蒼穹に希う《そらにこいねがう》

第五章

 戦況は地球連邦軍優勢のまま進み、ジオン軍は次々と占領地を放棄した。
 連邦軍主力三部隊が目標としていた敵重要拠点もアリス・スプリングスに続き、アデレード、ダーウィンと解放される。
 撤退に撤退を重ねるジオン軍は追い詰められ、多くが大陸北東部のヒューエンデンに向かった。ここには彼らの故郷たる宇宙への道が開けている。基地化された宇宙港は大型輸送能力を有するHLVをも扱えるのだ。
 当然、連邦軍の次の目標でもある。いや、現状からすれば、最後の目標といえる。
 ヒューエンデンが陥落すれば、各地で未だ抵抗を続けるジオン残存兵力も、その気力を失い、降伏するよりなくなるだろう。
 その先鋒はダーウィンを落とした北の『グリーン・イキドナ』だ。無論、南の『イエロー・クオッカ』も南部の守備を固めつつ、余剰兵力を増援として差し向けるよう再編成しているはずだ。
 ここまでくれば、連邦軍将兵の誰もが自軍の勝利を信じて疑わなかった。そして、多くの者が錯覚していた。

『最後の大勝利の瞬間に、自分は立ちあうことができるのだ』

 そんな保障など、この戦場ではどこにもありえないことを、浮ついた心は忘れていた。


 年が明けた宇宙世紀0080年1月1日。
 新年会が開かれることはさすがにいないが、連邦軍将兵には気分を出している者もいる。逆にジオン軍にはクリスマスも年末年始もない。
 実は宇宙では既に情勢は決し、終戦協定も結ばれたのだが、この情報が地上に届くには数日を要した。大体、『本国』サイド3と連絡も取れなくなっているはずのジオン軍が信じるとも限らない──少なくとも、ヒューエンデン基地は未だ激しく抵抗していた。
 となれば、連邦軍とて実力行使に出るよりない。ジリジリと確実に敵の防御を殺ぎ、敵基地との距離を詰めていった。
 ただ、接近するにつれ、抵抗の反動も大きくなる。特に幾重にも固められた対空陣地のために、航空隊は下手に近付けずにいた。モビル・スーツ隊などの地上部隊による突破を待たなければならなかったのだ。
 だが、そんな単純な理が徹底されるにも、幾許かの犠牲を要した。まるで、贄のように……。
 連邦軍優勢は揺るぎない。故に錯覚する。
 決戦の時であるからこそ、後のない敵は死に物狂いとなり、更なる流血が生じるものを……。
 目に見えた損害がなければ、気付けないものなのだ。



 鼓膜を叩く、けたたましい音──警報が鳴り響いているのだと、掠れた意識でも判断はできた。失神していたのは数瞬でしかないはずだ。
〈何が、起きた?〉
 視界が暗い。霞みがかかったような状態だが、コックピットの照度も落ちている。
 とにかく起き上がろうと、両手に力を込める。込めたつもりだが、バランスを崩して、起き上がり損ねた。
「な……。ぐっ…う……っっ!?」
 又しても、意識が遠のきかけた。痛みを痛みとして、認識する。
 そして、漸く気付いた。右腕が……、上腕部から先がなかった。
 意識とは異なり、左手だけで起き上がろうとしたので、バランスを失ったのだ。
 おまけに、この激痛。意識を欠片まで吹き飛ばしかねない、想像を絶する痛み……。
 傷はもぎ取られた、この右腕だけらしいが、他に傷がないといっても、とても幸運ではなかろう。現に出血が酷く、次第に目の前の霞みも赤く染まっていこうとしていた。
 荒くなる呼吸《いき》を無理に整え、痛みを堪える。堪えるように、意識する。全く矛盾しているようだが、そうでなければ、今度こそ気を失い、そのまま失血死だ。
 だからといって、状況が好転する見込みなぞ、全くといっていいほどになかった。
 それでも、何とか体を起こし、背中をシートに預け、座り込む。これだけでも重労働だ。鮮血だけでなく、冷たい汗が全身から噴き出す。
「……やられた、な」
 コックピットの惨状は目を覆うばかりだ。向かいのレーダー・通信士席は空席だ。その傍らにミラーノ中尉同様に放り出されたレーダー手兼任通信士が倒れ、ピクリとも動かない。
 前方に並んだ操縦席には機長と副操縦士が座っている。……座ったまま、絶命しているのは明らかだ。三人とも惨い有様だった。
〈高射機関砲を食らったか〉
 やはり、甘い見通しだった。そのツケが自らの命とは高くついたものだ。
 出撃後、爆撃コースに乗るのが妙に早かった。最初は作戦開始が繰り上がり、地上部隊の侵攻が順調に進んでいるのかと考えたのだが、そうではなかった。
 まだ地上の敵対空陣地が生きている。だが、
「十分に高度を取れば、やり過ごせる」
 それが機長にして、編隊長のカーシュ大尉の論法だった。
 早々に対空陣地が守るべき、後方の宇宙港基地を灰にしてやれば、敵も白旗を揚げるだろうという些か、希望的な見込みだったが。
 ミラーノ中尉は反対した。他の乗員も積極的には賛成しかねていた。
「航空偵察は十分に行った。モビル・スーツ隊の援護など必要ない。我々だけで、望むべき戦果は上げられる」
 そう続けたカーシュ大尉の本音も見え透いていた。モビル・スーツ隊には航空隊から移ったパイロットが多いためもあり、両者の間には複雑な競争心理が生じていたのだ。
 実際、命令違反になるはずなのだが、結果が出せれば、黙殺されることが多かったのもまた事実だった。
 程度はあれ、そんな複雑さを抱えた乗員達はカーシュ大尉に押し切られ、強行した。
 ……そして、結果がこれだ。
 彼らの搭乗機、重爆撃機デプ・ロッグは物の見事に敵対空砲に食われたわけだ。
 他の編隊機はどうしただろう。恐らくは、同じ運命を辿ったのだろうが。
〈エンジンが、まだ、生きているのか〉
 機体の振動で判断る。三連の内一基だけが生きているらしい。尤も、瀕死であるのは疑いない。旋回しつつも、高度が異常なスピードで失われていくのが感じられる。
 飛びながらも、墜落しているのだ。
 だが、手の打ちようがない。コンソールや機器のあちこちが火花を散らし、出火している箇所もある。もはや、操縦不能だ。
 仮に操作を受けつけたとしても、唯一の生き残りがこの様で、何ができる。
〈言わん…こっちゃ、ないんだ〉
 確かにミラーノ中尉はカーシュ大尉に反対した。だが、止められなかったのでは自分の正しさを誇れはしない。彼もまた、自身の命を代償とするのだ。

