星の影から
12 獅子宮には俺とキド総帥、そして、獅子座の黄金聖衣だけが残された。 アイオロスの背中を見送ったキド総帥が振り返る。 「アイオロスと仲直りして下さいましたか?」 仲直りって……子供じゃあるまいし。いや、もしかしたら、女神アテナにとっては聖闘士すらも我が子のようなものなのだろうか。 「あんなに落ち込んだアイオロスを見たのは初めてでした。昨夜、貴方が帰ってしまわれてからは、とても項垂れていて……」 どうにも想像できない光景の代わりに浮かんだのは、先刻のアイオリアの墓の前でのアイオロスの姿だ。 「アイオロスは中々、胸の内を見せないのですよ。いつも、飄々としていて……アイオリアが戻らないと分かった時でさえ、逆に私たちを気遣ってくれて。その悲しみのほんの一端すらもね。だからこそ、却って、彼の痛手がどれほどに大きいかも察せられるのですけれど」
『惑いの森』の弟の墓を前にした時のアイオロスの悲嘆振りは、全てではないだろうが、少なくとも、俺には隠さなかったのか。その深い悲哀を…。 「アイオロスにとって、貴方は大切なお友達なの。アイオリアとは関係なく。それだけは解って下さらないかしら」 「それは──しかし、アイオリアは……。魂までが消滅するなんて、そんなことがあるものなのですか」 「普通はありません。死した者は冥界に下り、魂は清められ、次なる途へと旅立ちます」 往くは天国か地獄か、それとも、転生でもするのか──信じる神によって、その道筋も変わるのかもしれないが。 「その…、勝手な推測なのですが、セイヤが関わっているのですか」 キド総帥は幾らか驚いたように、俺を見返してきた。 「……えぇ。前《さき》の聖戦で落命した者たちは神々の恩寵により甦りを得ました。それは聞きましたか」 「アイオロスからは」 「けれど、簡単ではありませんでしたわ。夫々に魂に傷を負っていましたから……」 死とは、そういうものなのだろう。 「中でも、アイオリアと星矢の傷は深くて、ずっと冥界に留まり続けていました」 「……しかし、今の話を聞く限りでは魂が消滅するほどではないようですが」 「勿論です。アイオリアの傷は現世で受けたもの。何れは癒えるはずのものでした。問題は星矢の方だったのです」 「セイヤ、に何があったのです」 「彼の傷は冥王より受けたもの。その深さは他の者とは比較にならないほどでした」 冥王──冥界を統べるハーデス神と戦って、受けたというのか。さすがに、物知らずな俺も唾を飲み込んだ。 「そして、やがて誰もが諦めかけたのです。星矢にはもう、甦るだけの力はないのだと」 あの元気一杯な少年が──そんな凄まじい過去を持っていたとは。
「それで、アイオリアはどう関わってくるのですか。ずっと、冥界では一緒にいたと」 「…………誰よりも、傍にいるアイオリアが理解していました。このままでは、星矢はもう、二度と現世には戻れないと。だから、彼は…、試したのです。彼にできる最後の方法を」 最後の、方法? 俺は我知らず、また唾を飲み込んだ。 「魂によるヒーリングを。アイオリアは行ったのです」 「ヒーリング? え…と、怪我を治したりすることですよね。魂によるヒーリングなんて、できるのですか」 「してしまったのですよ、アイオリアは。成功する見込みは殆ど皆無だったはずでしたが」 「……セイヤを、助けるために?」 キド総帥はコクリと頷いた。 「アイオリアは元々、ヒーリングを得意としていましたから……他の者ならば、そんなことは思いもつかないでしょうに」 「魂による、ヒーリング……。冥界では魂のみの存在なのですよね。そんな状態で、ヒーリングを行うということは」 「魂そのものの力を注ぎ込むことになります。そして、その全てを費いきってしまえば──」 「消滅?」 そういうことなのか。そこまでして、アイオリアはセイヤを、あの子を救いたかったのか。この世界に、女神の御許に返してやりたかったのか。 ……アイオリアが帰ってきたと大喜びをしていたセイヤ。あの天真爛漫さを向けられていただろう獅子座の黄金聖闘士は、だからこそ、あの子を助けたかったのか。まだ、彼をよく知らない俺ですらが納得してしまう。 「セイヤは、そのことを?」 「知りませんわ。まだ……。何れは伝えねばと思ってはいます。でも……」 それはそうだろう。まだ幼いともいえる少年には余りに重過ぎる真実だ。いわば、あの少年はアイオリアの命をも負っていることになる。 ただ、知らないとはいっても、肌で感じるものもあるのかもしれない。そうでなくては昨夜のような反応は見せないだろう。 それにしても、そのセイヤと同い年くらいだというのに、そんな重く悲しい現実も胸に秘めながら尚、微笑みを絶やさないこの少女──女神たることもまた、過酷過ぎる運命だ。 それどころか、 「アイオリアのことは、他の者には他言無用にお願いします。ムウやミロも、知らないのですから」 知っている者は本当に限られていると。黄金聖闘士でも兄のアイオロス以外は数人だと。 だから、この話は『相手が知らないもの』と思い、持ち出さないようにしてほしいとのことだった。尤も、頼まれても、これ以上、語り合いたいとも思えない話題だ。
