砂塵の蜃楼《すなのみちしるべ》

 デスクに戻り、期日の迫っている書類を取り上げ、パラパラと捲る。だが、さすがに今は集中できそうにない。書類を山に重ね、軽く嘆息する。大体、間に合わないだろう。
「──課長、何だって?」
 ジャブローの本局とはいえ、個人オフィスを有する部署や職責は限られてくる。情報局第三課・分析課では主としてチームで活動し、情報のやり取り・分析を行い、報告をまとめるので、個人オフィスは課長公室くらいなものだ。
 呼びかけられたレオン・リーフェイ大尉は隣のデスクを見やる。好奇心を露にした同僚のルスツ大尉が椅子ごと、近づいてきた。何事にも客観的たるべきと信じる分析官としては彼はいささか、関心を寄せすぎる。
 課長に呼ばれたこと自体は特に極秘でも何でもない。ただ、告げられた内容の一部は特Aクラスの極秘事項だった。むろん、話すわけにもいかず、用意された台本を読み上げるように答える。
「一月ばかり、出向を命じられた」
「へぇ? お前もか。一ヶ月出向組がやたらと多いな。うちじゃ、マイルズとグラントも呼ばれてたし、他の課でもさ、数人単位で出向だと。お前と同じ任務──だよな? やっぱり、あれか。ヨーロッパの作戦と関係あるのかな」
 尋いているわけではないので、答える必要もない。
 ルスツにすれば、リーフェイの反応を期待したのだが、空振りだった。尤も、予想の範疇だが……。それでなくとも、万事に公平で客観的で、表情を変えることがない男だ。
 意味深な笑みを深め、ついでにわざとらしいほどに声も潜める。
「しっかし、何らかの作戦に向けてのチーム編成にしちゃ、妙なんだよなぁ。二課なんて、元々の人員は三課《うち》より少ないのに、呼ばれたのは多いんだぜ」
 新作戦のためにしてはアンバランスだった。二課は現場に出る収集任務が本領なので、本局では案外、小家族制だ。にも拘らず、それなりに頭数の揃っている三課よりも出されるのが解せないのも当然だろう。しかも、局全体としてはそれほどの大人数でもないのだ。
「そうやって、皆に尋いて回っているのかい」
「でもないけど、マイルズたちとは一寸な。ただ、二人ともエラく不機嫌でさ。ろくに話もできなかったけどな。どんな任務なんだか」
 我が身の不運に、彼らの機嫌も悪くなるだろうとは納得できる。とはいえ、リーフェイ自身はさほど、運が損なわれたなどとは感じていなかった。自分の感性というものが他人よりも幾分、乏しいのだとは激昂する課長の反応からも理解していたが。
「なぁ、どこに行くんだ。……言えないのか?」
「別に。どこっても、どこにも行かないし」
「え? って、やっぱりジャブローなのか」
「まぁね。ただ、君が考えているようなものじゃない。この間、適性検査やったろう」
「適性検査? あぁ、あのよく判らないテスト……おいっ、リーフェイ!」
 ガタンと大きく椅子を鳴らして、立ち上がる。
「あれって、確かモビル・スーツの──お前が? ジョーダンだろうっ!?」
「いや、とりあえず約一ヶ月間、教育隊での訓練に参加しろとの正式な命令だ」
 同僚の中でもトップ・クラスの分析官と評価されている当の本人の冷めた言い様に、課長と同じように、一気に顔色が白から赤に変わっていく。面白いように……。
「おっ、お前は……何だって、そう平然と!」
 つい責める口調になったが、すぐに脱力してしまう。どこまでも淡々と見返してくるのに、「こいつはこういう奴だった」と改めて思うのだ。溜息とともに、背もたれを両手で抱えこむ格好で、椅子に座り直す。
「しっかし、パイロットとは。まさか、お前にそういうの素質があるとはね……」
「自分でも驚いてるよ」
 とても、そうは見えん、とは口にせず、
「課長もさぞ胃が痛いだろうな。お前を手放さなきゃならんとは。よくも拒否しなかったもんだ」
「キリがないからだろう。どこの課でも、人員は一人でも惜しいのが本音だ。まぁ、訓練結果次第で、早々にお払い箱になる可能性もあるらしいしね」
「なるほどね。その一縷の望みに課長もすがってるってわけだ」
 ギシギシと椅子を揺らせて、肩をすくめる。
「そんなわけで、最低でも一月は留守にする。君にも幾つか案件を引き継いでもらうから、楽しみにしてくれ」
「うっ、やっぱり? なぁ、リーフェイ、手を抜いちまえよ。そうすりゃ──」
「教官に殺されたくはないなぁ」
 顔を引きつらせながらも、ルスツは「シャレにならんな」とひとしきり、笑ってみせた。


