砂塵の蜃楼《すなのみちしるべ》

 自然と笑いがこみ上げてくる。別れの挨拶とは何と、己には縁遠いことだろうか。
 小会議室を後にしたマスター・P・レイヤー中尉は、だが、辺りをフラついていた。
 彼は他のパイロット候補とは努めて、接しないようにしていた。例外は同じチームとなるべき二人の少尉だが、それでも、必要以上に親しくはしていない。
 それが指揮官となるべき者としての流儀とは察しても、取っつきにくいタイプだと、彼らも思っているだろう。
 つまり、レイヤーには改まって『別れの挨拶』などをする相手がいなかった。明日の出発に備え、荷物をまとめるにしても、大した私物もない。バッグ一つで、すむようなものだ。自然、メシでも食うか、くらいしか思いつかない。
 何しろ、地球連邦軍参謀本部基地だ。前線に出れば、絶対に味わえないような食事が三食きちんと出るのだ。地下とはいえ、こんな天国のような処で、訓練漬けだったが、一ヶ月ばかり贅沢なメシに慣れてしまったら、戦闘食など受けつけられなくなるんじゃないかと、いささか埒もない心配をしてみたりする。
 結局、他にすることもなく食堂に向かい──入口で足が止まった。
 中から楽しげな歓声が聞こえてくる。その中心にいるのが先に退出したレイヤーの部下となる二人の少尉、特にマクシミリアン・バーガー少尉の存在が際立っていた。
 そういえば、彼の周囲には多くの人が集まっていた。たかが一ヶ月ほどだというのに、パイロット候補のみならず、基地職員などとも、すっかり顔なじみになっているようだ。『別れの挨拶』の真最中というところか。

 だが、自分にはどこまでも遠い場所だ。とてもではないが、あの中に入ってはいけない。
 自分は、一人なのだ。独りでいるべきなのだから・・・・。

 少尉が笑えることでも言ったのか、派手な歓声が弾けた。
 たまらず、レイヤーは踵を返した。笑い声が貫くように追ってくるのを振り払い・・・・。


 人の笑顔が、歓声が息苦しくさえある。何と、弱いのだろう。
 こんな様で、よくもモビル・スーツなどに搭乗する気になったものだ。
 それとも、今ならば、まだ後戻りも叶うということだろうか。逃げ出しても、許されるだろうか。
 ……今は痕跡すら海に消えたシドニーという街が人々とともに存在った、あの日、あの刻、あの一瞬──レイヤーは何度も、戻りたいと願った。そして、彼の地に留まり、彼らと、彼女らとともに消え去ることができたなら……!! 幾度となく、夢見た。

『何をボケッとしてんだよ。レイヤー』
『早くこいよ。マスター・ピース』
『後はお前だけなんだぜ』

 探して探して──やっと応えてくれた『仲間たち』が待っている。呼んでくれている。
 だが、そんな甘い夢はすぐに破られる。彼らは決して、逃げ出した『隊長』を許しはしない。際限なく詰り、責め、そして、恨みや憎しみをぶつけてくる。

『俺たちはもう死んじまったから』
『忘れるなんて、簡単だ。生きているお前には』
『忘れたいんだろう? 俺たちを』
『お前が見捨てた、つまらない連中なんか──』

 最後は空も大地も海をも焼き尽くした一閃に、全てが溶ける。
 そうして、何度、浅い眠りを破られただろう。
 声にならない悲鳴が喉をついただろう。
 泣くことさえできずに、冷たい汗に震えたことだろうか。

 それでも、責められても仕方がない──レイヤー自身が心底、そう信じていた。
 無意識に、胸ポケットを押さえていた。そこに肌身離さず持っているパス・ケースはシドニーを脱出する時にも、それ以前から、いつもいつも、常に身につけていたものだ。おかげで、あの災禍でも唯一、失わずにすんだ。
 しかし、中を開いて見たことはあの日以来、一度としてない。ただただ、どんな時でも、持ち歩いているだけ……。
「……クレア」
 やはり無意識に零れた名が、凍った心に、その全身に染み渡る。


 シドニー航空隊副隊長クレア・アシュヴィン中尉。
 レイヤーが隊長として、誰よりも信頼したパイロット。
 目を閉じれば、朧げに勇ましき戦女神の如き姿が蘇る。
 レイヤーを苛む悪夢にも、彼女だけは現れない──それは救いかもしれない。
 ……そうではなく、やはり、ただの自己擁護にすぎないのだろうか。

『私より、他の誰よりも、あなたの方が腕は上だわ」
『だから、あなたがやるべきなの。いいえ、やるしかないのよ』

 脱出機の操縦命令に抵抗しようとしたレイヤーを諫めた言葉の数々。

『こういう状況では私には皆をまとめられないと思ってるわけ?』
『あなたが今日まで鍛えて、率いてきた部隊よ。最後の瞬間まで冷静に行動できるわ。
私がそれを証明してみせる』

 はっきりと、刻みこまれている彼女の声──それさえも、次第に遠のいてしまう。
 確かに彼女は言った……。なのに、夢も儚く、記憶は曖昧になる。彼女の顔も声も、その姿をも、あれほど忘れないようにと願ったはずなのに、いつの間にか、薄れている。
 だからこそ、パス・ケースを開くのも怖かった。中にはクレアや仲間たちとの写真が収められているのだが、記憶との乖離を知りたくなかったのだ。

 なぜ、自分は生きているのか。なぜ、彼の地に留まらなかったのか。
 絶対の任務だったから──そうだとしても、今ここにいる理由があるのか? それは本当に正しいことなのか!? MSパイロットとして、その指揮官として、戦場に戻るのは自分自身にとって、部下にとって、誤った選択ではないのか。

……判らない。判らないんだ、クレア。あの日、行けと言った君だったら、どう思う? 何と言う?

