★七難八苦を乗り越えろ☆

二難目・中ノ巻


 方や、パルス軍陣営。
 ペシャワールの城壁を以ってすれば、トゥラーン軍を防ぐことは容易い。何ヶ月でも篭城できるだけの蓄えはある。冬近くまで凌げれば、略奪するものもない辺境の地より、トゥラーンは去っていくことだろう。
 だが、それでは時間がかかりすぎる。パルス軍は、王太子アルスラーンはルシタニアに占領されている首都エクバターナを解放せねばならないのだ。
 打開のための方策はあった。そのためにトゥラーンの有力な武将も一人捕えた。そこまでは軍師殿の計算通りだった。
 だが、ひょん★なことから、その計算式には狂いが生じてしまったのだ。何とも、バカバカしい限りではあるが、当初の策が使えなくなってしまったのは確かで、他の手を考えるしかない。

 さしもの、知略の泉の如き軍師殿も今回ばかりは考えあぐねているようだった。
「おい、軍師殿。万策尽きたか」
「五月蝿い。今、考えている」
「こうなっては、あ奴に拘る必要《こと》もないのではないか」
 あ奴とは捕えたままのトゥラーンの武将だ。利用できなくなっているとはいえ、「殺せ」とはアルスラーン王太子が言うはずもなかった。
「そうかもしれんがな。せっかくの持駒だ。使わないのは勿体ないだろう」
「やれやれ。そんなことだから、諸侯の出の癖に貧乏症などと言われるのだぞ。おぬしは」
 親友である勇将に半ば揶揄されても、こればかりは紛うことなき真実なので、反論は控えた。
 それよりも、早々に次善の打開策を講じねばならないのだ。

 ところがだ。そんな漫才じみた会話をしている間に、問題のトゥラーン人が牢を破ったとの報告がきた。
「やはり、動いたか」
「動いたのは良いが、まだ美味いエサを食わせてはいないんだぞ」
 パルス軍切っての勇将と称されるダリューンは顔を顰め、友人を見遣る。無論、智将ナルサスである。
 城内を見知られた上、脱出されるのはやはり堪らない。
 当然、見逃すわけにはいかず、監視を付けたが──次には見失ってしまったとの驚くべき報告が届けられた。
「まさか、もう外に」
「いや、城内には不案内のはず。それには早過ぎる」
 何処かに潜んでいるのだろう。兵を数人ずつ組ませ、捜索に当たらせる。だが、トゥラーン人の足取りは切れ、正に忽然と消えたとしか云いようがなかった。
 さすがに豪胆さで鳴る王太子の両翼たる将も焦りを覚える。
「マズいな。外に出たのなら、まだいいが」
「城内に留まり、殿下を狙うようなことでもあれば──」
 即刻、王太子の周囲を固める。無論、報告の上である。
「そうか。だが、見つけても、その場で殺すようなことはしないでほしい」
 「するな」とは命じないところが、王太子らしいと思う。甘いかもしれないが、そんな人柄を慕うものも多い。
 尤も、現実問題として、逃亡した敵将を見つけた時、殺さずに済むかは判らない。当然、抵抗されるだろうし、何といっても、敵軍でも有数の腕の持ち主なのだ。

「何事じゃ」
 そんな騒ぎの中でも悠然と歩み寄ってきたのは美貌の女神官《カーヒーナ》だ。
「ファランギース殿。……実はトゥラーン人が牢を破ってな。しかも、見失ってしまったのだ。面目もない限りだが」
「トゥラーン人というと、あの小柄で童顔で、おまけに女顔と三拍子揃った中々、可愛い御仁か」
 本人が聞いたら、隠れていても怒鳴り出て、怒り狂うだろうことをサラッと言うのには苦笑するしかない。
 だが、女神官の次の言葉には心底から絶句した。
「あの者ならば、厨房にいたが」
 パルス軍の勇将智将が揃って、驚愕することは稀であろう。何よりも困惑が強かったかもしれぬが。
「フム。その様子では軍師殿の冗談だったわけではなさそうだな」
「一体……」
「それより、厨房で何をしているのだ。隠れるにしては人が多すぎるだろうに」
「人質にでもして、立て篭もっているのか」
「そんな報告はきていないだろうが」
 推測で話していても、埒が開かない。二人は様子を見に行こうかと思い立ったが、ファランギースに止められた。
「おぬしらが二人揃って、厨房などという普段、立ち寄らぬ場所に現れたら、目立って、仕方がないであろう」
 そこで、ナルサス一人がとにかくも様子を窺ってくることとなった。酒を貰いにいくとか何とか、一度だけなら、口実は作れるものだ。