 笑い事ではなかった。全くシャレにならない相手なのだ。
 モビル・スーツ教育隊の教官連は全員がテスト・パイロット経験者だった。パイロット候補生たちが未だ、その目で拝んだことのない実機に搭乗し、モノにするためにテストとレポートを重ねた彼らにすれば、その努力の結晶であるMSを預けられるパイロットを育てようという意気込みも半端ではない。
 殊に外見もゴツイ主任教官の熱の入れ様は候補生にとっては恐怖の具現でもあった。

 その恐怖の大王──もとい、バックス・バック主任教官にレオン・リーフェイ『少尉』が呼ばれたのは教育隊に参加し、二週間が経過する頃だった。
 連日ひたすらに講義とシミュレータ訓練が繰り返されている。寝ても覚めても──就寝時にも睡眠学習までさせられるのには、いささか辟易した。とにかく、時間がないのだ。今は新人をモノにするために教官連に組まれた短期集中メニューは予想以上に、苛酷なものだった。
 そして、二週間。そろそろ、仮想チームを組んでの訓練に入る、と通達された後、リーフェイ少尉は一人、教官室に出頭させられたのだ。だが、何かしら問題でもあったのだろうか。単独の呼び出しではチーム編成の通達とは考えにくい。
 その“判断”は間違ってはいなかった。問題そのものも又、予想をはるかに超えていたが…。大抵のことには動じないリーフェイを驚かせるに十二分なほどに。

 コワモテの主任教官が深刻な顔をしているというだけで、リーフェイでさえ、多少は身構えたものだった。
「リーフェイ少尉。これから、貴官には他の者とは違うメニューに入ってもらう」
 重々しく咳払いをし、複数枚のディスクをデスクに置く。
「シミュレーション・データ、ですか?」
「そうだ。お前さんたちと入れ違いで、実地訓練に移った連中のな。これは現在オーストラリアで、最終訓練に入ったチーム、ホワイト・ディンゴのものだ。・・・・ほぼ、完全に仕上がっていたんだがな」
 主任教官ともあろう者が候補生の前で、盛大な溜息をついてしまった。
「メンバーの一人が負傷してな。戦闘不能状態に陥った」
 それだけで、ディスクを“渡される”意味の察しはついたが、次の言葉を待つ。
「そこでだ。補充要員として、お前さんに行ってもらいたい」
「──了解しました。いつまでにでしょうか」
 あまりにあっさりと承諾したので、教官も毒気を抜かれたようにデスクを挟んで立つ東洋系の少尉を数秒、マジマジと眺めてしまう。
 「行ってもらいたい」などという、いささか気弱な発言に、教官の困惑ぶりも表れているが、これは“命令”なのだと少尉は理解していたのだ。
「あぁ……早いに越したことはないが、ムリはせんでいい。とにかく、補充せんことには後の三人も動けん」
 焦ったがために、かえって、時間をロスすることだけは避けたかった。
 とりあえず、リーフェイ少尉は残された記録から、『ホワイト・ディンゴ』のフォーメーションと独自のコンビネーションを掴むのが最重要任務となった。
 全く、古巣の三課課長やルスツ大尉ら同僚の切なる願いとは裏腹に、レオン・リーフェイのパイロット能力は標準以上に優れていたのだ。どうにも、一ヶ月で戻るのは不可能らしい。
「リーフェイ、お前さんのポジションはシミュレーション内のコマンド2だ。まぁ、ホワイト・ディンゴではファング2となるがな。それと、これは他のメンバーの経歴だ」
 用意してあった、さほど厚くもないファイルを前に出す。そして、両手を顔の前で組み、「期待しとるぞ」と真摯な表情で告げる。
 ここまで主任教官が言うのは珍しいが、それだけ切迫している証かもしれない。
 何れにせよ、「期待されている」候補生は特に気負う様子も見せず、あるいは無感動に敬礼し、ディスクを収めたケースとファイルを手に退出していった。


