黄昏の夢

Dreams


 『有害図書愛好会』
 その名の通り、民主国家体制の尊厳を損ね、青少年の教育と社会にとって、『有害』との烙印を捺された書物を入手、隠匿、流通──希望者への回し読み活動の中心になっている。
 アッテンボローが愛好会に関わったのは、お気に入りの先輩が読みたがっていた『有害図書』を『官憲』の魔の手から救い、先輩に喜んで貰いたかったのが第一の理由といってもいい。
 次第に『有害図書愛好会』組織運営そのものこそがアッテンボローにとっては、実に楽しく、やり甲斐のあるものと感じられるようになり、更にのめり込んだ。

「アッテンボロー候補生。その持っている本を見せたまえ」
「おい。それ、借り物なんだぜ。もっと、大切に扱えよ」
 文句を言いつつも、引ったくられた本を取り返そうとはしない。まるで、余裕である。
「フン。誰からの借り物だ? ──!?」
 勝ち誇っていた風紀委員は本を開いて、絶句した。内容は戦略概論で、読みが外れたのだ。
「先輩からだよ。返しに行くとこでね」
 魔の手から、取り返す。それこそ、勝ち誇った笑みが風紀委員の神経を逆撫でしたものだ。
 抑圧されると反発する。禁じられると破りたくなる。『有害』などと、お上から決め付けられ、封印されれば、開封したくなるものである。
 若者特有の反発心で、『体に悪いから、煙草はいかん』と窘める親への反抗のシンボルとして、若者が喫煙する心境と大して変わらないか?
 但し、アッテンボローは現実に健康を害するものだから、煙草なんぞに手を出したりはしない。そんなものは安っぽい反発に過ぎない。自分の体の方が余程、大切だ。
 大体、彼の父親はこういうタイプだ。
「お前の体の心配までしている暇はない。吸いたきゃ、吸え」
 進んだ放任とでもいえるだろうか? 確かに、そんな父親が息子の生き方に干渉したのは唯の一度だった。
「お前の祖父さんの遺言だ。軍人になれ」
 こんな調子だから、以後は顔を合わせる度に周囲《まわり》が顔を引きつらせるような心温まる会話を交わしているアッテンボロー父子なのである。
 唯一、笑っているのは妻であり、母であるアッテンボロー夫人くらいなもの。アッテンボロー少年が実家に帰るのも、祖父の願い通りに進んだ息子を気にかける母親のためだった。

「ヤン先輩、いますか?」
 本を返しに先輩の部屋をノックしたところで、又もや、風紀委員が現れた。先刻は『共犯』がいたと睨んだのだろう。渡しに来た瞬間ならば、『現行犯逮捕』できると踏んだのだが、
「確かに、私が貸した本だけど」
 やはり、同じ本だったのだ。風紀委員は顔を赤くも青くもして、引き下がるしかなかった。
 扉を閉めると、顔を見合わせて、笑う。
「中々、危ない橋を渡っているみたいだね」
「いやぁ、あの程度の奴らの裏をかくのなんて、どーってことありませんよ。届きました?」
「うん。ついさっきね。ちゃんと、受け取ったよ。それにしても、よく手に入ったね」
 つまり、アッテンボローこそが囮で、『共犯』は別の場所にいたわけだ。
 ヤンも以前から、意外と真面目に『有害図書』を入手しては読み捲っていた。
 だが、アッテンボローが加わってからは組織力が俄然、強まり、流通する本の冊数も多くなった。先輩達にしてみれば、頼もしい後輩の参入であるが、当の本人は組織化活動に熱中し、本の方は横から横へ、人から人へと流し、どうやら、表紙も開いてはいないらしいのだ。
「俺は実地で学んでますから」とは言い訳?
 事実隠蔽の方が余程、有害だ。隠せば、やがて忘れられ、過ちを繰り返すことにもなろう。
「ところで、先輩。今度の休暇、どうします?」
「別に考えてないけど……」
「そんなこったろうと思いましたよ」
 普段の休日も殆ど、外出もせず、寄宿舎で読書か昼寝をして過ごす先輩だ。尤も、長期休暇は状況が異なる。帰る場所がない場合は……。
「俺は実家に帰るんですが、先輩を招待したいと思いましてね。如何ですか?」
「悪いよ、それは。家族水入らずのところに押しかけちゃ」
「そんなことないですよ。お袋は人を持て成すのが大好きだし、親父はどうせ、どっかを飛び回ってるだろうし、ずっと、姉貴達の相手をさせられてたら、俺も堪りませんから。ここは一つ、助けると思って──」
 手を合わせる後輩に、ヤンは頭を掻く。
 すると、後輩は小声で先輩に耳打ちした。
「それはそうと、先輩。こんな狭い部屋より、広々とした草原で、思いっ切り手足を伸ばして、昼寝してみたくはありませんか? どーせなら」

 勝負あった☆



「アッテンボローの様子がおかしい?」
「いえ、はっきり、そうだってわけじゃないんですけど、何となく違和感があって……」
 迷ったようなユリアンの言葉に、イゼルローンの年長組であるアレックス・キャゼルヌ、ワルター・フォン・シェーンコップ両中将は顔を見合わせ、眉を顰めた。
 ポプラン中佐の問題がどうやら、片付いたらしいと聞いた傍から、新たな懸念が持ち上がっては堪らない。それが最高級幹部では尚更なのだが、事実ならば、早い内に手を打ち、解決しておきたい。
「そりゃまぁ、あんな事件《こと》があったのだし……」
 シェーンコップも呟いたものの、口を閉ざしてしまう。
 『あんな事件』が何を示しているのかは解かりすぎるほどだ。彼ら全員にとって、一生、忘れられないだろう『事件』だ。
「アッテンボローにはユリアンとは別の意味で、ヤンに心酔している部分《ところ》があったからな」
 ヤンとアッテンボローが知り合った士官学校時代から、彼らを知るキャゼルヌは頭を振った。
 過去形で言わねばならないのだ。

 ヤン・ウェンリーは死んだ。殺されたのだ。
 『天上』の存在の有無はともかく、彼らが生きている限りは二度と、会うことはない。

 その事実を受け容れるのに、イゼルローンの人々は夫々の内的葛藤を経たはずだ。
 そして、道が分かれた……。
 ヤン・ウェンリーの遺志──と彼らが信じるものを継ぐ者と、
 希望を失い、脱落していく者と。

 勿論、イゼルローンの幹部達は前者の道を選んだ。敢えて、唯一後者を取った者もいたが。
 ダスティ・アッテンボローは前者の先頭に立ち、鼓舞しながら、残った者を纏めている。
 実に精力的に働いているのだが──……。
「あいつの場合、あれで普通だと思われがちだからな」
「とんでもない錯覚をしているのかもしれませんな。ここは一つ、キャゼルヌ中将の出番だと思えるが?」
 珍しく真剣な表情で、シェーンコップは今や、唯一の年長者を見遣った。勿論、メルカッツ提督は別格としてだが。
「……そうだな」
 責任を回避するつもりはなかった。
 ポプランの場合とは又、異なる。これは自分の仕事だと心得ていた。

(2) (4)



 彼の秘密結社『有害図書愛好会』構成員アッテンボロー候補生大活躍? でも、本当に生き生きとしていたんだろうなぁ。

2006.06.09.

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