砂塵の蜃楼《すなのみちしるべ》

 美しき青き海、広漠なる砂の海、希少なる特有の生命──豊かな大自然に彩られた大陸。
 かつて、多くの観光客を迎えた“南の楽園”オーストラリア。
 だが、今はこう呼ばれる──“コロニーの落ちた地”と… 。


 整備場の喧噪の中、一番乗りのアニタ・ジュリアン軍曹は次に現れた仲間が一人だけなのを訝しげに迎える。
「ユン少尉、バーガー少尉は」
「あー、一寸引っかかってる。シルバー・サイライシンの連中と夜、カードをつきあうそうだ」
 少々、言いにくそうに答えたのはパイロットの一人ユン・シジョン少尉だ。
「フ…ン、どーせ、お目当てはあのオペレータの子なんでしょ」
「気になるかい?」
「なりません。ユン少尉は」
 目を据わらせて、一言のもとに言い捨てるアニタをユンが遮る。
「シジョンでいいんだよ、アニタ。我々ホワイト・ディンゴは四人だけのチームだ。隊長はともかく、堅苦しいのはやめよう。マイクも言ったろう」
「ですが──」
「君もマイクに面と向かってはバーガー少尉なんて呼ばないだろう」
 確かに、陽気で他人に警戒心を抱かせないマクシミリアン・バーガー少尉に対すると、つい士官相手だというのを忘れてしまう。アニタは一つ溜息をつく。
「ですけど……私、どうも納得できないのよね」
 口調が変わる。
「何で、マクシミリアンなのに、マイクなの? 普通、マックスじゃない」
「まぁ、本人がそう呼んでくれって、いってるんだし……」
 意外なところに拘りをみせるアニタに苦笑しつつも、ユンは彼女との初顔合わせの日を思い返す。

『よーろしく、アニタお嬢さん』
『ジュリアン軍曹です、バーガー少尉』
『堅苦しいなぁ。そんな睨まないでよ』
『その……人を揶揄うような言い方はやめて下さい』
『んじゃ、アニタちゃん』
『──却下よ!!』

 ユンはもちろん、隊長までが呆れたように見ていたものだ。
 ……あれが彼ら特殊遊撃MS小隊『ホワイト・ディンゴ』戦闘メンバーが結集した日でもある。

 9月末、ジャブローでのシミュレータ基礎訓練を終えた新人パイロット集団はオーストラリアへと渡った。


 コロニー堕し後の気候の変動で、乾燥地帯はさらに住みにくくなり、各都市間の交通量も激減した。人口は一層、まだしも生活環境の整っている都市部に集中し、その機能を支えた。しかし、大陸には豊富な鉱物資源が眠っている。
 ジオン軍は『ブリティッシュ作戦』の失敗と『南極条約』締結──これが停戦を謳うものではなく、戦争が継続されることにより、地球各地の占領を急いだ。正確にはサイド『国家』である以上、近く絶対的に不足する資源確保のための占領だ。
 コロニー堕しの被災地オーストラリアも例外ではなかった。むしろ、その影響で激しい争奪戦にもならず、ほぼ重要な都市・鉄道・港・空港・宙港・鉱山をジオン軍は手中に収め、大陸全土が地球各戦線への後方支援基地の様相を呈していた。
 辛うじて、連邦軍が支配下に置いたのは戦略的価値をジオンに認められなかったような地域だけで、しかも、分断され、連絡も儘ならぬ状況だった。
 ……だが、連邦は捲土重来を信じていた。たとえ、今は戦略的に意味がなくとも、力を蓄え、堅牢なるジオンという堤も切り崩してくれようと、時機を計っていたのだ。
 そんな連邦軍の数少ない拠点の一つがバーズビルだ。大鑽井《だいさんせい》盆地とレークエーア盆地のほぼ中間に位置し、水量は減ったものの、周辺には川や湖も多い。西にはシンプソン砂漠が広がり、東から南にはいくつかの山脈が立ちふさがる。正に天然の要害といえる。水に恵まれているのはジオンにも魅力だろうが、無理な攻略を望むほどではなかった。
 難をいえば、内陸部であることだ。大陸間鉄道は通じておらず──尤も、鉄道は完全にジオン軍に掌握され、孤立しているのは逆に幸いかもしれない──空路に頼るほかない。もっぱら使われるのはシドニー湾から北西への進入コースで、コース上は幾つかの連邦軍基地が睨みをきかす。そうして、ユン少尉らもバーズビル郊外の基地に達した。
 そこで待っていたのは先に現地訓練に入っていたアニタらソナーオペレータと実機たるモビル・スーツ『GM』だ。その姿を初めて、見上げた時、鋼鉄の巨人は自らの腹にパイロットが乗りこみ、戦うのを今かと待ち構えているようだった。
 即刻、各チームは総仕上げを目指す。承知してはいたが、シミュレータと実機はやはり、手応えが違う。だが、鬼教官に徹底的に鍛えられてきたパイロットたちの適応は早く、チーム同士を仮想敵としての本格的訓練に移っていった。
 訓練は主にシンプソン砂漠外縁部で行われた。何といっても、この熱砂の大陸での戦闘舞台は砂漠に占められよう。ただ、後には山地や湿地帯でも模擬戦は行った。機動力に富んだ特殊遊撃MS小隊の任務の性質上、あらゆる戦場が想定される。その意味でも、様々な顔を持つバーズビル周辺の地形は演習地としては最適だった。