 パイロットとして、コックピットに座るのは簡単だ。MSという兵器を操り、戦うのも決して、難しいことではない。移動目標にせよ、固定目標にせよ、スコープ内の敵を撃破するだけ……そう、散々、シミュレートしてきたのだ。

ムズカシクハ、ナイ。トテモ、カンタンナ、コトダ。


「──あっ、また仕留めた」
「凄いな。こっちはほとんど被害なしだ」
「感心するばかりじゃ、困る。諸君も、あの程度には扱えるようになってもらわんとな」
 シミュレーション・ルームのモニターを十人ほどの士官が見つめている。一人は案内役の教官で、他の者は新規のパイロット候補生だった。ただ今、オリエンテーションの真最中、たまたま使用中だったので、見学させているわけだ。
 ここは訓練時間外でも候補生ならば、使用可能なシミュレータで、本格的な訓練用とは別のシステムになっている。パイロット・スーツを着用しないでも、とにかくMSの操縦に慣れさせるのが主目的となる。
 レベルの上がった──現在の使用者ほどの腕前の持ち主にとってはゲームみたいなものでしかないだろう。しかし、これから鍛えられる新米連中は十分、感嘆し、同時に不安に襲われていた。果たして、自分にできるのだろうか、と。
「……やっぱり何かの間違いじゃないかって思いません? リーフェイ大…少尉」
「さぁ…。間違いかどうかはこれからの訓練で、はっきりするだろう」
 リーフェイと呼ばれた少尉はモニタから目を離さずに、素っ気なく答える。相手の少尉が「それはそうですが」などと呟くのを耳にして、思う。未だに『元の階級』を口にしかけるのでは別の意味で、『この任務』は務まらないだろうと。
 ここにいる十人の新規候補生は全員が情報局出身だった。ただし、各々の経歴は様々に書きかえられており、受け入れる教育隊も、その事実は知らされていなかった。全ては『特務』による操作だ。
 リーフェイ少尉──実は情報局第三課情報分析官レオン・リーフェイ大尉も、今は戦車隊出身の一少尉だった。
 やがて、シミュレーションが終了する。成績は特A──難なく果たしてみせた使用者──レイヤーだが、シミュレータから出てきた時、酷く疲れている様子だった。十人からの見学者が自分を迎えたのに、一瞬、動きが止まる。唯一、知っている教官に目が向く。
 階級は同じ中尉だが、テスト・パイロットでもあったという教官の「君の後輩だよ」との説明に納得する。オリエンテーションでは自分たちも引き回されたものだ。
「しかし、明日には出発だというのに、他にやることはないのかい、レイヤー中尉」
 レイヤーは苦笑で誤魔化した。全く、実際やることも行くアテもなく、とうに児戯に等しいシミュレーションで時間を潰し、気を紛らわせていたのだ。
 だが、やはりゲームはゲームでしかない。
 明日の準備を始める、と適当な理由で、レイヤーは引き上げようとしたが、今一度、呼び止められる。教官が表情を改め、敬礼を施した。
「御武運を、お祈りしております」
 新しい生徒の前だったが、教官はレイヤーを今や生徒ではなく、一人の同格のパイロットとして扱ったのだ。
 幾分、目を瞠ったレイヤー中尉は返礼し、シミュレーション・ルームを後にした。
 振り返った中尉は教官に戻り、「さぁ、次に行くぞ」と急き立てられた新人たちも部屋を出る。
 ぞろぞろと歩く中で、レオン・リーフェイはふと足を止め、通路の反対方向を見返した。先刻の中尉の後姿が角を曲がり、視界から消える。
「……荒れていたな」
 シミュレーションと教官との会話から感じ取れた程度だったが、しかし、「なぜ?」と疑問が湧く。彼が荒れている理由ではなく、この自分が彼を気にかけたことの意味にだ。明日にもどこかの任地に飛ぶだろう、偶然、見《まみ》えただけの、あの中尉を……。
 瞬間、識《し》る──恐らく、何れ又、道が重なるのだろう。多分、間違いない。正しく“カン”としか呼べないものだが、この類の勘は外れた例《ためし》がない。
 無論、今は確かめることなど、できるはずがない。
「リーフェイ少尉。どうした?」
「いえ。──申し訳ありません」
 足早に追いついたのはもちろん、新人の集団だった。


 一人、レイヤーは当基地での自室に戻った。荷物の整理などせず、簡易ベッドに転がり、腕で目を覆う。
 MSで戦うのは簡単だ。そして…、死ぬのも呆気ないだろう。
 だが、主任教官も言ったように自分には三人の部下がつく。あの気のいいバーガーに、穏やかなユン。そして、まだ見知らぬソナー・オペレーター──三人に対する責任が重かった。

 俺はなぜ、『ここ』にいるのか。『ここ』で何ができるのか。
 彼らを率いて、何を、するのだろう。

 もう一方の手が胸ポケットをまさぐる。パス・ケースの、固い感触。
「判らないよ、クレア。教えて、くれ……」
 だが、朧げな戦女神は、ただ無言で微笑むだけだった。

 自分の道がどこに向かっているのか、彼には見えていない。

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 うっし!! ついに真打登場☆ タハハハハ^^ いやぁ、嬉しいねぇ。でも、最初はレイヤーさんとレオンがここで接近遭遇する予定はありませんでした。あんまし運命的(核爆)にならない程度に留めたつもりだけど、さて?(あ、間違っても、あっちの話じゃないぞぉ。って、なぜ、わざわざ断らねばならんのじゃ?)
 次は3週間もかからないように頑張りたいっス♪

2002.04.21

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