で成し得るものではないんだ」
「それじゃ……」
「銀河戦争の前に記者団に説明された、そのままだ。神話の時代より受け継がれし聖衣。正しく、神の御業によって生み出され、鍛えられた存在。そして──」
 パアッと、いきなり光が炸裂した。深まる闇を再び真白に染めるような、既に落ちたはずの陽が戻ったような輝きに目が眩む。
 やがて、その光も鎮まり、瞼の裏で光の残滓がチラつく視野の中で、変わらず前にはアイオロスが立っていたが、その姿は!?
「な……」
 驚きの余り、声も出ない。そういう状態になったのは多分、初めてだ。

「射手座の黄金聖衣は俺の聖衣《もの》だ。射手座のアイオロス。それが此処での俺の銘だ」
 夜空の下でも灯りを反射して、キラキラ輝く金色の鎧。大きな翼を背に広げた黄金聖衣は映像で見るのとは全く違う。確かに神々しいとまで感じられ、『神の御業で鍛えられた』というのも、すんなり信じてしまいそうだ。
 しかも、その金の鎧を身に着けたのはアイオロスだけではなくて……。
「ミロ、ムウ」
「俺は蠍座のミロだ」
「牡羊座のムウです。納得して頂けましたか」
「納得って──」
 展開に理解が追いつかない。オマケに、
「彼らばかりではありません。お気付きですか。黄金聖衣の星座を」
 前に、冗談交じりにアイオロスと話したことをボンヤリと思い出す。
「……黄道十二星座《ゾディアック》
「そうです。彼らもまた──」
 示された方には教皇と思しき人物が。その背後に揃っていたのは、数々の金の鎧を、黄金聖衣を纏った者たちだ。その数は……。
「一人、足りない?」
「黄金聖衣は十二体。その主たる黄金聖闘士も十二人。ですが、今、この聖域では一体の主が欠けております」
「まさか……」
 さっき言っていた、獅子座の星がどうのとか。まさか、冗談!?
「冗談ではありません。リアステッド・ロー。貴方こそが、当代の獅子座の黄金聖闘士。その獅子座の黄金聖衣の主なのです」
「え?」
 突然、背後に湧き上がった熱い脈動に戦慄すら覚える。
 振り向いてはいけない。振り向けば、本当に後戻りができなくなる。
 そんな予感があったのに──振り向かずにいられないのも事実だった。
 それほどに、まるで渦巻く歓喜に身を焦がすような、熱い脈動が酷く懐かしく思えて……。

GOLD LION

 疾走する黄金のライオンがまるで、俺に飛びかかろうとしているかのように、そこに在った。

 周囲からどよめきが上がったが、気にする余裕などあるわけがない。吸い寄せられるように、黄金のライオンから視線が外せない。
「獅子座の黄金聖衣。貴方のものです、リアステッド・ロー」
 宣言するかのような少女の声も遠くなる。
 再び光が散った。
 反射的に目を閉じたが──その刹那、心臓を鷲掴みでもされたかのような激痛が走った。



「ぐっ…!?」
 堪らず、膝をついてしまう。
「リアステッド!」
「待て、ミロ。手を出すな」
「そうです。これも試練なのです」
 外野の勝手な会話も右から左へと抜けていく。
 心臓だけではない。どこもかしこもが痛い。何だ、これは。思考も覚束無くなる中、地を掴む手が黄金の鎧に包まれているのを、ボンヤリと認識する。
 その上、体の中から凄まじい熱が湧き起こってくる。己が自身を焼き尽くすような熱さが!!
 己が身を抱き締めても、痛みも熱も引くどころか、尚深く俺を苛む。
「うわああぁぁっっ!!」
 喉をつく絶叫すら、遠い。何かが弾け、周囲では悲鳴も上がったようだが、とても気など回らない。
 何が自分自身に起こっているのかも解らない。だから、恐ろしくて堪らなかった。
 そうして、視界はブラックアウトした。



 三十年、俺はこの上なく現実的な世界で生きてきた。アメリカで生まれ、育ち、長じてはFBI捜査官になって──不可思議な世界など全く無縁に暮らしてきたのに、いきなり何だ?

『それこそが、運命かもしれません』

 彼方で響く『声』は誰のものだ。サオリ・キドか? だが、運命なんて不確かなものに翻弄されるのは真っ平だ。勝手なことを言わないでほしい。

 深遠の闇の中、不意に光が生じた。まるで『創世記』のようだ。光そのものに、やはりヒトは安堵し、そんな連想をする余裕も生まれるのか。
 安んじてくれる光は次第に強まり、近付いてくるようだ。やがて、その光そのものが人型をなした。光の中にいたのか、光から生まれたのか? いや、そうではなく、
「……鏡?」
 痛みの余りに幻覚を見ているのか。そこにはもう一人の俺がいた。獅子座の黄金聖衣を纏った俺が──もう狼狽えるしかない。良い歳をした大の男がヒーローごっこでもあるまいし、そんな格好をするなんて!!
 だが、赤くも青くもなっているはずの俺と違って、鏡の中の俺は酷く落ち着いた様子で、こちらを見返している。
 その瞬間、初めて微かな違和感を覚えた。
「まさか…、アイオリアなのか? 君が」
 鏡の中の俺──いや、伝え聞いていたアイオロスの弟アイオリアは微笑んだ。

