砂塵の蜃楼《すなのみちしるべ》

「おう、揃っとるな」
 いかつい壮年の教官を待っていた三人の士官が敬礼で迎える。
 ジャブローに置かれたモビル・スーツ教育隊の主任教官バックス・バック大尉は軽く返礼し、ファイルを手に小会議室の壇上に立つ。
「まぁ、楽にしてくれ。さて…、と。マスター・P・レイヤー中尉。ユン・シジョン少尉。マクシミリアン・バーガー少尉。本日付けで、お前さんたちはここは卒業だ」
 大方の予想はしていたのか、三人の表情には、さして変化は見えなかった。一番、若いバーガー少尉が幾分、楽しげな微笑を浮かべているくらいだ。
「シミュレータ訓練では、諸君のチーム・ワークは中々のものだった。それでだ。いよいよ、実地に入るぞ」
 実地──それは実際にモビル・スーツを使用しての訓練ということだ。ただ、地下基地であるジャブローにはそのための施設はない。
 彼らは任地へと飛び、そこで訓練を続け、そのまま実戦へと移行することになる。
 そして、その任地とは……。
「急で悪いが、明日にはオーストラリアに飛んでもらう」
 近く大作戦が予定されているヨーロッパではなく、オーストラリアに。それも、三人は予測していた。MSの実戦配備が間に合わず、ヨーロッパには少数の最終テスト部隊などだけが参戦するのだろう。
 その後、オーストラリアでも反攻作戦が開始される。現在の地上戦闘訓練中のパイロット候補生はまず、そちらに送られる。いや、既に振いにはかけられているので、ここまで残った彼らはもはや、候補生ではなかった。
「やっと、本マもんのモビル・スーツを扱えるんですね」
「そういうことだ。まっ、嬉しいのは解るが、バーガー少尉。私語は厳禁だ」
「あ、スンマセン」
 一寸だけ首を竦め、恐縮する姿には愛敬があり、鬼の教官もついつい苦笑する。
「編成は現状のまま、小隊長はレイヤー中尉。チーム・コード名は『ホワイト・ディンゴ』だ」
「──ディンゴ」
 反復したのは珍しいことだが、レイヤー中尉だ。
「そう、ディンゴだ。彼の広大な大陸を駆け回っていた野生の犬。中々だろう?」
「そういえば、レイヤー中尉はオーストラリアの出身じゃ──」
「……おい、マイク」
「あ? ハイッ。私語は慎みます」
 並んで座っているユン少尉に肘で小突かれ、姿勢を正すのに、嘆息しつつも、チラッと中尉を見やる。幾らか顔色が悪いようにも思われた。
 ともかく、三人のパイロットから成るのは小隊編成だ。オーストラリアでは特殊遊撃MS小隊として活動する。となれば、
「教官、質問があります」と挙手したのはバーガー少尉。これは私語ではない。
「情報支援要員はどうなってるんでしょうか」
「慌てるな、これから説明する。情報支援要員は既に現地での訓練を進めており、あちらで合流する。ホワイト・ディンゴには──アニタ・ジュリアン軍曹。うん、コンピュータの特殊訓練も受けている、腕利きだぞ」
 ファイルを確認しつつ、ウィンクする。
 少数精鋭のMS小隊には情報支援に特化した専用車輌が随伴する。戦場でのリアルタイムな戦況情報収集と分析、対電子戦までこなす要員だ。
 が、さしあたり、それが女性と知ったバーガー少尉の興味は彼女が幾歳《いくつ》かということだったりする。もちろん、口には出さないが。
「後は現地に到着してからだ。とりあえず、卒業おめでとうとはいっておこう。壮行会なんて、気の利いたもんはしてやれんからな。別れの挨拶は各々で、すませてくれ」
 そこで、一度、言葉を切ると、鬼とも呼ばれる教官は不敵な笑みを作った。
「お前さんたちは、この俺のシゴキにも見事に耐えた。実戦でも十分に通用すると信じている。──頑張れよ! 以上、解散だ。あぁ、レイヤー中尉は残ってくれ」
 立ち上がりかけた中尉を残し、教官に敬礼した二人の少尉は会議室を辞した。
「やーっと、この辛気臭い穴蔵から出られるな」
「そうだな。まぁ、空調完備で快適には違いなかったけどさ。オーストラリアは暑くなるんだろうな。これからは」
「ここも、上のジャングルは蒸してそうだけどな。一度くらいは見物してみたかったぜ」
 彼らは適性検査後、比較的、早くに選抜され、ここジャブローに送られた。シミュレータのみではあるが、個々のMS操縦訓練を続け、ほどなく特定のチームを組んでのフォーメーション訓練に入った。中にはチーム戦闘が合わずに、姿を消した者もいたが、この段階ではほぼチームとしての任務は確定していた。今さら、気負うところもなかったのだ。少なくとも、一パイロットにすぎない二人の少尉にしてみれば、だが。
 会話も気楽なもので、最後の仲間のことには違いないが、
「アニタちゃんか。可愛い子ちゃんだといいなぁ」
「ラテン娘は気が強いというぜ、マイク」
「何だよ、シジョン。ひょっとして、経験が語ってるのかぁ」
「さぁね」
 年が近く、階級も同じとあってか、この二人──わりと気はあっているようだ。

