黄昏の夢

Dreams


「あふ……」
「眠そうだな。ヤン」
「あ〜、何だって、パトロールなんて前時代的なものがあるんだろう。も、寝不足で」
「お前さん、寝足りることなんて、あるのか?」
 数少ない友人の揶揄いも、寝惚け眼のヤン・ウェンリーには半分も聞こえていない。ジャン・ロベール・ラップは軽く肩を竦めた。
「ヤン先輩! お早うございます」
 背後からの呼びかけには当のヤンより、至極元気な声に驚いたラップの方が反応が早かったが、振り向いた二人の前には見知らぬ少年が立っていた。襟のラインから、一年と判別る。
 後輩から名指しで、挨拶されるなぞ、全くの初体験であるヤンは漸く、戸惑いを浮かべた。
 謎の一年生はきっちり敬礼してみせると、
「戦略研究科一年、ダスティ・アッテンボローであります。昨夜は有り難うございました」
「昨夜……あぁ、君は──」
「何だ? 何かあったのか、昨夜」
 合点した表情のヤンにラップが首を傾げる。
「いや、別に大したことじゃないんだけど」
「とんでもない。大したことだったんですよ。俺にとってはね」
 戦略研究科なら、今の二人と同じ学科だ。そう自己紹介されて、ラップは「そういえば」と新入生の顔に見覚えがあるのに思い至っていた。
 とにかく、昨夜の『事件』の予期《あらまし》を肋けた者、助けられた者双方から聞き、ラップは苦笑する。
 見逃してやるとは実にヤンらしい。多分に面倒だったのだろうと。
「生活指導に送られていたら、あの厭味なドーソン教官の格好の餌食になってましたからね。全く、あんの野郎ときたら──」
 呆然とする二人の先輩の耳を一頻り、悪口雑言の嵐が襲う。仮にも教官に対し、この元気な一年生はまるで遠慮がない。勿論、二人にだけ聞こえるような声だが、器用なものである。
「あいつに長々と説教されるくらいなら──」
「なら?」
 まさか、死んだ方がマシとか言わないだろうなぁ。ぼんやりと半覚醒の頭の隅で考えたが、
「同盟憲章及び同盟軍基本法の丸暗記に徹夜で挑戦する方がよっぽど、マシですよ」
 ヤンとラップは後輩をマジマジと凝視し、次いで、お互いの顔を見合わせると噴き出した。
 アッテンボローなる後輩が激しく、目を瞬かせる。
「そんなに可笑しいですか?」
「そうだね」
「それっくらい、嫌だってのは解ったよ」
 同盟憲章などを諳《そらん》じられれば、優秀だというわけではないが、果たせれば、人並み外れた記憶力の定評だけは衆目に認めさせられよう。尤も、果たせるかどうかがそれ以前の問題だが……。
 二人の先輩は肩を小刻みに震わせ、クックッと笑う。後輩も苦笑して、頭を掻いた。
 この一年生のお陰で、ヤンもすっかり、目が覚めてしまった。有り難いことに。

 ダスティ・アッテンボローは大いにヤン・ウェンリーという先輩を気に入り、先輩に関する情報を掻き集めた。
 元はアッテンボローの年次から募集もなくなり、上級年次でも廃止になった戦史研究科に在籍しており、戦略研究科には転科したこと。
 戦史研究はトップ・クラスであったこと。
 但し、記録には強いが、統計には弱いこと。
 機器操作はカラッきしに等しいこと。
 実技成績は劣等生の超低空飛行状態であること。
 驚くべきは戦略戦術論の成績は抜群で、シミュレーションでは彼の年次では秀才の誉れ高いワイドホーンを破り、周囲の度肝を抜いたこと。
 それ故に転科先が戦略研究科に定まったこと。
 首席であるのを鼻にかけ、澄まし切った秀才の上級生には好印象を持っていなかったアッテンボローは思わず、口笛を吹いたものだ。
 そのシミュレーション記録を閲覧した時は人知れず、唸ってしまったのだが。
 ヤンの方もバイタリティ溢れる後輩に好意的に応じ、長い付き合いが始まったのだ。