 そっと両手を俺の方へと差し出してくる。そこには、あの輝きがあった。
「受け取れと言うのか」
 問うても、アイオリアは何一つ語らず、ただ大事そうに携える星の如き輝きを俺に渡そうとしていた。
「そんな……、困る。困るよ」
 どうしろと言うんだ。どうすればいいんだ。途方にくれるだけの俺は指先一つ動かせず、闇の中で立ち竦むばかりだ。
 動こうとしない俺に、アイオリアが悲しそうな顔をした。そんな顔をされても──!
 その星…、それが獅子座の宿星とやらか? 受け取れば、俺は獅子座の黄金聖闘士になるのか? そんな簡単なものなのか。だって、聖闘士は戦士なんだろう。だったら!
「俺に、あんな風に戦えるわけが、ないじゃないか」
 『銀河戦争』が特殊効果でも何でもなく、真実、聖闘士同士の闘いだったのなら、今日まで三十年近く普通に生きてきた俺に、戦えるわけがないんだ。

『……それでも、この星は貴方の上にある』
 初めて、アイオリアが口を開いた。
『もう…、これは俺のものではない。貴方の、ものだ』
『戦いだけが、聖闘士の在り様ではない。それを示すのが、貴方なのかもしれない』
『さぁ、恐れずに、ありのままで、構わないから……』
 俺と同じ色の瞳が真直ぐに俺を射抜く。
『この星を…、獅子座の星を、どうか、見捨てないで』

 振り払うには余りにも真摯な願いに引きずられたのか。俺はそろそろと手を差し出していた。 
 フワリと星が舞う。重さなど、まるで感じさせずにキラキラと輝きの残滓を散らせながら、漂う。アイオリアから、俺の元へと──……!
 同時にアイオリアを包んでいた光が弾け飛び、俺に纏わりついた。その中で、身動き一つできない俺から、アイオリアが離れていく。
「アイオリア!!」
 鏡を見るかに、俺とそっくりの青年は──だが、俺とは全く違う淋しげな微笑を残し、消えた。


☆        ★        ☆        ★        ☆


 バチッと何かが大きく爆ぜたのが判った。体の内にうねる大きな力の波に抗えない。
「うわあああぁぁぁっっっ」
 自分の叫びが、他者の悲鳴のように響いていた。
「リアステッド!」
「ミロ、堪えろ」
「放っておくのか、アイオロス! このままじゃ、リアステッドがっ。精神崩壊しちまうぞっっ」
「ミロ、落ち着きなさい」
「落ち着いてなどいられるか!」
「待て、ミロ。駄目だ。下手なことをすれば、却って──」
「貴方も小宇宙の暴走に引きずられたら、どうするのです。止めなさい」

 小宇宙の、暴走? この熱さが『小宇宙』だというのか。それが暴走……力の制御も出来ずに、勝手に湧き上がっているのか? この聖衣のせいで!?

『聖衣は聖闘士の力を増幅もする』

 『銀河戦争』の際に、そんな説明がされていなかったか? あれが真実なら、これは全て聖衣の、せい!?

「信じろ! 彼を──彼は、我々の獅子座なんだぞ」
「だがっ」
「レ…オ?」
 それが、あの星か。
 俺の呟きを聞き止めた彼らが諍いを止め、揃って、注意を向けてきたのが判った。
 彼らだけじゃない。周囲に在る全ての人間の目が俺に──それが、判る。
 何だ、この感覚は。妙に冴え渡っている。後ろに目があるような、との喩えそのもののようだ。冴えた感覚が捕えたのは期待と不安と、そして、滲み渡る不審。
 その全てが無意味に思えた。
 星の運命《さだめ》だ? そんな不確かなものに、振り回されて堪るかっ!!

 その瞬間、光が弾け飛んだ。
 俺を苛み続けた痛みは尾を引いたが、少なくとも、あの熱さは次第に薄れていく。
 俺は四つん這いの格好で、荒い息を何とか整えようとしていた。掠れも甦りつつある視界に映る手は──素手のままだ。金の籠手など、つけてはいなかった。

 



 『リア君、黄金のライオンに襲われる』……もとい、『獅子座の黄金聖衣と遭遇』の章。緊迫しております! 最後はつけてないし、どうなる次章!?
 また、『二人のリアめぐり合い?』も果たしました。でも、三十間近であの格好、はやはし恥ずかしいと思う。アイオロスだって、もう……ねぇ? 慣れって怖いな★

2007.12.10.

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