蒼穹に希う《そらにこいねがう》

第二章

 フェリペ・ミラーノ中尉が異動の辞令を受けたのは開戦から二ヶ月が経過した宇宙世紀0079年3月初め、電撃的なジオンの侵攻も、やがては戦線の拡大から膠着が生じた頃だった。
 爆撃隊への異動。さらにはオーストラリアを離れての、北米大陸の部隊への転属命令。
 一時的なものであろうが、膠着にある内に急ぎ、全軍の部隊再編が行われたのだ。

「爆撃隊か・・・」
「俺は航空偵察隊だ」
「まだいいぜ。俺なんて、輸送隊行きだよ。積み荷は重いし、足は遅い。考えようによっちゃ、一番、危険な任務じゃないか」
 そこかしこで、夫々の身の振りようについての会話が交わされていた。
 やはり、航空部隊──特に戦闘機隊は打撃を受けたためもあるが、大幅に削減され、パイロットたちは再編された他部隊に赴いていったのだ。
 かつては航空部隊の花形と持て囃された戦闘機隊の凋落ぶりを嘆く余裕などはなかった。
 膠着は正しく一時のものであり、さらに半月後には状況が動き出す。
 ジオンによる宇宙からの第二次降下作戦が敢行されたのだ。ミラーノ中尉の転任先も特に大部隊が投入された激戦区となった。キャリフォルニア・ベースを有する北米西海岸地方は双方にとって、重要な拠点となる。
 連邦は無論、必死の抵抗を試みたが、再編途上ではジオンの勢いを止められず、遂には地上の要衝の一つは敵の手に陥落た。


 ミラーノ中尉個人に関すれば、その戦いは生き延びた。撤退の最中、再度の辞令を受け、そのままヨーロッパ方面へと向かうこととなる。
 だが、着任と同時に敵ジオン軍の進撃も落ちついてきた。無闇に占領地を増やすことで、負担も増大させるのを恐れたのだろう。
 地球からの独立を名目とする彼らの地球侵攻の目的は資源の奪取にあるはずだ。つまらない戦闘で消耗するのは避け、拠点を築き、防御を固め始めたのだ。
 敵軍の様子が掴めなければ、効果的な攻撃も不可能となる。自然、連邦からの攻撃も控えられ、睨み合いとなる。
 今度こそ、地上は完全な膠着状態に陥った。
 当然、ミラーノ中尉の所属する爆撃隊の出撃回数も激減する。待機はするものの、本当に今が戦時中なのか、と疑うような雰囲気が次第に色濃くなっていった。
 まるで、時間を巻き戻したかのように──あのコロニーが落ちてくる前の、戦うべき敵の存在など、軍にいながら、宇宙でのきな臭い噂を耳にしながらも、その実は想像もしていなかった“平和”な頃のように・・・・。
 だが、今の自分が戦闘機パイロットではなく、爆撃機に搭乗する爆撃手であることが、紛れもない現実。そんなものは夢想に過ぎないのだという事実《こと》を突きつける。

何より、今は間違いなく、戦時なのだと──・・・。



「それ、本当なのか?」
「噂だよ。あくまで、噂。だけど、信憑性はあると思うな」
「連邦のモビル・スーツかぁ」
 日がな一日、待機するだけの毎日にあって、それは中々に刺激的な噂といえた。

『連邦軍もいよいよ、実戦に耐えうるモビル・スーツの開発に成功した』

 ジオンのザクはなるほど、ミノフスキー粒子の活用と合わせて、戦闘に革命的な変革を齎した。運用面でも確かに『新兵器』ではあったが、全くの『未知の兵器』かといえば、そうでもない。基礎となるべき技術は連邦にもある。ただ、ジオンに比して、相当に遅れているというだけだ。
 だが、その威力をああも見せつけられては『遅れている』で、済ませるわけにもいかない。

『目には目を、モビル・スーツにはモビル・スーツを』

 対抗できる機体を生むために、全力を傾けた開発研究が続けられているのだろう。持てる技術の粋を注ぎ込まれた連邦軍謹製モビル・スーツの誕生か。
「でもさぁ。前々から、その類《て》の噂だけはあったじゃないか。実は戦線投入されてるとか何とか。また例によって、願望の現われって奴じゃないのか」
「どこで聞いたんだ。その噂」
「輸送隊の連中からな。まぁ、そいつらも又聞きらしいんだが、何でも、実験部隊と接触した隊があるんだそうだ」
「そりゃ、補給は必要だもんな。実験部隊なら、データの回収もせにゃならんし……こいつはいよいよ、間違いないかな」
 開戦より既に八ヶ月が過ぎた現在、噂通り、開発が進んでいるのなら、実戦でのデータ収集が行われていても不思議ではない。そんな実験部隊も一つや二つではないだろう。その結果が全軍に反映される日も、そう遠くはないのかもしれない。
 即ち、モビル・スーツ隊の実戦配備だ。となれば、当然、モビル・スーツを動かすためのパイロットが必要となるわけだが、

