星の影から
9 「……獅子座の黄金聖衣が、離れた?」 「拒否したってことか」 「そうだ。受け入れられなかったんだ」 「幾らアイオリア様に似ているからって、修行の欠片もしていない奴なぞが黄金聖闘士であるはずがない」 「黄金聖闘士は至高の存在だ。それも道理さ」 勝手な言葉が相変わらず、飛び交っている。まぁ、好きに言っていればいい。あんなモンに、受け入れられたいとも認められたいとも全く思わない。 そう言ってやりたくて、やっと顔を上げた俺は──蒼白な顔のアイオロスたちに言葉ごと息を呑んだ。だが、冷静に表情を繕ったアイオロスが歩み寄ってくる。 「大丈夫か、リア」 確めるように問うてくるが、試練だの何だのと放り出しておいて、よく言うぜ。 繕っているとはいえ、その冷静さが腹立たしい。支えようとしてくれた手を反射的に弾く。 「リア……」 「結局、眼鏡違いだったな。その獅子座の黄金聖衣とやらは俺を、お気に召さなかったようだ」 「それは──」 「正解だ。俺は…、俺に正義の味方なんて、務まらんよ」 フラつきながら、立ち上がる。痛みと熱はやっと去ったが、酷く気怠い。 体中が悲鳴を上げるなんて、初めてだ。休息を願っているのが解るが、こんな処に長居するのも御免だ。多分、このまま取り込まれかねないのが怖かったのだろうが。 「失礼、する」 「リアステッド・ロー」 キド総帥の声も冷静だったが、微かに…、本当に微かに震えているようだ。何故…? いや、どうでもいい。もう気にしたりはしない。 「他言無用に、ですか? 誰にも言いやしませんよ。というより、言ったところで、誰も信じんでしょうが」 当事者でなければ、俺も疑うに決まっている。グラード財団のサオリ・キド総帥が『聖域のアテナ』だ? 何の遊びだ。
キド総帥は俺を止めようとはしなかった。ただ、アイオロスを見遣る。 「送ろう」 「結構だ。一人で帰れる」 「しかし、迷いかねないぞ」 「迷っても構わん。一晩中、歩いたっていいさ。とにかく、これ以上、あんたらと関わりたくないんだよ」 俺の強い言葉にアイオロスが傷付いたように顔を歪めた。今更、何だ。そんな顔したって! あんたは結局、俺を騙していたんだろうが。 「普通の、ただの、友人か。……残念だよ、アイオロス。やっぱり、裏があったんだな」 「違う、リア」 「もう、リアと呼ぶなっ。そうやって、弟を呼んでいたんじゃないのか」 「──ッッ!?」 アイオロスが更に蒼褪めた。それが図星だったのかどうか……いや、多分、間違いない。重ねてはいなかったと言われても、もう信じられない。 悔しさの余り、危うく泣きそうになった。 「俺はアイオリアじゃない。あんたの弟じゃないんだっ」 ここまで言うつもりはなかったはずなのに──それほどに悔しかった。好い友人だと、思っていたのに!? 静まり返る連中に背を向け、歩き出しかけた。その時だ。辛うじて、声を上げ、俺を止めた者がいた。 「ま、待って! 待ってくれ!!」 縋りついてきたのは、セイヤだった。 「離せ」 「誤解だっ。誤解なんだよ。俺が悪いんだ。俺が勘違いして、アイオリアだと思い込んで──あんたを此処に連れてきちまったから……。でも、アイオロスたちはそんなつもりじゃなかったんだ。いつか、その時がくるにしても、もっと時間を置いて、ちゃんと説明して……。こんな不意打ちみたいな真似、沙織さんもアイオロスも絶対にしないんだ。騙すつもりなんて、なかったんだよ、本当に! 信じてくれっ」 「セイヤ…」 「星矢、いいんだ」 「よくないよ! 俺のせいで、あんたたちが喧嘩別れだなんて──。だって、アイオリアだって、俺が…、俺が──!!」 ボロボロと涙を零しながら、必死に言い募るセイヤに、一瞬、闇の中で光を俺に齎したアイオリアを思い浮かべる。どこか淋しそうな、悲しそうな微笑を残していった彼とセイヤにも何かがあるのか? そういえば、冥界がどうのとかも言っていたが、まさか、あれも現実だってのか。 「よせ、星矢。アイオリアのことはお前のせいじゃない」 「でも…、でも、アイオロス」 「もういい。