星の影から

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「消滅してしまったんだ。本当に、欠片も残さずに! あいつは……!」

 魂の存在ごと、消えた、と。

 衝撃的な告白に、俺は声を失った。何だって? 消滅? 魂が……それは、死を迎えて、天国にも地獄にもいかず、この世を流離うこともなく、完全に消えた、ということか。
「な……」
「あいつはもう、何処にもいない! 俺がたとえ、冥界に下って、氷地獄《コキュートス》に落ちても、いつか“歓びの野”に辿り着けても、……天界に迎えられたとしても、何処にいっても、アイオリアに会うことはないんだ。勿論、この光の中にも、風の中にも、……あいつは、いない」
 そして、アイオロスは自分の墓だという、幾らか古びた石に愛おしげに触れた。
「あいつが、この世に遺したのは此処に微かに宿る小宇宙と、獅子座の黄金聖衣だけだ。でも、あれはもう…、君の聖衣《もの》だからな」
 そんな恨みがましいことを言われても! 俺が自分で望んだことじゃないのはアイオロスだって、解っているだろうに。
 ……いや、理性では解っていても、感情が追いつかないことはあるんだったよな。
 だが、魂まで消滅だなんて、そんなことがあるのか。一体、何があったというんだ。
 昨夜のセイヤが口走ったこともある。セイヤが関わっているんだろうとは察しをつけたが、今のアイオロスに、そこまで尋ねる気にはなれなかった。

 暫し、沈黙だけが俺たちの間を漂う。聞こえる音といえば、風の音だけだ。
 だが、もう…、その中にアイオリアがいるかもしれない、などと想像することもできなかった。葉擦れの音が、アイオリアの呼びかけなどとは!
 俺はアイオロスの手元の石を注意深く見やった。まだまだ、不得手もいいところだが、意識すれば、確かに判る。微かな、本当に微かな小宇宙が籠められているのが。これが獅子座のアイオリアの小宇宙か。
「……此処のこと、皆は知っているのか」
「いや…。アテナは御存知かもしれないが、ミロやムウでさえ知らない。俺が見付けたのも偶然だった」
 それは必然ではないのか。運命、では? さすがに弟を失ったばかりか、最早その魂の欠片さえ、抱き締められない失意の兄の傷を更に掻き毟るようなことは言えない。
 いや、俺の存在そのものが、アイオロスの傷を広げているんじゃないのか?
 弟にそっくりな顔と声をしながら、他人に過ぎない。そして、遺された獅子座の黄金聖衣までも奪っていく者として!

「そうだな。君が、憎いよ」
「え…?」
 いきなり核心を突かれ、口に出していたかどうかを疑問に思う余裕もなかった。
「いつかは、獅子座は弟の後を継ぐ、誰かのものになる。それは承知していた。でも、それが何故、君なんだ。リア」
「何故って、そんなこと──」
 だから、俺に聞かれても困る! だが、それ以上に反論ができない。振り仰いだアイオロスの涙に滲んだ碧い瞳が余りに痛そうで。
「何故だ。こんなにアイオリアに似ているのに、でも、君はアイオリアじゃない。いつも思っていたさ! どうして、今、隣にいるのがアイオリアじゃないんだと!!」
 俺を弟と重ねて見たことはない、と言っていたのは間違いではなかったんだな。誰よりも、アイオロスにはそれが解っていた。
 夢を見たくても、見ることすらできない、『希望の詩』に縋ることも叶わない彼には……。「…………済まない。君が、悪いわけじゃ…、ないんだ」
 震える言葉を最後に、アイオロスはまた、背を向けた。