「こないださ、健康診断やらの序でに、訳のわからんテストみたいのやったろう。あれが実はモビル・スーツ・パイロットの適性テストなんだっていう話もあるよな」
「え? マジかよ。知らない内に選抜が進んでるってのか」
 待機が続く日常にあって、最近、珍しく訪れた変化が、その一連の検査だったのだ。
「それじゃ、ひょっとしたら、また大規模な再編と異動があるかもしれないな」
「あれって、全軍で実施されたしな。選抜にしても、連邦が本腰を入れてるってことか?」
 それまで、好き勝手に推測・憶測を並べ立てていた連中が急に押し黙った。
 この隊に限っても、編成されたのは戦況が膠着してからだ。半数は前回の再編時に戦闘機隊から移ってきた者だ。
 変遷する状況下では必要であると判断されたとはいえ、爆撃隊に回されたことでパイロットとしての自負を砕かれたに等しい。現に少数ではあっても、戦闘機隊も存続しているのだ。
 無論、それは考え方にもよるのかもしれない。最早、戦闘機隊も主力ではない。貴重な人員が残されたとは限らない。
 そして、モビル・スーツの開発と実戦投入の噂だ。これからの主力部隊はジオン軍同様に、モビル・スーツ隊となるのだろう、とは誰しも、容易に想像できることだ。
 そうと解かり切っているとはいえ、割り切れるとは限らない。戦闘機隊だろうと爆撃隊だろうと、航空部隊所属としては複雑なところだ。
 だが、何よりもそれ以上に望むものもある……。
「もし、選ばれたら──俺は受けるぜ」
 一人が低く呟いた。様々な視線が集中する。
「何だって、構いやしない。ジオンの奴らに一矢報いるチャンスがあるならな」
 険の籠もった、低い声には本物の憎悪があり、少なくない仲間がそれに同調した。

必ずや、ジオンを叩き潰してやる、と。

 それは正に切実なる願望だった。航空部隊隊員としての拘りを捨ててでも、望むものがある。そのために手段を選んでなぞいられない。
 夢想でも夢物語でもなく、実現可能と思われるからこそ、決意表明も激しく熱くなった。
 そう、さして、反応もなく座っていた一人を除いては──。

〈そういう考え方もあるか……〉
 同僚の論争めいた話を聞いていたミラーノ中尉はただ、そう思っただけだった。
 どんな未来が待っているかなど、予測《わか》るわけもない。ましてや、人並に未来を望むことなど、あの大陸に置いてきてしまった──コロニーに潰された故郷の街に……。
 敵への憎悪で闘志を燃やすには、その心は痛みに深く沈み込みすぎていた。

 余りりにも静かすぎるがために、目立たず、ミラーノ中尉に仲間たちの意識が向けられることもなかった。冷静だったわけではない。ただ、冷めているとも違うだろう。
 本当に何も感じられなくなっていたのだが、当人すら、そんな自分を把握していなかった。


★      ☆      ★      ☆      ★


 モビル・スーツ・パイロット適性テストらしきもの、が行われてから一月の内に、幾人かのパイロットが隊を去っていった。
 転任先は明らかにされてはいなかったが、転出が航空部隊からだけに留まらなかったので、全軍レベルでのパイロット選出と訓練が進んでいるのは間違いないだろうと思われた。
 だが、フェリペ・ミラーノ中尉の所属は変わらなかった。当の本人も、特に感慨もなく、戦場での日々を過ごしていた。

 戦場の日々──そう、いつしか大きな変化が戦場に影を落としつつあった。
 連邦軍のモビル・スーツ開発も恐らくはその要因の一つとなったのか、次第に出撃する回数も増え、11月には大規模な反抗作戦に参戦した。黒海近辺のジオンの鉱山基地群を包囲制圧する『オデッサ作戦』だ。
 この作戦の勝利により、地球上での情勢は一気に連邦軍有利へと傾く。主要鉱山と輸送ルートを失い、戦線を維持できなくなったジオン軍も次々と占領地を放棄し、撤退を始めたのだ。
 今度は連邦が勢いに乗る番とばかりに、追い落としにかかる。それもまた、地球全域に拡がりつつあった。

