砂塵の蜃楼《すなのみちしるべ》

「……何、情けない顔してるんだよ、マイク」
「誰のせいだよ」
 常に飄々としている同僚にしては暗い表情と口調に、ユン・シジョンは苦笑する。いささか調子が狂うとは思いながら、
「俺のせいかい?」
「みっともない八つ当たりよ。気にしないで、シジョン。隊長に灸をすえられて、腐ってるだけなんだから」
「アニタ!」
 余計なことを、と言いたげなマクシミリアン・バーガーに対し、どこ吹く風のアニタ・ジュリアン……一見、いつもと変わらぬ様だが、ユンは溜息をもらした。
「マイク。何、言ったんだ」
 不自然なほどに黙りこむマイクをおいて、説明したのは当然、アニタしかいない。それも事細かに。

 事故現場の整備場では負傷者が早急に病院送りされた後、とりあえず、後始末と事故原因究明のための検証が行われた。
「隊長、全く申しわけない」
 整備士長のボブ・ロック曹長は傍目にも幾らかやつれた面持ちで、マスター・レイヤー中尉に頭を下げた。居合わせた整備分隊のメカニックたちも一様に項垂れている。
 銃架からのマシンガン落下──銃架を固定しているビスの一列が揃って、吹き飛んだのだ。ビスが腐食していたとか、その強度が足りなかったというわけではないようだ。単に……少々、考えられないことではあるが、ビスが緩んでいたらしい。最初に設置した際に確認しなかったのか、見落としたのか──つまりは初歩的な人為的ミスというものだ。
 整備場の全てを監督する立場にあるボブが責任を痛感するのも無理はない。何しろ、貴重なパイロットが一名、重傷を負ったのだ。それこそ、責任を問われても仕方がないほどだ。
 レイヤーは黙したまま、完全に取り外された銃架の後を見上げた。一基分だけ空間が開いている。残る二基の銃架や他の装備も念のため、チェックされた。
 隊長に並んでいるマイクは、あまりに深刻そうな空気に耐えられなかったのか、努めて、明るい声を上げた。
「でも、死人が出なかったんだから、不幸中の幸いだったよ」
 ……あんまし、慰めにはならなかったようだ。
「あー、けどさ、ホントにただの事故だったのかな。案外、創設間もないMS小隊を狙った敵さんの仕業だったりして──」
 ………場が、凍りついた。漣の如き動揺が広がっていく。間が持たずに気軽な調子で言ってのけた、当のマイクだけが場の雰囲気を掴めなかったのだ。
 半瞬後、酷く冷たい声でレイヤーが言い放つ。
「バーガー少尉、憶測で、バカなことを言うな」
「え…。あの、隊長?」
 一喝されたマイクには咄嗟に、その理由が解らなかったらしい。
「どうも、君は不用意な発言が多すぎる。──整備士長、すまない。私から謝罪する」
 今度はレイヤーに頭を下げられ、幾らか強張った顔のまま、ボブも戸惑った様子で「いやぁ」などと口ごもり、頭をかいた。
 だが、即座に隊長が部下をたしなめたのは功を奏した。瞬間的にメカニックの間に広がったパイロットへの不満は、とりあえず、和らいだのだ。後はマイク自身の努力によるだろう。