 不意にアニタが顔をしかめ、後ろを振り向く。
「どうしたんだい」
「ん……何か、さっきから変な音がしてるようなんだけど」
 変な音とは──GMの整備が進む喧噪の中から、異音を拾い上げるのは聴力に優れたソナーオペレータならではだろう。ユンにはさっぱり聞き取れない。
 アニタは異音を求めるように辺りを見回すが、別の確かな存在に気を取られる。
「あ、隊長。──もう、マイクの奴、何やってるのよ」
 先刻、ユンが入ってきた出入口を見やり、まだ現れる気配のない仲間に毒づく。
 一方のユンは反対方向から歩いてくる隊長、マスター・ピース・レイヤー中尉の姿を追っていた。と、その視界にパラパラと上から何かが落ちてくる? 「何だ」と訝る前に目を上げる。
 その時、ユンも又、異音とやらをはっきりと聞いた。いや、音は次第に大きく、この場にいる誰もが気づくほどになっていく。
 その音に体を強張らせたアニタが振り返った瞬間にはユンは走り出していた。
「隊長! 上っ」
 彼は誰よりも早く事態を把握した──はっきりと見たのだ。
 壁面にGMの武器であるマシンガンを固定している銃架からビスが弾け飛ぶのを。
 ショックと自重でマシンガンが揺らぐのを。
 そして、その下にレイヤーが近づいているのを!
「シジョン!?」
 アニタの叫びに重なり、補助用のワイヤーロープが外れる。弧を描き、遠心力で壁に叩きつけられる。
 ユン少尉の切羽つまった声と響き渡る異音、何よりも剥がれ落ちる壁の欠片やロープにレイヤーは足を止めた。仰いだその目が補助ロープの支えを失い、反動で落下しようとするマシンガンを捕らえた。
 真下ではない。だが、このままでは巨人の武器は目前に落ちる。にも拘らず、レイヤーは動かなかった。……動けなかったのか? それは彼自身にも解らない・・・・。

 凍りついたようなレイヤーを、ユンは見留める。
 とっさに駆け出したのは最悪の事態を予想してのことなのか。ジャブローからの出立間際に主任教官より密かに伝えられた、あの打ち明け話がよぎる。
 だが、ともに訓練に参加することで知った、確かに優れた指揮官でもある彼を、絶対に失うわけにはいかない。それは置いても、仲間として、放ってはおけないではないか!