あの、遥か天空よりの災厄に見舞われた大陸でも……。



 何度目かの辞令を受けた、この瞬間、ミラーノ中尉は動揺したのだと思う。久しくなかった、感情のブレだった。
「オーストラリア方面軍?」
「そう、転任だ。貴官はオーストラリアの出身だな」
 人事官は余計なことを言った。そんなことは経歴書に記載されており、わざわざ確めるまでもないだろうに。
「あの大陸でもいよいよ、反抗作戦が行われる。悪逆なる侵略者どもから、故郷の自由を取り戻してきたまえ」
 何とも御大層な物言いか。
 その『悪逆なる侵略者』は少なくとも、占領地の住民を虐げることもなく、それなりの善政を布いていると聞く。
 コロニー落下の影響で、環境や気象もさらに厳しいものとなっている、あの大陸で……。残された人々は大陸を逃げ出すことも叶わず、日々を送るためには、コロニーを落とした張本人であろうとも受け入れざるを得ない。
 いや、その『侵略者』たちは最低限以上の生活を保障してくれたのだ。むしろ、抵抗する必要なぞは感じるほどでもないのかもしれない。生きることに、ひたすら貪欲な人々の目には侮れないものがある。
 方や、正義の軍を自認する連邦軍は彼の地の民に、何をしたというのだろう。指揮すべき将兵も守るべき民をも見捨てた上に、心を痛める素振りすら見せなかったというのに!

『十派一絡げの将兵がどれだけ、犠牲になろうと、
我々さえ健在ならば、オーストラリア軍は安泰だ』

 許しがたいことに、自分はそんな連中の共犯者でもあるのだ。
 それが今さらに故郷に戻り、自由を取り戻すために戦うだと? お笑いではないか。
 軍へと指示を出せる立場にある政府とて、同様だ。荒れた世界なぞ放置するままで、有効な策《て》の一つとして打ってこなかったではないか。
「中尉、どうした。何か不服でもあるのか」
 少々、不快を帯びた声に黙考を破られる。
 仮に不服があったとしても、明言できるわけがない。
 尤も、今回はお笑い草ではあるものの、不服のあるはずもない。罪人《つみびと》であろうと、知らぬ振りもできない。故郷の情勢はずっと気にかけていたのだ。
 ミラーノ中尉は淡々と敬礼する。
「滅相もない。──謹んで、拝命致します」
 次の戦場は決まった。


 気がつけば、肌寒さを感じる。風も少し冷たい。まだ冬とはいえないが、確実にその足音は忍び寄っているのが判る。
 ポケットに手を突っこみ、空を仰ぐ。澄んだ青空が遠く感じる。秋から冬へと移ろう空はどこか馴染みが薄い。ましてや、この地の空はミラーノ中尉には未知の空だ。
 だが、近く訪れるはずのこの地の冬の空を見ることもできないのだ。
「……あぁ、あちらは、夏になるのか」
 眩く明るい陽射しの下で、仲間たちと笑い合った日々──それこそ、幻の如く遠い。思えば、逃げるようにあの大陸を後にした頃も暑かった。
 これから向かう大陸に、あの太陽の輝きは失われることなく、降り注いでいるだろうか。
 それは夢でしかない。仮にそうだとしても、ミラーノ中尉の心はその温かさを浴びることはないのだ。全てを焼き尽くす灼熱の業火は、その凄まじさ故に熱を奪い去った。
 残ったのは凍てついた心の残骸だけだ。

 それでも、揺れるのは深く刻まれた傷が凍えていてさえ尚、疼くためかもしれない。

11月、オーストラリア大陸はその微睡《まどろ》みを破られた。
連邦軍反抗作戦は新たな戦端を開き、再び戦場が具現したのだ。


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 第二章UP……第一章に何も考えずに手を入れたら、章ごとのバランスがやたら悪くなっているのに気付きました。てなわけで、ちょいと調整♪ いや、前回一章のラストとした一節を二章の頭に持ってくるという離れ業;;; 大分、違う。今後が心配だ。
 その前回、頑張った分、やはし戦闘シーンなぞは皆無。もう諦めてくれ★

2003.10.12.

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