 それは今はマイクも理解している。とは察しても、ユンは又もや嘆息せずにはいられなかった。その前に、気づいてくれてもよさそうなものだ。
「全く……隊長の言う通りだ。確かにお前さんは考えなしに、ものを言いすぎるな」
「だから、反省してるって」
「反省なんてのは、後からなら幾らでもできる。……だが、一度生じた不信感は中々、埋められないものだ。マイク、パイロットがメカニックを信じられないで、どうする?」
「解ってるって。隊長にもさんざ、注意された」
 特に『ホワイト・ディンゴ』のような小所帯では覿面だ。パイロットの命運は自身の腕の善し悪しだけでなく、搭乗機の整備の如何にもかかってくる。最新鋭機だろうと、エースだろうと、不備があれば、撃破されるだけだ。パイロットは命を託すように、整備をメカニックに委ねるわけだ。
 そして、又メカニックにもパイロットの命を預かっているのだという自負がある。そこに信頼がある。これが揺らげば、構成人数の少ない小隊ほど影響も大きい。殊に、メカニックを疑うような言葉がパイロットの口から出たとあっては死活問題になる。
 レイヤーが隊長として、即座にマクシミリアン・バーガー少尉を一喝したのも当然なのだ。された方も、理屈としては解っているつもりだった。
「そりゃ、確かに軽はずみだったよ。でもな、俺は別にボブたちのメカニックとしての腕前を疑ったわけじゃないんだぜ」
「そういう問題じゃない。本当に解ってるのかい」
「全くだわ。あれじゃ、メカニックの中に敵のスパイでも紛れこんでるような言い様だったもの。それはそれで、問題発言よ」
「だーからぁ、別にメカニックの中にいるかもしれないなんて、一言も言ってないんだって」
「だから、そういう問題じゃないっての」
 二人に声を揃えて、強く戒められ、ぐうの音も出ないマイクだった。
 尤も、反論できなかったのはベッドの上で、ユンが痛そうに顔を歪めたせいもある。
「おい、無理するなよ」
「シジョン、もう休んだ方が。あたしたち、今日はこれで──」
「……いや、大丈夫。暇で暇で、どうしようもないんだ。もう少し、つきあってくれよ」
 辛そうだが、笑ってみせたユンはわずかに姿勢をかえた。あの凄惨な傷を思い出し、二人とも言葉もない。特に背中と足に裂傷を負ったユンは仰向けに横たわることもできないのだ。
「どんな……具合だ」
 言ってしまって、なぜ、こんな問いしか出ないのだろうと笑いたくなる。愚問ではないか。
 そんな焦心も察しているのだろうか、一つ息をついたユンが又、笑みを浮かべる。
「まぁ、骨をやられなかっただけでも運がいい方だろう。そうなってたら、隊長も無傷《ただ》では済まなかったろうしな」
 二人分の体重を受けて、背中から床に叩きつけられたのはレイヤーなのだ。打ち身程度で済んでくれなければ、庇った甲斐がないというものだ。
「そういうけど、ヒビはいってるんでしょう。それに、その骨が見えるくらい深い傷だったのよ」
「そりゃ、グロイなぁ。自分の背中は見えなくて、よかったよ。見たら、失神ものだよ」
 マイクほどではないが──それとも、マイクとつき合って、笑いに紛らわせようとするのを覚えたのだろうか。ただし、笑い話にするにはさすがに重すぎる内容ではあるが。
「それで、隊長はどうしてる」
「見舞いにはきてないの?」
「一日に一回は顔を出してくれるけどね」
 負傷し、失神したユンが手術を受け、目を覚ますまではほとんど付っきりだったと聞いている。だが、今は顔を出すだけで、大した会話もない。話しかけても、どうも心ここにあらずといった様子で、自然とユンも口数が少なくなる。そうでなくとも、話すのはやはり疲れるのだ。
 それを見越したかのように、レイヤーは「大事に」との一言を残し、出ていくのが常だ。
 だから、自分の負傷によって生じたはずの様々な問題を、その解決の行方をユンは知ることができなかった。どれだけ、ここに留まれるのかさえも──それは医務方が決めることだとしても、残された限られた時間内で、できるだけのことはしておきたかった。
「マイク、俺の後釜については何か知ってるか」
「え? いや、まだ決まっては──とにかく、ジャブローには連絡したけど。俺たちと同期の連中にはバックアップに回れる奴は残っていないんだと」
「それじゃ、あちらで訓練中の候補生から選出するのか……」
 何てことだ、と口の中で呟く。やはり状況は厳しい。自分たちでさえ、決して訓練時間も十分とはいえず、相当に無理なスケジュールをこなして、今日までチームを作り上げてきたのだ。その一人が脱落し、さらに経験不足なパイロットが加わり、チーム作りの出直しとなるとは。
 もしかしたら、もう『ホワイト・ディンゴ』はチームとして成立しないかもしれない。三人は、それこそ、バックアップ要員として控えさせられる可能性すらあった。
 或いはその方がレイヤー中尉にとっては──……。
「シジョン?」
 心配そうな呼びかけに、思考が絶たれる。二人の同僚がそこにはいる。
 まだ、何も決まったわけではないのだと気づく。彼らが残っているのだと。
「マイク、隊長のフォローを頼むぞ」
「な、何だよ、いきなり」
「いきなりも何も、そうなるだろう。それとも、お前。突然、訓練変更をさせられた上に、実戦部隊に回されてくる新任のパイロットに、その役目を押しつける気か」
「でも、マイクじゃねぇ。案外、シジョンの後任の方がマシだったりして」
「おい。ケンカ売ってんのかね、アニタお嬢さん」
「悔しかったら、任せとけ、くらい胸張って、言いなさいよ。せめて、シジョンを安心させてあげようっていう、気遣いはできないわけ?」
「……仲いいのも結構だけど、それじゃ、ちっとも安心して、ここを離れられないよ」
 仲いい発言に途端に二人から反論の嵐──どうにも、ユンは苦笑を抑えられない。

 多分、レイヤー隊長の経歴書では触れられていない過去を二人は知らない。ユンも主任教官から告げられなければ、知らずにいたのだ。それを明かすわけにはいかない。
 その過去故に、今又、自身の負傷に対し、あのように接するレイヤーを一人の人間として、不安に思う。それでも、自分にはもう、彼を支えることはできないのだ。
 彼の傍らに残る、この二人の明るさが、せめて救いになってくれることを、そして、何れ訪れるだろうファング2の席を埋めるパイロットに望みを託すしかなかった。
 ……まだ、ユンはここにいる。だが、すでに心までもが遠のいているような気分に陥る。それも錯覚ではないのだろう。もはや、自分は『ホワイト・ディンゴ』のファング2パイロットではないのだと、寂しくも思い知らされたのだった。


