星の影から

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「じゃあ、どうしろと言うんだ。まさか、アメリカに帰るなと」
「そこまでは……。いや、できれば、その方が君のためにもなるが」
「結局、それが本音か。やっぱり、黄金聖闘士が必要だとか何とか言うんだろう」
 アイオロスは悲しそうに目を伏せた。
「……聖闘士は常に全員、揃うものではない。君のように、宿星に目覚めぬまま、一生を終える者もいるからな。それは仕方がない。だが、目覚めているのに、受け入れずに放置されれば、危険なのは君自身だけではない。殊に黄金聖闘士の場合は……獅子座の黄金聖衣も獅子宮も不安定になる」
 獅子宮──十二宮の獅子座の黄金聖闘士が治めるべき宮か。聖衣から得た知識が閃く。
 守護結界、アテナ結界──付随する知識も自然と連想される。数ある聖闘士の中で、黄金聖闘士が特別だとされるもう一つの理由。それが十二宮の守護者だという存在理由か。
 そして、中途半端に放置された宮が、十二宮の癌になることも。それが聖域を揺るがし、ひいては世界の安定をも──……!?

「冗談だろ。話がでかすぎる」
「冗談ではないんだ。現実離れしていると思うのは仕方がないが、リアステッド。これは現実だ。紛れもない現実なんだ」
 俺の呟きに、アイオロスが畳みかけるように言い募る。
 そうなんだろうな。夢でも悪夢でもなく、困ったことに現実なんだろう。
「できればってことは、アメリカに帰っても大丈夫なのか。小宇宙のコントロールさえ学べば」
「そのつもりがあるのならばな。だが、それには──」
「獅子座の黄金聖闘士あることを完全に受け容れろ、か?」
 ただ、認めるだけではなく、今後も聖域に関わることを意味するのだろうな。
「本当に、危険なんだ。小宇宙はどんな人間でも持っているものだが、俺たち黄金聖闘士の小宇宙は他者とは質が違う。目覚めた時点で、既にセブンセンシズに達しているからな」
「セブンセンシズ……」
 究極の小宇宙か。いや、実際には更にその上のエイトセンシズもあるようだが……この際、それは重要ではないか。
「俺たち黄金聖闘士が至高だとか最強だとか呼ばれるのはセブンセンシズを極めているからだ。それほどに強大な小宇宙をこの身に抱えている」
「だが、俺は……何の訓練もしていないのに」
「あぁ。黄金聖闘士の宿星を持つ者は大抵、生まれながらに小宇宙にも目覚めるものだ。弟も…、アイオリアもそうだった」
 つまり、先に生まれながら、聖衣に逢うまで目覚めなかった俺より、より強い星の持ち主だったってことか。
「だが、必ずというわけでもない。俺がその例だ」
「え? じゃあ、アイオロスが目覚めたのは何時だったんだ」
「六歳の時だ。アイオリアが、生まれた時」
 暗い影を落とすアイオロスの脳裏に、どんな光景が甦っているのだろう。単に弟の誕生を喜べないようなことでもあったのだろうか。
「目覚めているのと、制御できることは同義ではない。俺たちも、それから聖域に入り、小宇宙の制御を学んだ。そうしないと、この身には抱えきれないほどの小宇宙に逆に食い尽くされてしまうからな」
「脅かすなよ」
「脅かしではないよ、リア。あ、いや…」
 つい出てしまったのだろうが、今は咎める気にはなれなかった。
「無理に納得しろとは言わない。だが、せめて、小宇宙の制御だけでも」
「それは…、解らないことはないが」
 俺は口籠もり、朽ちた神殿を見上げた。アテナだという少女の眼差しがまざまざと思い出される。そして、闇の中で俺に光を、星を託したアイオリアを……。