 俺は暫し、立ち尽くしていたが、数歩進み出て、アイオロスの傍らに腰を落とした。そして、手を握り合わせ、墓石に向かって、祈りを捧げる。俺は此処に、墓参りにきたんだからな。
 たとえ、此処に彼が眠っていなくても、安息を願うその魂までが消えてしまっても、嘗て存在した獅子座の黄金聖闘士を、世界のためにアテナのために、生を全うした勇者を想うことは決して、無意味ではないはずだ。
「……有り難う、リア」
 その兄の声には、さっきの激情の影はなく、いつものように穏やかなものだった。
「俺は決めたんだ。再び得た、この命を無駄にはしない。アイオリアの分も生きると。勿論、俺は聖闘士だから、まだまだ死地に赴くこともあるかもしれない。それでも、必ず生き延びてみせると」
 死んだら、此処に来られなくなる。唯一の縁《よすが》に触れることすらできなくなるから、か……。
「そして、二百年でも三百年でも、この小宇宙が消えるまで、永らえてみせると、誓ったんだ」
 今の教皇と黄金聖闘士の最年長者が二百五十年以上の寿命を永らえてきたことはまだ知らなかったが、アイオロスの決意は揺るがないように思えた。
 アイオロスが死を容れる刻は、弟の遺したこの小宇宙が完全に失せた瞬間だろう。そう考えると、切なかった。

「なぁ、アイオロス。アイオリアは、俺に何を望むのかな」
「それは──いや、そんなことまで、気にかけなくてもいいんだぞ」
「何だよ。絆されて、ちょっとはその気になってるのに。ここぞとばかりに説得しないのか」
「そんな一時的な感情に左右されて、決めて欲しくはないんだ。君が真に納得してくれなければ、意味がない」
 真面目な奴だな。だが、アイオロスらしくて苦笑が零れた。
「アイオロス、アテナ……キド総帥はまだ、聖域《ここ》にいるのか」
「勿論だ。アテナ神殿に……君にも、判ると思うが」
 聖域に入ったことで、今までは漠然としていた気のようなもの、小宇宙を感じる度合いが強くなったのは確かだ。殊に、アテナの小宇宙は聖闘士とも質が違う。正しく、聖域の主たる唯一絶対の存在として、未熟な俺の目にも映っている。
「会わせて、くれないか。もう一度」
 凝と俺を見やったアイオロスは黙って、頷いた。

 森を抜け、聖域の中心へと向かうため、再び森の中へと分け入る。
 一度だけ、後ろを振り返った。二人の兄弟のためだけの慰霊地は森の中に溶け込み、誰にも妨げられない静かな眠りにとついているようだった。



 十二宮が第五宮・獅子宮──今、俺はその前に立っていた。
 昨夜は俺が去った後の聖域のことなんて、考えたくもなかった。とにかく、黄金聖闘士の残る空席を埋める獅子座候補の突然の出現に、混乱しているとアイオロスは言う。
 何せ、聖域内の聖闘士候補生ではなく、外の普通の人間だ。噂が噂を呼び、寄ると触ると、俺の話で盛り上がっているらしい。その大部分は否定的な意見だったらしいが。
「解る気はするな。俺を招き入れることは、聖域にとってはやはり、危険な賭けになるんじゃないのか」
「何度もいうが、宿星《ほし》の在り様は、運命の為せる業だ。それだけに、聖闘士を目指しながら、聖衣に選ばれず、脱落していく者は多いがな……」
 黄金聖闘士ほど、宿星がはっきりと現れる者はいないそうだ。白銀、青銅と下がるにされ、曖昧となり、修行が必要となり、篩い落としながら、何れは聖衣そのものに選ばせる時が来る。
 選ばれなかった者は夢破れても、聖域に留まり、一介の兵として働くことが殆どだというが。
「厄介だな。そんな連中、腹に何を抱えているか解らないじゃないか」
 嫉妬や中傷の的になるくらいは仕方がないが、実力行使に出られたりするのは御免だ。
「君が、聖域に長く留まることはアテナもお考えではないよ。かなり特殊なケースだからな」
「三十も目前で、聖衣に選ばれることがか? 全く、レオも何を考えて、俺なんかを選ぶんだよ。もっと、若い奴にすりゃいいのに」
「考えているわけじゃない。いわば本能だよ、聖衣の。唯一の主を選ぶのは」
 唸るようなことをサラッと言ってくれる。本能だなんて、まるで、獣だな。