解ったから」 さすがに演技とは思えない愁嘆場に、少しだけ落ち着かされた。 「全部、偶然だ。それとも、必然か。あぁ…、アテナ。貴方なら、それこそが運命と言うのかな」 「…………」 皮肉に返される言葉はなかった。 「だとしたら、結構、残酷なもんだな」 掴まれていたセイヤの腕をそっと外させる。そして、背を向ける。 キイィィン…… 何かが響いた。キド総帥の足下に留まっている黄金のライオンが震えて、響きを発している。まるでライオンの鳴き声のようだ。 俺を止めようとしているのか。だが、お前は俺を拒否したんだろう? 他の主人を探せよ。 振り返らず、今度こそ歩き出した。 波が引くように、戸惑う人々の壁が割れて、道ができた。追ってくる者はいなかった。 不思議なことに、俺には外へと向かうべき道が朧気ながらにも見えた。暗闇の中に仄かに光を発するように……。 訳の解らない運命とやらに迷い込んだ俺を誘うように──だが、それがはっきり見えた時、その運命とやらは不確かなものではなく、定まるのだろうか。 立ち止まり、空を見上げる。星の導き、星座の宿星? そんなものがあるのか、本当に。 「…………あるのかも、しれないな」 身の内に疼く熾火《おきび》のような熱の名残りが、何なのか。知るのが、認めるのが怖かっただけなのかもしれない。 向こうで、まだライオンが鳴いている。愈々、大きくなり、重厚で荘厳なオーケストラの演奏のように、響き渡っている。 それは黄金のライオン──獅子座の黄金聖衣だけでなく、アイオロスたちが纏っていた他の十一体の黄金聖衣が主を呼び求める獅子座の黄金聖衣に共鳴し始めたためだったが、勿論、そんなことは俺は知らなかった。 置き去りにされ、悲嘆に暮れていた獅子座の黄金聖衣をアテナ──キド総帥が優しく宥めたことも。 「嘆くことはありませんよ、レオ。貴方の主は、必ず貴方の元に戻ってきてくれます。……必ず」 勝手に請け負わないでほしいが、獅子座の黄金聖衣はピタリと鳴くのをやめたという。
朝の目覚めは最悪だった。まだ時差ボケか? そんなに昨日、はしゃぎ回ったっけ? ボンヤリとそんなことを考えながら、ベッドで寝返りを打つ。 「……いつ、寝たっけ」 というか、いつ、部屋に戻ったんだ。思い出そうとして、あの夢のような……いや、悪夢のような出来事が思い起こされる。 酷い目に遭った。体中がまだ軋んでいるのも無理はない。だが、とりあえず無事にホテルに戻っているのには安堵した。その辺の記憶が飛んでいるのは仕方がないが。 フロントにさり気なく確認すると、昨夜の10時くらいだと明瞭な答えが返ってきた。アイオロスと別れたのが7時前だった。その後、直ぐにホテルを出て、セイヤと会い──……。 「空白の三時間、か」 隔絶したような世界に見えたが、あの『聖域』はやはり、このアテナの直ぐ近くにあるわけか。 あれが本当に、夢でなかったのなら、だが。
それにしても、今日はどうするか。アイオロスが案内してくれるはずだったが、昨日の今日じゃな。殆ど絶好宣言紛いのことを口走った覚えもある。 勿論、あれが夢でなければ、だが。 「獅子座の黄金聖闘士か」 それが俺だって? いや、あり得ない。あれは夢だっ。 俺は無理矢理、思考を切り替えた。予定では一週間は滞在することになっているが、案内は全てアイオロスに任せるつもりだった。 だが、どうするか。夢なら夢で、何もなかったように──それも無理かな。 適当に独りで回るのもいいかもしれないな。 昨日までは独りで異郷の地にいることが不安で怖くもあったが、非常識な体験をしたせいか、妙な度胸がついたのかもしれない。言葉に対する不安さえ、消えていることには、俺は気付けなかったが……。 ピピピ…… 物思いを破る電子音は、こちらでの連絡用にとアイオロスから渡されていた携帯だった。掛けてくるのはアイオロスかミロくらいだろう。 少しばかり迷ったが、根気強く鳴らされる着信音に息をついた。 「──ハイ」 『良かった。出てくれたか』 「あぁ、まぁ…、な」 アイオロスの声には本物の安堵が籠もっていた。少なくとも、今だけは演技ではない。 「何だ?」 