「アイオロス、聞きたいことがある。アイオリアのことだが」
「何だ」
「彼は獅子座の黄金聖闘士だった。そうだな」
「……そうだが」
「では、何故、死んだ」
 アイオロスが怯みを見せる。酷く狼狽する姿を、俺は黙って見返す。
「戦って、死んだのか」
「…………そうだ」
「弱かったのか」
「そんなことはない! アイオリアは、獅子座のアイオリアは黄金聖闘士の中でも、有数の戦士だった」
 亡き弟の名誉を汚されたとでも受け取ったのか、声を荒げるアイオロスなどは初めて見た。だが、
「そんな奴でも、死んだのか」
「リアステッド?」
「だったら、やっばり、俺には無理だ。俺に戦えるわけがない。何の訓練もされていない俺が、星だけでは戦えないだろう」
「アテナも、そんなことは望まれていない。君を戦わせるつもりはないんだ」
「それでも! 黄金聖闘士ならば、至高の戦士ならばと、皆は期待するだろう。そして、戦えない黄金聖闘士に失望する。違うか」
「君が…、そんな言葉を気にするとは思えないが」
「気にするのはアイオロス、あんたらだ。失望は何れ、憤りとなり、俺だけではなく、俺を選んだ聖衣やあんたらに向く。そういうもんだろう」
 それもまた、聖域を揺るがすものになるだろう。
 だが、アイオロスは目を伏せながら、絞り出すように続ける。
「それでも、星の運命は変えようがない。星の運行を変えられないのと同様に」
「何だよ。それじゃ、俺に選択の余地はないのか」
 まるで、死刑宣告を受けた気分だ。苦笑するしかないじゃないか。
「受け容れなければ、アメリカに帰っても、君は何れ、小宇宙の暴走を引き起こす。そして、君自身だけではなく、周囲の者も巻き込むだろう」
「止める術はないのか」
「……殺すしか、なくなる」
「ハハ。そうなったら、あんたにトドメを刺して貰いたいな」
「リア……」
 苦しそうに、悲しそうに顔を歪めるアイオロスから、俺は目を背けた。


☆        ★        ☆        ★        ☆


 二進も三進もいかないとはこのことか。もう溜息すら出ない。何故、こんなことになってしまったのか。

獅子座の黄金聖衣に逢ったからか
それは聖域に入ってしまったからか
セイヤに会ってしまったから……
ギリシャに来たから──アイオロスと知り合ってしまったから?
……あの時、グラード財団ビルに出向いたから──!?
何だ、それじゃ、言い出したジャックのせいか?

 あいつ、本当にコンビ解消してやる! 腹の中で、今は大西洋の向こうにいる相棒に毒づいてみても、本当はそうではないことは解っている。ジャックは一つの切っ掛けをたまたま作ったに過ぎない。
 あの夢を見るようになった時には、もう始まっていた。夢の少女とサオリ・キド総帥の相似を、いつかは知る時が必ず訪れただろう。そして、確めようとしたに違いない。
 星の運行が定まっているように、全てが運命。もしかしたら、眠れる獅子座の星を持って、俺が生まれた時から、既に……。
 それが今一つの星の主だったアイオリアの死によって、光輝くようになったのか。
 まるで、星蝕だ。月に隠れた一等星《レグルス》がまた、現れたかのようだ。ただ、それは同じ星ではなかったが……。

「リア」
 窺うように、控え目にアイオロスが声をかけてくる。そこには演技とは思えない、俺を案じる響きがある。
 そう、演技などではないことくらい、本当は解っている。依怙地になっても、アイオロスにだって、どうしようもないことなんだろう。なのに「トドメを刺せ」などと言ってしまって……。
 大体、死ぬ覚悟なんざ、まだするには早い。仕事柄、命の危険に曝されることが全くなかったわけではないが、正直、悲愴な覚悟をしたことはない。それに、肝心なことだが、俺はまだ死にたくはなかった。笑える話だが、それが本音だ。
 それにしても、星回りとはよくいったものだ。
「アイオロス。アイオリアの墓はどこにあるんだ。聖域か」
「え…。あぁ、そうだ」
「なら、墓参りくらい、させろよ」
 思わぬ言葉に、アイオロスが唖然としている。俺にしても突然、思いついたことだった。
「リア?」
「同じ星と顔の誼だ」
 今日、初めて笑いかけると、アイオロスも少しだけ表情を和らげ、頷いた。



