蒼穹に希う《そらにこいねがう》
第三章 オーストラリアは地球上でも、ジオン軍侵攻後の両軍の衝突が比較的、少なかった地域だ。 占領下に置く価値のない、広大な乾燥地帯が多いことから、ジオンの占領思想が『点と線』にあったためもある。 主要な都市と鉱山、そして、鉄道を始めとした交通網を完全に手中にしていたのだ。 だが、それ以降の七ヶ月ばかりを連邦軍とて無為に送ったわけではない。様々な手を使い、偵察と情報分析を重ね、部隊を編成し、少しずつ兵力を充実させてきた。 そして、ヨーロッパ方面の『オデッサ作戦』勝利を機に一気に攻勢に移る。大陸反抗作戦は未だ準備段階にあったが、連邦は『天の時、来れり』と判断したのだ。 本格的にモビル・スーツ隊が実戦投入されたのも、この作戦に於いてだった。 多くの将兵が地球連邦軍量産モビル・スーツ『GM』を目撃──当初は驚嘆された巨人兵器も、いつしか当然あるものと考えられるようになっていった。 無論、戦力としても無視できないものとして認められたのだ。 反抗作戦下でのオーストラリア方面軍は主力三部隊、中部侵攻軍『レッド・ポッサム』・南部侵攻軍『イエロー・クオッカ』・北部侵攻軍『グリーン・イキドナ』から成る。 『イエロー・クオッカ』の最初の攻略目標は大陸南部の港湾都市アデレードだ。また『グリーン・イキドナ』は北部のダーウィン攻略に向かう。 勿論、一日二日で陥落させられるはずはない。それでも、確実に攻略は進む。 『レッド・ポッサム』が一月と経たぬ内に、アリス・スプリングス『奪還』に成功。それもほぼ無血開城で、見込まれていた損害もなく、『レッド・ポッサム』は以後、二分割され、南北侵攻軍の増援に回る。 容易ではないが、アデレード、そして、ダーウィン解放の日も遠くはないだろうと信じられていた。そして、最終目標は大陸全土からのジオン一掃──ほんの数ヶ月前までは想像もできなかったが、今や夢物語では終わらない。 人間などは現金なもので、敵の新兵器と新戦術の前に絶望に染まっていたものが、ちらつく勝利の影に、その気になる。
優勢であっても、犠牲は皆無ではない。だが、開戦直後とは雲泥の差と見ゆる戦況に、日に日に連邦軍将兵を取り巻く雰囲気も明るさを増す。 況してや、『レッド・ポッサム』はアリス・スプリングス奪還という攻略第一目標を成し遂げ、士気も高まっている。 食堂などでも大抵はグループを作り、無駄話に興じている。男性陣は「どこそこの部隊のあの娘が可愛い」とか、「食事の約束を取り付けた」だのとくっちゃべり、方や女性将兵《ウェーブ》は男どもの品定めに花を咲かせている。 フェリペ・ミラーノ中尉も時には話の輪に加わることもあるが、どちらかというと、輪の傍で一人ぼんやりと食事を取ることが多かった。付き合いの悪い奴だと同僚たちには思われているだろう。それでも、任務に差し支えるほどに浮いているわけでもない。 この日も輪の一番、外に座ってはいた。聞いているのかいないのか──いつものことなので、同僚たちもわざわざ話を振ったりはしない。 「あぁ、連邦の宣伝放送が始まったぜ」 気付いた一人の声に、誰も見ていなかったTVに目を向ける。接収した放送局から流されているという、地球連邦軍制作の宣伝放送はアリス・スプリングス解放と勝利を高らかに歌い上げている。 「チラッとでもいいから、俺たち映らないかなぁ」 「野郎のマズイ面なんか、誰も見たくはないぜ」 「あ〜ぁ。こっちでもジャクリーンちゃんが出てくれりゃいいのに」 「いやぁ。俺はあの声だけでいいね。ゾクゾクッとくるぜ」 などと好き勝手なことを言い合っている。全く余裕なものだ。 「あれ? 今の……」 不意に一人が訝しげな声を上げる。身を乗り出すようにして、画面を見つめる。 「なぁ、あれ、レイヤー大尉じゃないか?」 「レイヤーって、マスター・レイヤーか」 思わぬ名前に、ミラーノ中尉は手にしていたカップを取り落としそうになった。息を詰め、言い出した同僚を窺う。 「ほら、今、画面に映ってる──間違いないよ。あのレイヤー大尉だ」 「本当だ。何で、出てるんだ」 ミラーノ中尉も恐る恐る視線を動かす。だが、そこにはGMの姿しか捕らえられない。姿の見えないアナウンサーがタイミングよく解説してくれた。 『アリス・スプリングス無血開城に多大に貢献。特殊遊撃MS小隊ホワイト・ディンゴを指揮する小隊長、マスター・P・レイヤー中尉は侵略者より解放された市民に……』 云々と、英雄を紹介する。 居合わせた爆撃隊の全員がTV画面を注視し、夫々の反応を示した。 「荒野の迅雷とやりあったホワイト・ディンゴか。