蒼穹に希う《そらにこいねがう》

第四章

 レイヤー隊長がこのアリス・スプリングスにいる──その偶然の機会に、どう動くべきかは幾らか迷った。だが、逃せば、一瞬の邂逅の如く、二度と機会は訪れないかもしれない。
 ミラーノ中尉が所属する爆撃隊は近日中にも、北部侵攻軍『グリーン・イキドナ』へ合流することが決まっている。
 レイヤー隊長の『ホワイト・ディンゴ』は戦場の便利屋的活動を請け負う特殊遊撃MS小隊だ。今日にでも、どこかの戦場に向かうことも十分にありえる。
 それが“隊長に会う”決意を固めさせた。
 だが、アリス・スプリングス基地に『ホワイト・ディンゴ』が居残っているのを確めたまでは良かったが、当人を捕まえるのが至難の業だった。
 本格的に戦線投入されたとはいえ、まだまだ希少なるモビル・スーツを扱う部隊は警備も機密保持も厳重だ。関係者以外が近付くことなど出来るはずがない。無論、ツテもない。
 あるとすれば、当のレイヤー隊長だが、果たして、覚えていてくれるだろうか。
 挫けかける決意を奮い起こせたのは女性将兵《ウェーヴ》の噂話のお陰だった。全く彼女らの情報収集能力は侮れない。これほど、確かなものもないかもしれない。
 多分、次の作戦に関わることだろうが、「ホワイト・ディンゴのレイヤー隊長が基地本棟に出向いている」のを目撃したと盛り上がっていたのだ。
 矢も盾も堪らず、本棟へと走った。正しく藁にも縋る思いだった。 爆撃隊の士官だが、用もないのでは本棟への立ち入りは許されない。 となれば、レイヤー隊長が出てくるところを捕まえるしかない。
 もう、行ってしまっているかもしれない。
 いや、万が一の遭遇を祈り、本棟玄関口を幾らか離れたところから見据えていた。
 外とはいっても、余り長居はできない。玄関前などに突っ立っていたら、警備兵に不審がられ、追い払われるに違いないからだ。
「あ……」
 酷く長く待っていたような、そうでかったような──遂に行き会った。かつて、誰よりも憧れ、心酔したエース・パイロット。
「隊長……。レイヤー隊長!」
 懐かしい……ただ、、ひたすらに、懐かしい。
 今、降り注ぐ陽光の下、一気に思いは遡っていくほどに──懐かしく、この一瞬だけは痛みよりも何よりも、強い思いに引きずられていた。



 廊下を歩きながら、次の作戦に考えを巡らせていたマスター・P・レイヤー中尉は玄関口でIDを提示し、本棟を後にする。一歩、外へと足を踏み出すと、一瞬、眩い陽射しに目が眩む。
 夏の陽射しが愈々、キツくなってきた……。当然のように、時間が引き戻されそうになる。
 足を止め、手を翳しながら、太陽を見上げた時、名を呼ばれた。聴覚に、懐かしさを訴える声だった。
 小走りに駆け寄ってくる士官にも見覚えがあった。どこで見たのかを思い当たった瞬間、胃の辺りに重い鈍痛が湧き上がる。
「あの……」
 目の前に立ち止まった士官は、だが、まず何を口にするべきかを迷っているようだった。
 それはレイヤー中尉も変わらない。
 暫しの沈黙。周囲を行き交う将兵達の中で、彼らの時間だけが凍り付いているかのようだ。
 それでも、先に冷静さを取り戻したのはレイヤー中尉だった。
「──ミラーノ少尉? いや、今は中尉か」
「覚えていて下さったんですか。隊長」
 かつての部下が酷く安堵したらしい表情を見せる。何を気に病んでいたのかも手に取るように理解る。
「当たり前だろう。久し振りだ。……君は、今も飛んでいるんだな」
 袖の部隊マークを確認する。航空部隊ではあるが、それは『シドニー航空隊』のような戦闘機隊のものではなかった。
「はい。ただ、爆撃隊に転任になりましたが。それも爆撃手なんです」
「そうか」
「それより、隊長こそ素晴らしい御活躍を。このアリス・スプリングスを無血開城するのにも一役、買ったと」
 散々、流されている放送を見たらしいが、当の英雄は苦笑するだけだ。
「あれは宣伝だから、割り引いて見てくれ。恥ずかしいったらないんだ。実際、荒野の迅雷が停戦を持ちかけてくれなかったら、無血どころではなかったかもしれない」
 『荒野の迅雷』と地球連邦軍将兵が恐れるジオンのヴィッシュ・ドナヒューは単に勇猛なだけのモビル・スーツ・パイロットではなかった。
 レイヤー中尉はアリス・スプリングス解放はその敵の英断による産物と受け止めていた。
 ただ、現実にアリス・スプリングスを敵の支配から解放、奪還したことで、味方の士気は高まっている。声高に主張し、水をさすまでもないとは考えていた。逆に「敵を過大評価しすぎる」などとの謗りを受けないとも限らないのだ。
 尤も、更に現実的な事態の変遷からは目を逸らすべきではないだろう。
 停戦の為に、アリス・スプリングスからの敵軍の撤退と物資を輸送していただろう大陸間鉄道の通過を黙認したことで、敵も損害を最小限に抑えられたに違いない。
 それが今後の戦況に如何なる影響を及ぼすかは、現時点では判断のしようもない。