「森か」
「アテネの人々は“惑いの森”と呼んでいる」
 俗世と聖域を分ける境界のようなものだと言う。聖域の者でなければ、抜けることは不可能だと。昨日、セイヤと通った覚えはない。聖域への『道』は幾つかあるのだろう。
 この向こうに、人知れず、世界の平和と安寧を守ってきた者たちがいる。アテナ──サオリ・キドもまだ、留まっているのだろうか。
 つらつらと考えていると、泣き腫らした少年のことも思い出される。
「なぁ、セイヤはどうしている」
「……大分、落ち込んでいたがな。イーグルが面倒を見てくれている」
「あぁ、あの仮面の」
 最初に見た時は仰天したが、その意味も今は知っている。彼女らが納得しているのなら、俺なんかがどうこう言うことでもないが、外の人間から見ると、どうにも旧態依然としているように感じられる。
「彼は…、アイオリアに懐いていたからな。兄貴みたいだって。それに、最後まで一緒だったのは彼だしな」
「そういえば、冥界でどうのって──まさか、あれも本当なのか?」
「勿論だ。冥界に存在は、夢でも幻でもない。君だって、いつかは訪れることになる」
「案外、早いかもな」
 小宇宙の暴走を起こせばと、当てこすると、アイオロスは黙り込んだ。不自然なくらいに、顔を背け、唇を噛む姿に、俺もそれ以上は何も言えなくなる。

 森を抜けて、墓地にでも連れて行かれるのかと思っていたが、アイオロスは森の中に不意に開けた空間で立ち止まった。といっても、然程広くはないが、しかし、これまで木立の間を縫ってきた光景とは明らかに異なる。
「アイオロス?」
 揺れる背中がまた、足を踏み出したが、十歩と行かぬ処で、膝をついた。
「どうした、疲れたのか」
 射手座の黄金聖闘士が、そんなわけはないだろうが。大して考えもせずに、背後から屈み込んでいるアイオロスの手元を見た。
 掻き分ける草の間に、顔を覗かせる二つの小ぶりな石は……。
「まさか……」
 唐突に思いつくが、納得はできない。それがアイオリアの墓などとは!
 至高の存在などとまで、呼ばれる黄金聖闘士の墓とはとても思えないだろう。こんな人気のない森の片隅に、ひっそりと立てられ、というよりは置かれただけにも見える小さな石が!?
「おい、アイオロス」
「慰霊地には、銘と名を刻んだ墓碑が立っているよ」
「それじゃ、これは?」
「俺が作った。此処に、眠らせてやりたかったんだよ。尤も、此処も慰霊地も下には何もない。空の墓だけどな」
 戦って、死んで、遺体さえ回収できなかったのか。戻ったのは獅子座の黄金聖衣だけで!
 俺は聖闘士という存在の運命の過酷さを、改めて思い知らされた。益々、俺には無理じゃないか。

「しかし、どうして、此処に? それに、二つあるし」
「あぁ…。こちらは俺の墓だ」
 アイオロスは比べれば、幾らか丸みを帯びた石に触れながら、とんでもない告白をした。
「は、誰の墓だって?」
「俺の、墓だ。射手座のアイオロスの」
 今更、アイオロスがふざけた冗談を言うとは考えられない。しかし、それなら、今俺の前にいるアイオロスは何なんだ? いや、待てよ。星矢が他にも言っていた。甦りがどうのとか。
「マジかよ。甦りも本当だってのか」
「あぁ。黄金聖闘士は前《さき》の聖戦で全員、命を落とした。ミロもムウもな。それに、俺が死んだのはもう、十五年ほど前のことだ」
「なっ」
 もう何にも驚かないぞ、と思ってみても、次から次へと、畳み掛けられては混乱する余裕すらなくなる。
 そういえば、初めて会った時、例の日蝕の頃は「長い眠りにあった」と言っていたが、文字通りの『永い眠り』だったっていうのか。
 いや、納得していいのか。だが、この期に及んで、嘘偽りなど! 大体、アイオロスが俺に嘘をついたことといえば、「普通の友人がどうの」という点だけだ。後は……聖闘士であるのを隠していたのも、聖域のことも言わなかっただけで、決して嘘ではない。
 キド総帥がアテナだろうと、グラード財団総帥であることも間違いないのだから、その側近であることもまた偽りではない。