あのレイヤーが隊長だってのか」 「はぁ〜。レイヤーまでがモビル・スーツ・パイロットに転向してたとはね」 何人かが実に複雑そうに嘆息する。操縦に対するセンスを持ち合わせていることから、航空機パイロットからの転進組が占める割合が大きいからだ。 「シドニー脱出後に上とゴタゴタ起こして、戦闘機隊には戻らなかったんだよな」 「あぁ。さっき、中尉って言ってたろう。その騒ぎで降格処分を食らったんだ」 「シドニー脱出って……でも、あそこは」 再編され、大陸外から転任になった者はその辺の事情には詳しくない。 「だからさ、開戦前までは方面軍司令部はシドニーにあっただろう。お偉方はちゃっかり逃げちまったわけ。コロニーが落ちる前に。あんまし大きな声では言えんがな」 「んで、その脱出機のパイロットを務めたのがシドニー航空隊の隊長だったレイヤー大尉だ。オーストラリア空軍でも五指……いや、三指にも数えられるエースだったからな」 無駄に声を潜めてみても、皆が聞き耳を立てている。 「ゴタゴタってのは?」 「お偉方の誰某が馬鹿な放言をしたんだよ。腹に据えかねたレイヤーがそいつを殴り飛ばしちまったんだ。……無理もないさ。地獄に部下を残してまで果たした任務が、そんな連中を救うためだなんて」 「でも、結局はそれが元で司令官は更迭。司令部そのものの人事も刷新されたんだよな」 お陰で厳格だが、公平で理知的──それ故に部下からも信望厚い現司令官スタンリー・ホーキンスの指揮の下、オーストラリア方面軍は建て直されていったのだ。 一連の顛末は外聞の悪さに隠されてはいたが、時間とともに噂は広まった。少なくとも、航空部隊内では公然の秘密のような話だ。 ミラーノ中尉は震える手を堅く握り締めていた。立ち去りたかったが、足も震えるばかりで、立ち上がるどころか動けない。口の中もカラカラだ。 多分、蒼白になっているのだろうが、TV内の人物の話題に意識が向いているので、誰も気に留めていないのは幸いだ。 フラッシュ・バックのように、幾つもの光景が脳裏を走っては消える。 「二度と飛ぶ気になれなくなったとしても、不思議じゃない。モビル・スーツ隊に移ったのも渡りに船だったんじゃないかな」 「ジオンを駆逐するために……いや、仲間の敵討ちのため、かなぁ」 航空部隊出身のMSパイロットには複雑な思いを抱いていても、事情《こと》が事情なだけに、彼らもレイヤー中尉に対しては同情的な様子だ。恐らく、自分が彼の立場に立たされた場合を反射的に考えるからだろうか。 だが、ここでは唯一、同情どころではないのがミラーノ中尉だった。 〈レイヤー隊長が、アリス・スプリングスに〉 忘れられるはずのない、あの瞬間をミラーノ中尉はレイヤー隊長と共有していた。 司令部の脱出機には護衛機が何機か従っていた。当時、シドニー基地航空部隊戦闘機隊『シドニー航空隊』に所属していた彼は、その一機を任されたパイロットだったのだ。
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あの日、フェリペ・ミラーノたち十数名のパイロットは副隊長に緊急で呼び出され、すぐに戦闘飛行《フライト》準備をするように言い渡された。しかし、今一つ状況が呑み込めない。 『あの、中尉。どういうことですか。これは訓練なんですか』 確かに予定にない、突然の飛行訓練が入らないとはいえない。例え、新年早々といってもだ。 だが、指示を出しているのが中尉──クレア・アシュヴィン副隊長であるのも解せない。レイヤー隊長はどうしたのだろうか。 信じ難い状況──いや、戦況が明らかになるのに大した時間は要さなかった。 『コ、コロニーが…落ちてくる?』 口にはしてみたものの、誰一人として、その光景を思い描くことはできなかったろう。それほどに想像を絶する事態だった。ジオン『公国』軍が地球にコロニーを落とすなぞ!? 『それがオーストラリア、いえ、ここに落ちてくるんですか。このシドニーに』 『それは解からないわ。軌道艦隊が落下を食い止めるために必死になっているだろうけど、どう転ぶかは解からない。そもそも、敵の狙いはジャブローでしょうしね』 南米の地球連邦軍総司令部か!! どうあっても、守らねばなるまいが、どちらにしても、賭けのようなものだった。軌道艦隊が撃破に失敗すれば、コロニーの残骸は大気圏で燃え尽きることなく、地球各地に降り注ぐだろう。そのポイントまでを割り出せるはずがなかった。 だが、方面軍司令部には危機感があった。万が一、このシドニーが運のない落下ポイントの一つにならないという保障はないのだ。 