 幾らか考え込むレイヤー中尉にはやはり、以前のような指揮官としての姿勢が窺える。作戦を遂行する為にも部下を思いやり、全体を纏める力を今も持っている。
「良かったです。隊長がお変わりじゃなくて……きっと、アシュヴィン中尉も安心しておられるでしょうね」
 つい零してしまった、その名にレイヤー中尉が激しく反応した。
〈しまった…っ〉
 互いの境遇はどうあれ、懐かしい再会には違いない。だからこそ、気が緩んでいたのかもしれない。
 それは互いに同じ傷を負った者同士という、慰め合いの意識が働いているともいえた。
 不自然なほどに体を強張らせたレイヤー中尉の顔色も幾らか蒼褪めている。
「あの……隊長」
 オズオズと声をかけると、一転破願する。
「それ、やめないか。もう隊長じゃないしな。それに、今は同じ中尉だろう」
「とっ、とんでもない! 隊長と俺なんかが同列なんて──」
「だから、隊長はよせって」
 苦笑しているが、無理に笑っているようにも見えてしまう。
 灼熱に焼かれ、虚空に消えたシドニーの町に残してきた仲間達──飛び立った隊長の代わりに最期の最期まで、部隊を纏めたクレア・アシュヴィン副隊長。
 パイロット達にとって、彼ら二人は一対の憧憬の対象だった……。
 だが、その一人は永遠に失われ、残された今一人は空から降りてしまった。……飛ぶことを、放棄したのだ。
 ミラーノ中尉は今更に、かつての上官が負った傷の深さを知る。自分と同じように、或いはそれ以上に、痛みに足掻いている。
 双方を繋ぐ、困り果てた気配を別の声が破った。
「──レイヤー隊長」
 横合いからの呼びかけに、二人の中尉は同時に振り向く。
 ミラーノ中尉にも何となく見覚えのある、東洋系の士官がゆっくりと歩み寄ってくる。
「レオン、どうした」
「中々、隊長が戻られないから、ボブが痺れを切らしましてね」
 レイヤーを当たり前に「隊長」と呼べるのは現在の彼の部下だ。見覚えがあるのは例の宣伝放送で見たからだろう。
 その部下──階級章からは少尉と判別る──がチラッと視線を向けてくる。
「昔の同僚だよ。ちょっと、昔話に花を咲かせていてね。で、ボブが何だって?」
「隊長のGMの整備が一通り済んだので、早く最終調整に入りたいみたいですよ」
 戦闘機もそうだが、特に専用機となると、最後は専属パイロットも調整に加わるのがベストなのはモビル・スーツも変わらない。
「それで、君が使い走りかい」
「まぁ、今は暇ですから。天下の整備士長に逆らうのは得策じゃありませんよ」
 レオンと呼ばれた少尉が肩を竦めると、レイヤー中尉も苦笑した。それは先刻の、無理に作られたものとは明らかに違う。
 この光景を前に、ミラーノ中尉は軽い衝撃を受けている自分に漸く気付いた。
 彼の知るレイヤー隊長は確かにもういない。ここにいるのは特殊遊撃MS小隊『ホワイト・ディンゴ』の隊長なのだと思い知った。
 既に別の道へと踏み出しているレイヤー中尉とは同じ痛みを共有していても、立ち向かえる強さが違う。覚悟の深さも多分、違っている。
 それがクレア・アシュヴィンが言った『生きていく』ということなのだろうか。
 だとしたら、自分は果たして、『生きている』のだろうか? その疑問、或いは自問は恐ろしいまでに己を不安にさせる。同時に苦痛を引き起こす。
 レイヤー中尉の前に立っているのも苦しく、居た堪れなくなってくる。この苦さから解放されるには──逃げ出すしかない。
「あ…の、中尉。お引き止めして、申し訳ありませんでした」
「ミラーノ中尉?」
「私はこれで──失礼します」
 唐突さに唖然となるかつての上官に敬礼をすると、慌しく踵を返す。
「──ミラーノ」
 名が、呼ばれる……。 振り払おうにも振り払えない。向き直ると、レイヤー中尉が再会してから、初めて見せる自然な笑みを浮かべていた。
 そう、信じた。
「お互い場所は変わっても、できることは変わらないはずだ。全力を尽くそう」
 目を、瞠る。
「何れまた、ゆっくり話がしたいものだな」
「……そう、ですね」
 そんな日が本当に迎えられるのだろうか。信じてさえいれば──だが、何を信じればいいのかも見えてはいないのだ。
 戸惑いを覚えつつ、ミラーノ中尉は今一度、一礼した。