 三〇年でも四〇年でも、一生、付き合っていけるだろうとの予感があった。この時は……。
 その予感は当たった。
 但し、半分だけ──……。



「有り難うございます、アッテンボロー中将。お陰でポプラン中佐も……」
「まっ、放っておいても、あいつなら、何れは立ち直っただろうがな」
 その待っている時間が惜しかったのだ。
「やるぺきことは山程ある。人手を遊ばせておく余裕もないからな」
 オリビエ・ポプランはイゼルローンのムード・メーカーの一人でもある。空戦隊の纏め役が必要なのも確かだが、その枠をも超えたあの男の他者への影響力は無視し得ないものなのだ。
「だけど、僕は結局、何も……」
 ポプランのために、何の力にもなれないことを改めて、思い知らされたようなものだ。
 アッテンボローが促しはしたが、ポプランはあくまでも、自力で精神的再建を果たしたのだ。
 そして、ユリアンは何一つ……。
『何だって、俺がヤン・ウェンリー以外の奴なんかの命令を聞かなきゃなんねぇんだ!?』
 ポプランの言葉は決して、新任司令官を貶めものではなかっただろう。
『何で、ヤン・ウェンリーが死ななきゃならなかったんだ』
 少なくとも、ユリアンにはそう聞こえた。それは彼自身の思いに過ぎないのかもしれないが。

 ヤン・ウェンリーが死ぬなんて、理不尽だと思った。信じられなかった。
 だが、親しい者の死は全てが理不尽で、信じ難い事実《こと》であるのだ。
 そして、遺された彼らは今後も民主共和制の芽を守るために、強大な銀河帝国と戦う意志を固めている。
 戦争が続けば、戦闘が起きれば、必ず戦死者は出る。絶対に免れない。
 そして、悲嘆にくれる誰かがいるのだ。
 その死に対して、責任を持つ立場にユリアンは立った。覚悟を持って、引き受けたはずなのに、やはり、自分には相応しくないのではないかと疑いを覚える。

「焦るな、ユリアン。誰もお前さんにヤン・ウェンリーと同じようになれとは言わん」
 体を竦ませる少年に、言葉が足りなかったと青年提督は表情を和らげた。
「ヤン・ウェンリーが考えていたこと、望んでいたこと──お前さんは色んな話をしたはずだ。俺達の誰よりも、あの人と……」
 若々しい顔に寂寥感が掠めたように見えたのは気のせいだろうか?
「それをお前さんなりに噛み砕き、理解し、体系化して、俺達に伝えてくれ。それはユリアン、お前さんにしかできないんだからな」
「アッテンボロー提督……」
「確かに俺達は切羽詰まった状況に置かれているが、時間が全くないってわけでもないんだ。だから、焦る必要《こと》はない。なっ」
「はい」
 神妙ながら、少しは心理的圧迫感《プレッシャー》が和らいだ表情で若き司令官は頷いた。
 アッテンボローも頷くと、昔からのくせでユリアンの頭をポンポンと叩いた。今や、身長差が大分、縮まったので、妙な光景だが。
「ヤン提督のようなわけにはいかないのは当たり前ですけど……一歩でも、いえ、半歩でも前に進めるように僕、頑張ります。ですから、アッテンボロー提督のお力も貸して下さい、改めて、お願いします」
 今更だけど、と頭を下げた。
「何だか、くすぐったいな」
 肩を竦めつつ、頬を掻く。
「協力し合っても、先輩の半分の力にもならんかもしれんが、何もやらんよりはマシだもんな。まぁ、そう悲愴になるなよ。ホーレ、もっと気楽に、肩のカも抜いてー」
「本トにくすぐったいですよ」 
 肩を揉まれて、ユリアンは身を挨った。
「んじゃ、俺はオフィスに戻るから」
 何しろ、やることは山程ある。司令官はユリアンだが、現実問題を処理するのは艦隊に関してはアッテンボローらであり、それはそれは多忙なのである。
「提督も少しは休んで下さい。このところ、働き通しだったでしょう?」
 背を向けかけたアッテンボローだが、
「寝てないわけじゃないぜ。でも、人手が極端に減ったから、仕方ないんだよ。まだ、ラオがいてくれるから、助かってるけど」
「済みません。肝心なことに役に立てなくて……」
 胸を衝かれたようにまた、顔を曇らせる。本当に名前だけの司令官だと……。
「あー、もうっ。暗くなるなって。ユリアンにしかできないトコをアテにしてんだからな」
 それじゃ、とヒラヒラ手を振り、歩き去っていった。
 ユリアンが少しだけ、首を傾げて見送ったのにアッテンボローは気付かなかった。
 或いは振りをしただけかもしれない。

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 同盟憲章及び同盟軍基本法を諳んじられる(という噂?な)のは勿論、フレデリカさんです。

2006.05.29.

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