 会議室に留まったレイヤー中尉は何れ、彼らの指揮官となるのは承知していたためもあり、幾らかは距離を置いて接していた。ただ、それが指揮する者としての戒めだけでないのをバックス・バック大尉は察してはいた。いや、むしろ当人よりは遥かに理解していたのかもしれない。
「不満そうだな」
「そんなことはありません」
 我ながら、言葉が固いと呻きたくもなる。恐らく、顔も強張っているのではなかろうか。
「昔はもう少し、素直だったろうに。マスター・ピース」
「……その呼び方はやめて下さい。BB」
 こちらも“昔なじみ”の通称に切りかえるが、どこか突き放した感がある。
「それにしても、ホワイト・ディンゴとは……あなたの趣味ですか」
「精悍なイメージがお前さんには相応しいと思ったんだがなぁ。気にいらんか」
「いえ。そうでもありませんよ」
 自嘲気味な笑みが掠めて、消える。
 ディンゴ──オーストラリア固有の野犬は犬の先祖に最も近い種である古代犬といわれた。苛酷な荒野を駆け巡っていた古代犬は、だが、既にその純血種は失われて久しい。種の近しい他の犬との混血種がわずかに残るばかりで、種としての命数は尽きたといっても過言ではなかった。
 そこには荒野でも生き抜く、かつての精悍さや逞しさの面影はない。
「……確かに、私には相応しいのかもしれません」
「そこまで、自分を卑下することはなかろう」
「卑下などしていません。客観的に、そう思えるだけです」
「マスター・ピース。お前さんがそんな調子じゃ、アシュヴィンたちも──」
 その名が零れた一瞬で、レイヤーの表情が拭い去られる。ただ、水色の瞳だけが受けた傷みのままに凍りついている。二の句を継げずに、口を噤むよりない。
「教官。小官を残した用件は何なのでしょうか」
 頑なな態度には、主任教官も溜め息を隠そうともしない。用件を片付けるには数分とかからなかった。
「では、失礼します」
「マスター・ピース……いや、レイヤー中尉」
 早々に退出しようとするのを慌てて、呼び止める。
「ともかく、今のお前さんはモビル・スーツ小隊の指揮官だ。三人の部下を預かる身であることだけは肝に銘じておけよ」
「……ご心配なく。どんな任務でも、任務は任務ですから」
 一旦、口をつぐむと、再び、虚無感を滲ませた嘲笑めいた表情が浮かび上がる。
「まぁ…。司令部の脱出という名目で、同胞も市民も見捨てて、シドニーから逃げ出したのも、任務には違いなかったですしね」
「マスター・ピース!!」
 悲痛ですらある呼びかけも、ただ、煩わしいだけだった。

「──ヤブヘビになったか」
 溜め息も出ない。頭を剃り上げていなければ、髪を引っかき回すところだった。
 レイヤーは元々、戦闘機隊の指揮官だった。オーストラリア空軍どころか、地球連邦軍全空軍でも指折りのパイロットに挙げられたものだ。そして、戦闘機隊所属としての最後の任務がシドニー航空隊の隊長だったのだ。
 そう、開戦時にコロニーの直撃を受け、消滅したシドニーの……。
 当時の彼の地にはオーストラリア方面軍司令部が置かれており、当然の如く、司令部は間際に脱出し、災厄からは逃れたのだ。その脱出機パイロットに命じられたのも又、レイヤー隊長だ。コロニー落下の衝撃と余波は想像を絶しており、最高の操縦技術の持ち主が求められたためだ。
 だが、如何な命令であろうと、結果として、指揮すべき部下や守るべき市民を置き去りにした己をレイヤーは許せなかった。脱出後、司令官とゴタゴタを起こしたこともあり、その任務を最後に、戦闘機からも降りたのだ。
「あんな馬鹿者などに構わなければ……」
 当時の司令官は『言わなくてもいいこと』というよりは『言うべきではない暴言』を吐いて、レイヤーに殴り飛ばされた上に、更迭となった。無論、手を出したレイヤーも無傷ではすまず、一階級の降格処分を食らってしまった。
「いや……そうでなくとも、空を飛ぶ気はなかったか」
 だが、操縦に関するセンスの良さは際立っている。レイヤーが新設となるMSのパイロット候補に入っていたのには別段、驚かなかった。しかも、指揮官としての素養と経験は群を抜いており、現時点での小隊長候補の中でも最も、期待されているほどなのだ。
 ただ、その過去が悪い意味での戒めにならねば、だが。
「バーガーには難しいか……。ユンならば、フォローを任せられるかな」
 レイヤーの二人の部下を思い比べ、その程度しかできないのだと、少々苦々しく思う。下手に伝えれば、最初から上官への不信感を彼らに植えつけかねない危険も孕んでいる。
 そこへ思考を断ち切るように、ノックとともに教官の一人が入室してきた。
「主任。新人たちが集まりましたよ」
「おう、今いく。さて、今回はどれだけが使えるかな」
「どうですかね。例の適性検査も結構、厳しく絞ったはずですが」
「テストはテストだからな。ましてや、まだ、連邦独自のテストさえ、できていないときてる。全てはこれから、さ」
「それでも、パイロット育成は急務。堪りませんね」
「連中も、俺たちもな」
 二人の教官は慨嘆しつつも、新規のパイロット候補生たちが待つ大会議室に向かった。

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 WDメンバー登場! だけど、まだ半分だけ・・・。しかも、輝の一押し外伝キャラがまだ出てこないTT 案外、あるんだよなぁ、こういう展開が。
 オマケにオリ・キャラがまた増えた^^; ユン・シジョン(尹 時鐘)──その位置付けはバレバレでしょう。すでに結構、お気になので、できるだけ出したいですね。

2002.04.01

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