『いや…。今日の約束をどうするのかと思ってな』 約束とは観光案内のことか。わざわざ確認するとはアイオロスらしいが、 「その言い方だと、昨夜のことを夢で済ませるつもりはないんだな」 『どう頑張っても、現実だからな。君が信じようと信じまいと……君が、獅子座の黄金聖闘士であることも現実だ』 とんでもないことをサラリと言ってくれる。しかも、電話口でかよ! いや、面と向かっていないから言えるのか。 「しかし、あの聖衣は俺を否定しただろう」 『違う。拒絶したのは君の方だ。聖衣は離れろという君の命に従っただけだ。つまり、君が主だという証でもある』 「どうだか。物は言い様だな」 吐き捨てるように言うと、電話の向こうで小さく嘆息された。何だか、俺が悪いみたいじゃないか。 『やめよう。今、言い争っても仕方がない。で、約束はどうする』 「今は鏡だって、見たくない気分なんだがな」 『……解ったよ。それじゃ、キャンセルだな』 俺の嫌味に確かにアイオロスの声が沈んだ。チリと胸の奥が痛む。僅かだけどな! 「だが、アテネまで来て、観光が半日だけじゃ、何しに来たんだか分からん」 『リア…、リアステッド』 リアと呼ぶなと言ったのが効いているらしい。律儀に俺の名を言い直すアイオロスに、譲歩してやる気になった。 「約束通りに来てくれよ。ガイドがいなきゃ、右も左も分からん」 『本当に、良いのか』 「良いも悪いもないよ。待ってるからな」 『あぁ──』 アイオロスが何か言いたそうだったが、俺は「それじゃ」と通話を切った。 ツーツーという無機質な音が酷く冷たく聞こえる。俺でさえがそう感じたのだから、切られたアイオロスは今、どんな思いをしているんだろう。 大事な友人と思っていたのに、裏切られたような気がして、許せないと思った。軽い意趣返しくらいしたところで、気なぞ済むまいが──いざ、やってみると、また胸がチリチリと痛んだ。 「クソッ」 ポンと携帯をベッドに放り出し、俺も寝転がった。 一生の思い出になる楽しい観光旅行になるはずが何て様だ。 「……まぁ、一生、記憶に残ることは間違いないがな」 目を閉じると、金色の輝きが瞼の裏に瞬き、俺は唇を噛んだ。 ☆ ★ ☆ ★ ☆
約束の時間に、アイオロスはやってきた。適当に挨拶を交わしたが、どうにも互いにぎこちない。直ぐに観光となるが──やはり、何も知らなかった昨日のようなわけにはいかなかった。 景色を楽しみ、歴史を感じる──そんな余裕もない。アイオロスの説明も上滑りして、抜けていく。見ているようで、俺は目に見える何も見ていなかったのかもしれない。 古代の遺跡に重なるのは、今も息づく『聖域』の佇まいで、その度に脳裏に閃くのは少女の面影と金色のライオンだった。
「リアステッド、疲れたか。体は大丈夫なのか」 気が乗らない様子の俺をアイオロスが気遣ってくれたが、気分はささくれる一方だ。 「最初に聞けよ。そういうことは」 「あ、あぁ、スマン。小宇宙は安定しているから、つい」 「……便利だな。小宇宙とやらで、何でも判るのか」 「何でもというわけではないが、相手の調子なら、下手をすれば本人よりも判る」 「ハァン。だったら、大丈夫も何も、聞くまでもないだろう」 「リアステッド……」 思い惑うようなアイオロスが癇に障る。あんたは何でも自信ありげで、もっと堂々としていただろうに! だが、そのアイオロスがそこまで対応に困るほど、俺が聖域まで入り込んでしまったのは予想外のことだったんだろう。「誤解だ」というセイヤの言葉は確かに真実なのかもしれない。 隠していたことがあったとしても、「君は聖域の黄金聖闘士だ」だなんて、いきなり言われて、信じるわけがない。だから、様子を見ていただろうとは解る。 解るが、理性では理解はできても、感情が納得しないことはあるだろう。 「食事に、しないか」 「……あぁ」 楽しい時間には程遠かった。折角の料理も砂を噛んでいるようで、味も判らない有様だ。やはり、明日からは独りで回るしかないか。それとも、もうアメリカに帰ろうか。そんな俺の迷いを察したのだろう。 「リアステッド。