★      ☆      ★      ☆      ★


「何か、話し足りなかったようですね」
 ミラーノ中尉と別れ、帰隊する途中、レオン・リーフェイ少尉は思い出したように呟く。
「ミラーノがか? 実際、大して話し込んでいたわけでもないからな。南部の状況報告書を受け取るだけだってのに、待たされてね」
「手間ですよね。作戦についてはミデアを介して、伝達されるのに」
 どうせなら、情報は全て纏めてくれれば、面倒もないというのに。勿論、そちらからも情報は入ってくる。特殊遊撃MS小隊は司令部直属だ。作戦も付随情報も司令部経由となる。
 だが、現地で入手できる情報も無視できないのだ。それらは時には矛盾し、混乱も生じるが、情報は多いに越したことはない。
「でも、たまに外に出るのも良い刺激になるんじゃないですか」
「まぁ、な……」
 溜息交じりとなるのは宣伝放送の悪影響も大きいからだ。視線は煩いし、時には声をかけてくる者もいる。特に恐怖なのは女性将校軍団だったりする。これは対応に困る。
「マイクだったら、お喜びするでしょうけど」
「アニタが不機嫌になるのは、勘弁してほしいがな」
 実にありそうな話だ。部隊で待っている仲間達を思い浮かべ、一頻り笑い合った。


★      ☆      ★      ☆      ★


 『ホワイト・ディンゴ』のパイロット達を見送るミラーノ中尉は、妙な既視感を味わっていた。
「そう、か。アシュヴィン中尉の……」
 代わりか、という言葉は呑み込んだ。
 特殊遊撃MS小隊は構成員数も少なく、副隊長は置かれていないはずだが、あの少尉がその役目を負っているのだろうと感じた。
 アシュヴィン中尉と『同じように』隊長を支えているのだろう。だが、それでも、
「同じ、わけがない」
 代わりなんて、とんでもない。彼女の代わりなど、誰にも務まらないはずだ。
 そうでなければならない。
 彼女の名に傷付いて光を宿した瞳──だから、忘れてはいないはずだ。
 だが、『生きなさい』と、そう語った人は過去にある。
 そのように『生きる』道は未来にある。
 『生きる』には過去をどう昇華すればいいのだろう。
 ならば、昇華とは何だ。忘却、なのだろうか。
 レイヤー中尉が、アシュヴィン中尉や『シドニー航空隊』のことを忘れたとは考えられない。彼は如何にして、今を『生きて』いるのか。戦闘機ではなく、MSのパイロットとして、その指揮官として、何を礎に戦っているのだろう。
 自分自身はどうだ? 無論、忘れられるはずもなく、痛みに足掻き、それでも、戦ってはいる。
 だが、何のために戦っているのかもよく解らない。

仲間の復讐のためか、故郷の解放のためか……。

 仮に、その全てを忘れられたら、本当に安息が訪れるのだろうか?
 本当に何も考えず、悩む必要もなく……。
 不安だった。『生きる』ということが、とてつもなく不安で恐ろしいことのように思えてならない。 
 レイヤー中尉も実はこんな不安を抱えているのだろうか。

 今一度、二人の去った方を見遣る。当然、既に彼らの姿は見えなくなっていた。
 見えない、ということが更に不安を喚起する。
 会わなければ、良かったのかもしれない。

 そんな後悔を無視も否定もできない自分の弱さが、堪らなく哀しかった。
 そう……、情けないのでもない。どこまでも、哀しかった。


(3) (5)



 第四章UP──気付いたら、七ヶ月は経ってるぞ^^;;;
 そろそろ、物語は終盤です。今回の売りは何つっても、『ホワイト・ディンゴ』コンビ?なレイヤーさん&レオン登場でしょう。って、それでいいのか?

2004.09.25.

外伝讃歌

トップ 小説