『尤も、逆に空を飛んでいるところを直撃される危険性だって、なくはないんだけどね』 苦笑してみせるアシュヴィン中尉には然程の緊張感は見られない。或いはそう振る舞っているのか。本当に『どう転ぶか解からない』選択なのだろう。 行くも地獄、残るも地獄か。上手くいけば、何事もなかったかのような日常が蘇るだけだろう。 しかし、心に負い目は残る。万が一──本当に万が一、シドニー近辺にコロニーの残骸が落ち、被害を蒙り、犠牲までが出たとしたら──逃げ出した自分たちは……。 いや、仮に無事にやり過ごせても、一度は逃げたという結果も残る。それくらいならば!! 『……自分も、ここに残ります』 『自分も!』 それはそう、恐れからの言葉でしかなかったとも思う。仲間から爪弾きにされるくらいなら、冷たい目で見られるくらいならば、最後まで行動を共にした方がいい、と。 だが、アシュヴィン中尉の言葉も厳しかった。 『これは命令よ。拒否は許さない』 『しかし、中尉!』 『気持ちは解からないでもないけど、誰かがやらなければならないことよ。そうね。皆が危惧しているような事態が待っているかもしれないわ。行くが地獄か、残るが地獄かは、その時にならなければ、解からない。……このシドニーに被害が出れば、他人《ひと》から不当に非難されるかもしれない。それで、苦しむこともあるでしょうけど、その時は──』 一旦、言葉を切ると、アシュヴィン中尉は笑った。さも、可笑しげに。 『運が悪かったと諦めなさい』 静まり返る一同。 『それでも、我慢できなければ、私を恨みなさい。よりによって、自分を選抜した私をね』 アシュヴィン中尉の言葉は相手を説得するというより、自分自身を納得させるためのものにも聞こえた。 『だから、皆。諦めて、生きる覚悟を決めなさい。隊長は、もう覚悟してくれている』 『──隊長が!?』 『そうよ。生きて、互いの思いを受け継ぐために、ね。それは残る私たちも同じことよ』 飛んだ者だけが犠牲になる可能性もある。それでも、飛ぶと──誰よりも責任感の強いレイヤー隊長が部下を残していくような命令を強く拒否しただろうとは容易に想像がつく。 それを説得したのも副隊長たるアシュヴィン中尉なのだろう。 『行きなさい。そして、生きなさい』 全てを、死をも受け止めた今一つの覚悟の有り様と言葉は痛く重い。そうでありながら、中尉は最後に笑った。 『でもね、そんなに深刻に受け止めることもないわよ。また後で、会いましょう』
結果として、飛び立った彼らがシドニーに戻ることはなく、それが仲間たちとの永遠の別れとなったのだ。 ★ ☆ ★ ☆ ★ 生きて、しかし、何をすればいいのだろう? 副隊長や仲間たちの復讐だろうか?
シドニー基地を飛び立ち、程なく背後から強烈な閃光を浴びた。次いで、遥か上空まで襲う衝撃波──何もかもが失われた瞬間だった。万に一つの可能性は彼らの世界を覆した。 覚悟したつもりでも、発作のように全身を襲った戦慄は一向に治まらなかった。 コロニー落下の余波で、気流も大きく乱れたが、それでも、パイロットとしての本能だろうか。懸命に機体を制御した。漸く味方の基地に着陸する時も……。 それが本当に生きるための判断だったのかを、ずっと自問し続けてきた。これはシドニー航空隊の数少ない生き残り全員にいえることだろう。 あの後、噂にもなっているように高官の暴言問題に絡み、危うく軍法会議沙汰にもなりかけたが、レイヤーは降格させられるに留まった。 それが不祥事とも見做され、司令部の総入れ替えにまで至る。関わった全員がバラバラになり、互いの消息すら知らずにいた。 また、不祥事をなるべく隠すためか、彼らの経歴からも当時『シドニー航空隊』に所属していたという点は削られた。 当人たちも公言したりしなかったのは、記憶に負った傷の痛みのためだろうか。だから、夫々の消息を知ろうとさえしなかったのだ。 その傷だらけの記憶と、フェリペ・ミラーノ中尉は今、向き合おうとしていた。 (2) (4)
四ヶ月置いての第三章UP。遅ッ★ 完璧に内面追究物語になってますね。ミラーノ中尉はレイヤーさんの鏡みたいなもんです。 それと例の『致命的設定上の誤り』についても、ここで少々、修整をかけられました。回想シーンのあたりですな。とりあえず、レイヤーさんやミラーノ中尉たちが飛ばなきゃ、話にならないもんですが、その理由のコジツケが──無理あるかなぁ? 皆さん、どう感じましたかね。
2004.02.10.
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