「大丈夫ですかね」
「最善と判断し、彼に決めた。そうじゃなかったか?」
 事態が事態だ。シミュレータのみでの基礎訓練二週経過でしかない新米が心の準備もないままに、すでに参戦に向け、訓練の最終段階に入っているチームへの補充を命じられれば、ほとんどは怯むだろう。選抜条件として、第一に移行可能な実技レベルにあるのは当然だが、第二に冷静に受け止められる者でなければならなかった。
 そうして、名が上がったのは──現時点ではレオン・リーフェイ少尉一人だけだったのだ。尤も、実際にあれほど平然とされるとは思いもしなかったが。
「今回ばかりは俺もアワ食った。実戦を前に離脱する者が出るとは」
 それもよりによって、期待頭の『ホワイト・ディンゴ』でだ。一人でも欠ければ、チームとしての行動は取れない。少数精鋭による特殊遊撃MS小隊の最大の弱点といえる。
 彼らと同期のパイロットたちも何れかのチームに属している。元々の人数が少ないためもあり、『至急、補充されたし』とジャブローに要請がきた。
「しかし、今後も補充が必要となる可能性もありますね。実戦に投入され始めれば、何れは被害も出るでしょうし……そうなれば、残った者の編成も見直さねばならなくなるかもしれません」
 手塩にかけて育てたパイロットたち──だが、彼らが赴くのは戦場なのだ。どれほど、願っても、希んでも、被害が皆無などとはありえないのだ。
 頭の痛いことではあるが……戦地から離れた教育隊の教官たちにできるのは、持ちうる知識と技術を伝えられるだけ伝え、教え子の武運を祈ることだけだった。


 教育隊に送られ、二週間ばかりで早々に戦場行きが決まったようなものだが、さしたる不安や疑問は湧かない。やるしかない、という強烈な意気込みとも又、無縁だった。
 ただ、淡々と状況を受け入れていた。必要と判断され、正当な命令であれば、拒否することもなく、遂行のため尽力はする……。分析課に長く所属し、デスク・ワークこそが任務だったが、確かにレオン・リーフェイは軍人なのだ。

 そして、今の任務は渡されたシミュレーション・データを観戦することだった。何にも影響されない段階での真新な印象を確かめたかったのだ。シミュレータにデータを移した仮想コマンド1・3とのチーム戦闘訓練に入る前に──ただ、それは限りなく本物に近いシミュレーションだろうが、集積されたデータとはいえ、やはり現実のチーム・メンバーとは異なるだろう。
 ……が、データ内のコマンド1の動きに既視感を覚える。十分に慎重で的確だが、瞬間、ほんの刹那とはいえ、信じがたい荒っぽさが紛れこむ。
 観戦を終え、メンバーの経歴を確かめる。ファイルには教官たちによる性格なども含めた評価も簡単に記載されている。ただ、リーフェイとしては他人の評価はあくまでも、他人のものだ。当人たちに直に対面する時まで、シミュレーション・データ同様に、参考にしかならないと考えていた。
 それはともかく、参考データの中に覚えのある一つの名を見いだした。

『マスター・ピース・レイヤー中尉』

 思いの外、早く道は重なるものらしい。

(3) (5)


 よっしゃあっ!! ついについにレオンがメインのシーンとなりました☆ あぁ、長かったぜい(シミジミ) ッたく何で、こんなに時間くったんだ? 結局3週間近くかかってしまったし。
 次章からはいよいよ、熱砂の大陸へと舞台を移す予定デス。

2002.05.11

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