聞きたくはないかもしれないが、もう一度、話を聞いてくれないか」 俺は返事をしなかった。ただ、店の外のギリシャの街並みを眺めながら、アイオロスの言葉を待つ。そう…、待っていた。聞きたくはなかったが、聞かないわけにもいかないことも解っていたんだ。 「此処ではなんだ。出よう」 席を立つアイオロスに、俺は従った。 . 連れていかれたのは小さな遺跡だった。崩れた神殿だろうか。余り有名でもないのか、俺たち以外に訪れている者の姿はなかった。 「これもパルテノンなんだがな」 「パルテノン神殿?」 「アクロポリスの神殿の固有名詞というわけじゃないんだ。栄光なるアテナ《パラス・アテナ》を祀った神殿、だからな」 「知恵と芸術と、そして、戦いを司る女神アテナ、か。それがサオリ・キドだと? 現人神か」 「その通りだ。彼女は今の世に降臨された我らが女神アテナだ」 大真面目なアイオロスに俺は絶句するしかない。 「聖域はそのアテナの御名の下に、世界の平和と安寧を護るために在る。神話の時代から、永き時に渡ってな」 「……信じられるか」 「信じる信じないの話ではない。君にはもう、解っているはずだ」 あの獅子座の黄金聖衣を纏った時に、全て──……! 聖衣が持つ記憶が流れ込んできた。全く便利なものだ。神話の時代から存在する聖衣……本気にしてしまいそうなほどに現実離れした知識の洪水だった。
「電話でも言ったが、君が信じまいと認めまいと、君が獅子座の黄金聖闘士であることは定まったことだ」 あっさりと言ってくれる。 「リアステッド、これは重要なことだ」 「聖域にとって、か」 「それは…。勿論、そうだが、君自身の問題が一番、大きい」 「問題だ?」 「小宇宙だ。君は、獅子座の小宇宙に目覚めた。自分でも身の内の変化には気付いていると思うが」 あの灼けつくような熱さの源か。 「今は安定しているが、制御の方法を学ばないと……」 「どうなる?」 「……破滅、だ」 さすがに怯んだ。殆ど無理矢理目覚めさせておいて、破滅はないだろう。 「今は安定しているのなら、下手な刺激をせずに、そっとしておいた方が良いんじゃないのか」「安定しているのは君が此処にいるからだ。アテナの御膝元たる、このアテネに」 そういえば、アテネそのものがパラス・アテナに捧げられた古代ポリスに始まる町だったか。 アテナの守護の下だから、安定している? なら、アテネを出たら、アメリカに帰ったら? 「不安定になるのは目に見えている。制御を失った小宇宙を鎮める術を、君は知らないだろう」 「でも、昨夜は」 「あれは獅子座の黄金聖衣の援けがあったからだ。初めて聖衣を装着する時は暴走が起きやすい。訓練された聖闘士候補生でさえもな」 顔が引きつるようなことを平然と言うな。それを何の訓練も受けていない俺に、いきなり着けさせたのか。「試練」とか言って! 「スマン。だが、俺たちが着けさせたわけじゃない。そんなことはアテナでさえ、無理だ。主を選ぶのは聖衣のみ。そして、獅子座の黄金聖衣が君を選んだ。そういうことだ」 それもまた、現実か。忌々しいほどに、非情なくらいに逃れようのない、俺の現実なのか。 8 10
中身は平凡な普通の人リア君──大パニック状態です。こんな目に遭ったら、そりゃ、受け容れられないよなぁ。とか思いつつ、置き去りにされた獅子座の黄金聖衣が不憫でTT パラス・アテナはアテナの異称です。『亡き親友の名を冠した』とか、『処女神アテナの源流となる女神の配偶神の名残り』とか諸説あります。前にどっかで『栄光なるアテナの意』と読んだ覚えがあるものの、再確認はできず──輝の勘違いかもしれませんが、使っちゃいました^^ 『パルテノン神殿が他にもある』というのも勿論、輝の創作です。ただ、アテナを主祭神としたアテネ(古代ポリス名はアテナイね☆)ですから、他にアテナの神殿があっても不思議じゃないと思うんだけど──実際、行ったわけじゃないからなぁ。其処彼処に小さな御社が点在している日本のイメージが強いのかなぁ。 さて、物語の方は、暫くはローロスの会話が続きます。
2007.12.20. |