 そう、もうすぐ自分は死ぬ。地上に激突し、死ぬ。或いはその前に命尽きるだろうか。
〈何を、やってるんだ。俺は……〉
 そして、
〈何を、やってきた…んだ?〉
 熱いものが込み上げてくる。激しく咳き込み、吐血する。
 いつから溢れていたのだろう。頬を濡らす涙も真赤に染まる。


★      ☆      ★      ☆      ★


『諦めて、生きる覚悟を決めなさい』
『生きて、私たちの思いを受け継いでほしい』
『──行きなさい』
『──生きなさい』

 アシュヴィン中尉……。
 けれど、俺は何もできなかったんです。生きることも、戦うことも、何一つ……!


『お互い場所は変わっても、できることは変わらないはずだ。全力を尽くそう』
『何れまた、ゆっくりと話がしたいものだな』

 ……レイヤー隊長。
 できることを見出せなかった。ずっと迷っていたから、何の力にもなれなかった。


★      ☆      ★      ☆      ★


 本当に、あのシドニーの災禍から逃れて、生き延びて──生き残るべきだったのかを。
 迷っていた。悔やんでいた。後悔していたから、生きることにも向き合えなかったのだと今頃に気付く。死に直面した、今更に!

 何もできなかった。否、何もしようとしていなかった。そして、今……死にゆくのか?
 冗談じゃない!
 こんな馬鹿げた死に方をするために、中尉は送り出してくれたんじゃない。多くの仲間たちの思いを受けて、この命を繋いだわけじゃない。

 唐突に霞が晴れた。意識を覆う霞だが──無論、重傷であることは変わらない。だが!

 ──死にたくはない!
 ──何もしないままでは死ねない!!


 思いが傷付いた体をも衝き動かす。それこそ、正に衝動だ。失血のため、酷く鈍重だが、ミラーノ中尉は這いずりながら、操縦席に向かう。
 大した距離ではないが、やっとのことで辿り着く。
 やはりコンソールの殆どは死んでいた。それでも、ミラーノ中尉は機体を立て直そうと奮闘したのだ。
 目は霞み、残った左手の指先も次第に冷たくなり、痺れすら感じなくなってきたが……。
 それは、どれほどの時間だったのだろうか。

 ミラーノ中尉は最後まで、諦めなかった。
 意識が霧散する、最期の瞬間まで──……。



 制御を失った機体は乾いた大地へと向かう。
 だが、
 迎えるのは棚引く、雲。流れゆく、空。

 やっと……見つめ直すことが叶った青い光景。
 包み込むような青空は、彼に、どこまでも優しかった。


(4) 終章



 第五章UPっス。また、半年も……経ってるじゃん★ 時間食ったのは手直しして、機長と中尉の確執とか、もう少し書き込んで、二章に分けようかと思ったんですがね。
 『死』に直面という状況だけに焦点を当てた方が、と思い直し、結局、投稿版と殆ど変わらない展開に落ち着きました。
 主役が戦死、というのも当然、最初から決めていたことですが、どんな風に受け止められることやら。

2004.03.20.

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