 ともかく、人目を避け、一気に十二宮の玄関口辺りまで“跳び”──猛烈なテレポーテーション酔いとやらに襲われたが、昨夜のような騒ぎは願い下げだ。まるで、珍獣か何かのように見られるのも。気分が悪いくらいなら、我慢もはする。
 ただ「その内、慣れるよ」と言われても、正直、慣れたくもない。俺にもできるのか? とは怖くて聞けなかった。
「……FBI《うち》にも超能力捜査官ってのはいるって、いうけどな」
 透視などが専門だ。事件の手懸りを掴むために活躍しているらしいが、一瞬で移動だなんて真似は、さすがに聞いたことがない。事も無げに、んなもんするとは聖闘士ってのは全く……。
 とにかく、森の外れにいたはずが景色は一変していた。両脇は白亜の壁がそそり立つ長い階段の途中だ。人気はない。一体、どれだけ“跳んだ”というんだ。
 少し登った白羊宮は無人だった。白羊宮なら、牡羊座の管轄だから、ムウがいるはずなのに──そこから、抜け道を使ったのだ。何しろ、アテナが御座すアテナ神殿は十二の宮を登り切り、更に教皇宮を越えた奥にあるはずだ。「頑張ってくれ」とか言われたら、回れ右をしたくなっただろう。
 ところが、抜け道を出た先はアテナ神殿ではなかった。

 獅子座のための、今は無人の獅子宮だったのだ。見上げると、仄かな淡い光のようなものに包まれているような気がした。
「君が来てくれたから、喜んでいるんだよ。獅子宮が」
「心が、あるのか?」
「ある、といっても、いいと思うよ。この宮そのものは、それほど古くはないから、獅子宮の領域に、といった方が適当だろうがな」
 アイオロスは最後の階段を上がり、テラスから俺を見下ろした。
「入っても、構わないかな」
「俺に聞くなよ」
「何を言っている。此処は君の宮だ。本来なら、君の許可がなければ、通ることもできない」
「……通らなきゃ、上にも行けないんだろうが」
 俺は呆れて、階段を登った。

 静まり返った宮内はひんやりとしていた。その中央部だろうか。獅子座の黄金聖衣が置かれていた。疾駆する美しい黄金のライオンが……。
 瞼の裏に焼きついていたその姿を目にした瞬間、確かに俺の身の内の熱も上がった。小宇宙が、感応でもしているのか?
 すると、いきなり黄金聖衣が鳴り始めた。昨夜とは微妙に違う。正に希望の高鳴りだろうか。
「本当に、何で、俺なんだよ」
「だから、本能だよ。せめて、触れてやってくれないか」
 そうしたら、余計な期待をさせてしまいそうだ。まだ、決心したわけじゃないんだぞ。後はキド総帥に、アテナに会ってから、決めようと思っているのに……。
 それでも、俺はそろそろと手を伸ばしていた。心の片隅では、俺も期待していたのかもしれない。聖衣が受け容れることをか。それとも、拒絶してくれないか、そのどちらだろうか。

キイィィィン……

 高鳴りが強まった瞬間を狙うように、声がした。
「来て下さったのですね。リアステッド・ロー」
 向かうはずだった反対の通路に姿を現したのはキド・サオリ──アテナその人だった。
 アイオロスが幾らか驚いた様子だったが、結局、何も言わず、一歩、下がった。
 キド総帥はゆっくりと俺に近付いてきた。
「お独りで、いらしたのですか」
「えぇ。皆にはアテナ神殿で待って貰っています」
 皆とは教皇と黄金聖闘士たちだろう。
「レオが、とても喜んでいますね」
「そうですか?」
 俺は触れたままだった手を下げた。また、キィンと小さく鳴ったのは手放すなという抗議だろうか。キド総帥が小さく苦笑する。
「慌てないで、レオ。ところで、ロー捜査官。お話を聞いて頂けるのかしら」
「そうですね。聞かないわけにはいかないようですから」
 殆ど脅迫されているのに等しいものだ。破滅するとか、周囲も巻き込むとか言われてはな。
 その時だった。
「アテナ。私は席を外します」
 そう言うと、キド総帥の返事も待たずに、アイオロスは出て行ってしまったのだ。

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 え〜、『衝撃の真実』でした。経緯については書こうか、どうか迷っているんですが……でも、全く触れないまま終わるのはやはり、放置に等しいですよねぇ。
 とりあえず、ローロスの二人の会話はここまで、です。『衝撃の真実』もあって、前章までのアイオロスに対するローの些細な反撥も消えたことになります。
 これからは女神沙織との対決☆ もとい……あ、いや、やはし対決かなぁ?

2007.01.10.

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