 ユン少尉が叫んでから、数瞬のことだった。
 全力で駆けつけたユンはその勢いのまま、レイヤーにタックルをかけた。
 後ろ向きに吹っ飛ばされたレイヤーが我に返った瞬間、破壊的な衝突音と自分を抱えこむユンのくぐもった呻きを聞く。
 ほぼ同時に背中から床に叩きつけられ、一瞬、息がつまった……。


「やっべぇ、遅くなっちまった」
 集合時間はきっかり一分後だ。マクシミリアン・バーガー少尉は早足で整備場に向かう。が、その目前で凄まじい轟音が通路にまで響き渡ったのだ。当然、一度は足が止まる。次いで、何やら叫び声……。
「な、何事だ」
 慌てて、整備場に飛びこんでいく。目を疑うばかりの惨状だった。騒然とし、悲鳴に近い怒号が飛び交う。床には損壊し、破片をバラまいているマシンガン。事故か。ケガ人も相当数、出ているようだ。
「隊長たちは?」
 さすがに蒼くなる。すでに集合時間を過ぎている。先に行ったユンだけでなく、全員が揃っているとみるべきだ。果たして、
「アニタッ。おい、大丈夫か」
「・・・・マイク?」
 幸いに、すぐにアニタを見つけた。座りこんでいたが、ケガはないらしい。しかし、耳がいいだけに、あの轟音は堪えたようで、普段の勝ち気活発さが殺がれ、ボーッとしている。
「あ…、平気。それより、マイク。隊長とシジョンが」
 厳しい顔で、マイクはふらつくアニタを支え、立ち上がった。辺りでは無傷の者がケガ人の確認をし、心得のある者は応急手当を始めていた。

 痺れるような背中の痛みが意識を引き戻す。レイヤーは体を起こそうとするが、誰かが上に倒れこんでいる。それがユン・シジョンであるとは、すぐに思い出した。
「ユン少尉? おい・・・!」
 ユンの背に触れた手が異様な感触を覚える。体をずらすようにして、その下から抜け出したレイヤーは、だが、彼の状態に目を剥いた。マシンガンの破片を受けた傷が足や背中を血に染めている。比喩ではなく、目の前が真暗になった。思わず、口元を押さえた手も鮮血で濡れている。饐えた臭いは何と生々しいのか。
「ユン、少……シジョン! 聞こえるか? おいっ」
 頼むから、返事をしてくれ──心の叫びに応ずるように、低い掠れた声が耳に届く。
「………隊長、お怪我は?」
「人のことより、自分の心配をしろっ」
「隊長っ、シジョン!」
 怒鳴り声に呼びかけが被る。マシンガンの残骸を迂回し、駆けつけたマイクとアニタだ。ユンの傷に、アニタが大きく息をのむ。
「ドクターを…、医療班を早く!」
 浅く呼吸するユンを抱え、二人に叫ぶ。友人の惨い有様に顔を歪めたマイクだが、駆け寄ったところで何もできない。医療班への連絡確認を行うべく、即座に踵を返したのだ。
 ユンを窺い、二人の傍らに膝をついたアニタはレイヤーの額から出血しているのに気づく。
「隊長も血が……」
「掠り傷だ、大したことはない」
 背や足の傷に負担をかけないように支えていたユンはすでに気を失っている。

なぜだ、と思う。
 なぜ、俺などを庇い、彼が負傷せねばならない。
なぜ? この俺ではなく、彼が!?
大体、なぜ、彼は俺などを庇ったのだ。
なぜ、なぜ、なぜ!?

 焦燥にも似た理不尽な怒りが湧き起こる。何に、誰に対してのものなのか。

 だが、レイヤーはその答えからは目を背けようとしていた。

(4) (6)


 舞台は熱砂の大陸へ☆ そして、『ユン・シジョン少尉、受難の回』でございます。すぐに退場じゃ、あんましなので、経過もきちんと触れておこうと思ったら、一章予定が二章(多分^^;;)になりそうです。次も出るぞ★
 ところで、名前表記についてですが、今までは姓・階級で統一してましたが、アニタが出たことで、原作小説版に準じるようにしました。全編で統一されていないのはやはり収まりも悪いので、後々、方向性を改めようかと思います。いつもいつも、これには悩まされてきたんだよなぁ。

2002.05.31

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