「何で、こんな処に。何にしたって、黄金聖闘士のあんたが眠る場所じゃないだろう」
「これは、アイオリアが作ってくれたんだよ」
 十五年ほど前なら、アイオリアは七、八歳か。年の離れたアイオロスにしても、まだ十三、四歳だったろうに。そんな年で、死んだのか。それもまた、アテナのため、にか?
 そして、アイオリアは独り残されて……自ら、わざわざ人気のない処を選んだとしか思えない森の中に、兄の墓を作るなんて。余程、独りになりたかったのか?
 ……アイオロスが“逆賊”として死んだことも、アイオリアが“逆賊の弟”として、十数年も辛酸を舐め続けたことも、俺が知るのはもっと後になってからだった。
 今はただ、兄弟の墓を前に、その一つに十数年間、思い出として眠っていたはずの兄の悲嘆を見るだけだった。そう、悲嘆に……。
 その姿を見るにつけ、混乱しかけていた意識も落ち着かされる。


☆        ★        ☆        ★        ☆


 風が吹き抜け、さわさわと葉擦れの音が響く。見上げると、此処まで歩いてきた森のような鬱蒼とした感じはない。幾らか上も開けていて、柔らかな陽光が降り注いでいるのだ。
 だから、森の中とは思えない草花も咲いているほどだ。目の前を蝶がヒラヒラと横切っていくのには口許を綻ばせた。死者の慰めになりそうな好い場所だ。
 黙ってしまったアイオロスの後姿を見返す。いつもより、格段に小さく見える。何を考えているのだろう。実は空だという弟の墓の前で……。
「空の墓か……。正に、“そこに私は眠っていません”だな」
 脳裏に閃く『死者による残されし人々への追悼文』と呼ばれる詩を口ずさむ。
 アイオロスが顔を上げ、広い肩が大きく揺れた。
「あぁ…。『千の風になって』か」
 キド総帥の母国たる日本では、そのタイトルで親しまれているそうだ。
「“Do not stand at my grave and weep...” ……この風の中に、光の中に、もしかしたら、さっきの蝶になって──いつでも、私は貴方の傍にいるから……希望の詩だよな」
 この世のあらゆるモノになって、貴方を見守っています。だから、私の墓の前では泣かないで下さい。作者不詳の詩は、『死者からのメッセージ』だと思いたくなる。生者にとっての慰めとして……。
 だが、
「希望の詩か。俺にとっては、絶望の詩だがな」
「え?」
 酷く沈んだ声は地の底から響いてくるようだった。
「風になって、光になって……水や鳥や、星になって──貴方の、傍に……。そう信じられたら、どんなにかっ」
「信じないのか? アイオリアの魂は、今でも、あんたを心配して、見守っているんじゃ」
 この時、脳裏に甦ったのは聖衣を纏った時に闇の中で会ったアイオリアの姿だった。悲しげな表情は、こうやって、自分の墓の前で嘆く兄を案じてのことだったのかもしれない、と。
 多分、彼自身が此処にある兄の墓前で、悲しみに暮れたのだろうから……。
「見守って、か。それは、ないよ」
 意外な程に、アイオロスが強く否定し、断言したのには驚いた。
「何故、そう言い切れるんだ。信じていれば、いいじゃないか」
「信じられるものならばな。だが、仕方がない。何しろ、アイオリアは……アイオリアの魂は」
 墓石の前の草を毟り取らんばかりに握りながら、アイオロスは苦しそうに吐き出す。

 次に続く言葉を、俺はそれこそ、信じ難い思いで聞いた。

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 『千の風になって』──流行ったというか、爆発的にヒットしましたよね。
 原詩は英語詩らしいけど、魂は天国に行くキリスト教の教えとは対立しませんかね? 更に元になる詩があったのか。英語圏だからといって、必ずキリスト教徒ということもないかもしれませんが。(可能性は相当高いけど) ただ、「あらゆるモノになって、貴方の傍にいる」という考え方はアニミズム信仰的ですし。八百万の神と怨霊信仰(怨霊の祟りを恐れ、祀った)を持っていた日本人の感性には合っていたのかな、とも思えます。 
 それを『絶望の詩』扱いとは輝……大丈夫か、お前は? ここでは『千風』ではなく、LEBERAの歌のイメージで書きました。もう、この話書いてる間は一番、LEBERAのアルバムを聴いてたなぁ。何しろ、元が聖歌隊だから、そういう歌が多い。だからって、決して暗い歌ではないんですがね★
 因みに『墓』の設定だけは『標なき奥津城』のものです。
 『星触』が出て、やっと『タイトル』に辿り着きました。黄道はかなり月の軌道にも重なるので、その上にある星は星蝕を起こしやすい。レグルスは星蝕が割りと頻繁に起こる一等星です。

2007.12.31.

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