俺は首を振り、また一つ息をつくと、少女を見返した。 「キド総帥……いや、アテナ。聞けば聞くほど、聖闘士たる運命など、私には重過ぎると思えますよ」 「慌てないで、リアステッド・ロー。結論を急がないで欲しいのです」 「ですが」 すると、幾らか不思議そうにキド総帥は首を傾げた。 「それほど、受け入れ難いものですか」 「それは……三十年近く、何の変哲もない普通の人間として、暮らしてきたんですよ」 「解ります。私も、そうでしたわ」 「え?」 「私は城戸家の娘として、何も知らずに暮らしていました。城戸家の継嗣たる心構えは幼い頃から、作らされていましたが……まさか、女神アテナなどという運命まで持っているとは思いもしませんでしたわ」 言われてみれば、確かにそうだろうが──しかし、絶句するしかない。 獅子座の黄金聖闘士だと言われ、狼狽えている俺の半分ほどの年齢の少女が偉大なる神たる運命を、その身に具えて──……。
「自らの運命を呪ったことがないといえば、嘘になりますわ。何より、アテナ《わたし》の名の許に、聖闘士たちを死地にも赴かせるこの身を……」 聖戦で命を落とした聖闘士たちの甦りが叶ったのは正しく僥倖たる神の奇蹟。それでも、その御手から零れ落ちた魂もあったのだから。 「私は、聖闘士だから…、いいえ。聖闘士だけでなく、海闘士《マリーナ》も冥闘士《スペクター》も、その運命故に戦わねばならないなどとは思いたくないのです。必ず、戦わねばならないなんて──」 そんなことはないと。それが運命ならば、変えたいと──獅子座の黄金聖衣を撫でながら、少女は決意に満ちた表情で見返してきた。 「そして、貴方に会ったのです。アイオリアとは異なる、獅子座の星の持ち主に」 「……私?」 「そうです。確かに貴方はずっと外で過ごしてこられた。聖域のことも聖闘士のことも、何一つ知らない。戦う術は勿論、小宇宙の扱い方一つ、満足にできない」 ……貶されているのか? そりゃ、紛うことなき事実だが。 「ですが、何故? 何も知らない貴方の星が今、目覚めたのか。──どう思われますか」 どうと問われても、答えようがない。大体、どんな答えを期待しているのだろうか。またしても、『運命』だろうか。 「運命でなかったとしても、何か示唆すべきものではあると思うのです。だから、私はこの身の運命にも抗う気になったのです」 「抗う?」 「冥界や海界と、この先もずっと戦わずに済ませられるようにと」 何やら、壮大なことを考えているのか? 「……難しいでしょう」 「でしょうね。それでも、私は──夢物語で終わらせたくはない。考えるだけ無駄などと、馬鹿げていると言われても」 「ハーデス神やポセイドン神と、とことん“闘う”おつもりですか」 争うのではない“闘い”か。 「無理だと、思われますか」 「──いいえ」 俺は息を吸い込み、吐き出した。 何故、アテナたるこの少女が俺にこんな話をしたのか、漠然とだが、理由が解ったからだ。 「貴方は優しい。だが、それ以上に厳しい方だ」 戦いを司る戦女神──しかし、その戦いは常に“護りの戦い”だという。 「そうして、貴方は何を得るのですか」 「そうですね。人としての幸せ? それとも、神としての眠りかしら」 「まさか……」 「まだまだ先の話ですわ。でも、その方が良いと思いません?」 答えようがないだろう。少女は困惑する俺を見て、悪戯っぽく笑った。 「人が神に振り回される必要はもうないと思うのですよ。星の運命も同じことでしょう。貴方も、振り回されていると内心では思っているはずです」 「手厳しい言い様ですね。でも、その通りですよ」 内心どころではない。獅子座の黄金聖衣に選ばれた、という昨夜、色々と口走ったはずだ。 「とはいえ、キド総帥。いや、アテナ。本当に星の運命から、人を解放できるのですか」 「できるかどうかなんて、判りませんわ。ただ、私は…、もう諦めたくないの。誰にも死んで欲しくはないもの。聖闘士だけでなく、海闘士も冥闘士も皆、人なの。神が懐で護るべき人なのよ。なのに、何故、戦わせねばならないの。もう誰かが傷付くなんて、嫌」 「ハーデス神やポセイドン神は、どうお考えでしょうね」 「さぁ…。笑い飛ばされるかもしれないわね。でも、今の私たちには時間はあるわ。伯父様方と話し合う時間もね」 伯父様方──確かにアテナにとっては、父ゼウス神の兄たちは伯父だな。 「力を貸して下さらない? リアステッド・ロー。とんだ迷惑とお思いでしょうけど」 こうもはっきりと言われると、寧ろ笑ってしまうほどだな。 「外を知る貴方だからこそ、私の、このとんでもない目的にも賛同して下さると思うのですけど」 「とんでもない、か。確かに聖域至上主義者が聞いたら、目を回すでしょうね」 聖域のこともタブーも何一つ知らない。知っているのは聖衣から得た知識だけだが、所詮は知識だ。感情を伴い、俺の中に根付いているわけではない。だから、冥界や海界が敵という認識も殆どない。ハーデス神やポセイドン神も、アテナと同じオリュンポス十二神の一柱という同列の括りしかできない。 つまり、彼の神々への憎悪もなければ、怒りも微塵に持たない。それが、アテナが俺を選んだ理由か……。教皇やアイオロス、黄金聖闘士たちでさえ、まだこんな遠大なる計画とやらは知らないだろうに。 俺は今一度、獅子座の黄金聖衣を見遣った。忘れられない、闇で会ったアイオリアの姿が甦ってきた。 11 13
『衝撃の真実』の更に『衝撃の経緯』でした。誰に何処まで説明させようかと悩みましたが、結局、女神様となりました。アイオロスなんかもまだまだ複雑なもの抱えていますしね。星矢は何も知らないに等しいし……。 そして、この経緯が、女神沙織に後半のような『遠大なる計画』を考えさせるようになったともいえます。沙織さん自身、自分から危険に突っ込んでいくことが多かったのは、そういうことなのかな、と想像したもんなので。 さて、そろそろ物語りは終盤です。ローは如何なる道を選ぶのか?
2008.01.20. |