 事故から一週間後、ユン・シジョン少尉はバーズビル基地を離れる。連邦軍オーストラリア方面軍の一大拠点として、軍病院も含めた設備は整っているが、反抗作戦を前に、即戦力とならない者を置いておけるほどの余裕もないためだ。当面、送られるのはチャールビルとのことだ。
 大丈夫だと言い張ったユン少尉は車椅子で、輸送機に向かう。レイヤー隊長を始め、メカニックから主計担当まで、小隊に所属する全員が揃って、送り出そうとしている。
「とにかく……シジョン。傷を早く治すことだ」
「はい。ありがとうございます、隊長」
 あの事故の瞬間から、名前で呼ぶようになったな、と漠然と思いながらも、ユンは頷く。なのに、今正に隊を去ろうとは残念なことだ。だが、ユンも又、レイヤーを今も「隊長」と呼ぶ。それを誰も不思議とは思わない。
 呼びかけられたレイヤーも当然のように受け止め、ユンに顔を寄せる。
「……隊長。御自分の力の及ばないことにまで、責任を感じることはありませんよ」
「何だって?」
「何が落ちてきたって、それはあなたのせいじゃない」
 レイヤーは眉をひそめる。何が、とはマシンガンのことか。それにしてはどこか含んだような物言いだ。──次の瞬間、愕然と思い至る。

落ちてきたモノ
あの、彼の運命を変えた…
ユンは知っているのか!?

 驚愕をよそに、ユンは淡々と言葉を紡ぐ。
「あなたを庇ったのも、私の勝手です。他人の勝手な判断とその結果に、あなたが後悔するなんて、ある意味、傲慢ですよ」
 少々、キツイが、それがレイヤーの心境を思いやっての発言とは明らかだ。言葉もないレイヤーの後ろから、マイクが口を出してくる。
「おい、何の話だよ、シジョン」
「独り言だよ。マイク、アニタ、皆も元気で。それじゃ──」
 正直、脂汗が流れている。早いところ、輸送機に乗りこみ、楽な姿勢になりたかった。
 ユンの合図に、看護兵が静かに車椅子を押していく。背中に、次第に離れていく、“かつての”仲間たち……。自然、唇をかみ締める。
「──ユン・シジョン少尉に敬礼!」
 身じろいたユンに反応し、車椅子が止まる。肩越しに、ゆっくりと背後を見やる。
 マイクの号令に、一糸乱れず整列し、全員が敬礼を施している。自分の言葉に動じていたレイヤーも、その相手を送るために、挙手の礼をとっている。
 看護兵を見返すと、心得たように車椅子の向きを変えてくれた。
「ホワイト・ディンゴ隊に、ともに武運あることを──」
 ユン・シジョン少尉は返礼し、そして、『ホワイト・ディンゴ』を去ったのだった。


「大丈夫ですか、少尉。無理をされるから」
 ずっと付き添っていた看護兵の口調は幾分、責め気味だが、テキパキと介抱してくれる。無理に車椅子を使ったので、搭乗するなり、反動が出て、発熱までしていた。
「少尉、タオルを──御気分が悪いのですか?」
 濡れタオルを当てる時、ユンの目にうっすらと涙が滲んでいるのに気づいたのだ。
「あぁ……少し休ませてくれ」
 額面通りに受けとった看護兵は医療区画の照度を落とし、隣室に移っていった。
「……悔しい、もんだな」
 『ホワイト・ディンゴ』全隊員が整列し、敬礼──まるで、軍葬で送られるようなものかな、などと実は連想してしまった。多分、あれはマイクが考えたのだ。負傷し、心ならずも離任していく同僚を力づけようと……彼に他意などあるはずはない。
 それでも、あれは決定的だった。
 本当に、これからは一緒《とも》に在ることはできない。一緒に赴くことはできない。そのために費やした日々は無為となる。覚悟はしていた。にも拘らず、こうして、隊を離れた瞬間に湧き上がる思いは想像を超えていた。

 これほど堪えるとは──そんな自身を意外とは思う。
 しかし、今はこの涙を抑える術はなさそうだった……。

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 副題『さらば、ユン・ジュン』 う〜ん、完全に主役はユンS少尉となってしまいました。でも、とりあえずは今回で退場です。今後、再登場のチャンスがあるかどうかは──さて^^
 次から、漸く本家ホワイト・ディンゴのメンバー構成となる予定。長い……7章もかかるとは思わんかった^^;;; やっとレオンとレイヤーさんたちの会話が書ける(のか? 本当に??)

2002.06.18.

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