「どうだった」
 戻ってきたナルサスに、ダリューンが咳き込むように尋ねる。だが、親友は何やら考え込んでいるのか、それとも、呆けているのか、遠い目をしていた。
「…………あぁ、確かにいた。全く信じられんがな」
「いたのか? 監視はつけてあるんだろうな」
「いや、妙なことをすると、こちらが気付いていることを気取られそうだからな。放ってある」
「おい、ナルサス? 大丈夫なのか。本当に」
「心配あるまい。半端な量ではないからな」
 どうも、話が見えない。
「ナルサス。一体、奴は何をしているのだ。厨房なんぞで」
 大体、何故、周囲の者も気付かないのだ。どうしても、そこが判らない。
 パルス軍最高の智将は親友たる驍将の顔をマジマジと見返した。
 これほど、何とも表現しようのない親友の顔を見ることはそうはないだろう。

「ハ? もう一回、言ってくれ」
「だから、女官の扮装で、皿洗ってた」
「……状況がよく判らんのだが」
「俺だって、知るか」
 そのナルサスの様子にファランギースが笑った。
「私はてっきり、軍師殿の洒落か茶目っ気か、悪戯心かと思ったが」
「ファランギース殿……」
 そんなことをして、何になる。つーか、人を何だと思っておられるのやら。とはいえ、それを尋ねる気にはとてもならなかった。
 それより、問題はトゥラーン人の方だ。
「全く信じられん。あのトゥラーン人が女装などと」
「俺はそれより、あの化けッぷりが信じられん。ファランギース殿が気付かねば、あのまま見過ごすところだった」
 現に今も周囲の誰にも危ぶまれもせず、皿洗いを続けているのだ。恐るべきは三拍子の敵将か、女神官殿の慧眼か。
「しかし、危険だな。間者が潜り込んでも判別が難しいということだぞ」
 トゥラーン軍襲来から周辺の住民はペシャワール城に逃げ込んでいるが、そのような場合であるから、身元を確めたりもしていない。
 元より、数万人を抱える城砦だ。将兵だけでは動かない。生活を支える下働きもかなりの数になる。今後の課題が一つ増えたというところか。
「……そうか、下働きの女官か」
「ナルサス? 何やら、悪巧みを思いついたような顔をしているぞ」
「随分な言い様だが、まぁいい。巧いエサの食わせ方があったぞ。ファランギース殿、頼まれてほしい。彼の女官殿を後ほど、王太子殿下のお部屋の清掃係に加わるように手配して頂きたい」
「フム、なるほど。承知した」
 『巧いエサの食わせ方』とやらを察したらしい女神官は面白がるような笑みを浮かべた。


☆       ★       ☆       ★       ☆


 交代を告げられたジムサはやっと皿洗いから解放された。一体、どれだけの皿を洗ったかは定かではない。さすがに何万という兵を抱える大所帯だけあって、洗っても洗っても、皿の山は低くなることがなかった。
 しかも、一つ処に立ちっ放しの仕事など、初めてで、勝手が違うのもあった。
 半日でも一日でも、馬に乗り続けての行軍ならば、全く堪えないのに、すっかり腰が痛くなってしまった。全く馬鹿にできない仕事だと認識を新たにしたものだ。
 ともあれ、やっと次の行動に移れる──かと思いきや、直ぐにまた捕まってしまった。女官頭に指名され、真白な敷布やら壁掛けやら、何やらと持たされ、数人で何処ぞへと向かう。
 ジムサは不安を押し殺し、大人しく従うよりなかった。

 自信を持って良いのやら、全く疑われないでいるのだ。時折、バタバタと走り過ぎていく兵たちは果たして、自分を探しているのだろうか。だが、まるで目にも入っていない様子で立ち止まることもない。
 本当に複雑極まりないが、今は有利なのだと信じた。
 そして、連れて行かれたのは──豪奢というほどではないが、今までになく、飾られた中々美事な部屋だった。
〈こっ、これは……まさか〉
 立ち尽くすジムサは横合いから声をかけられるまで、その存在に気付けなかった。
「御苦労様」
 一斉に礼を取る女官達に、ジムサも慌てて、顔を伏せる。混乱していたためもあるが、形だけの礼を尽くすことに、さほどの抵抗を感じなかった。
 そう、現れたのはある意味では予想通り、アルスラーン王太子だったのだ。

続く^^;

 



 『アルスラーン戦記』もの『二難目』の『中の巻』でございます★
 どこまでも不幸な?ジムサ将軍ですが、どんな顔で、皿洗いなんぞしていたのかねぇ。おまけに“ベッド・メイキング”まですることに……おっと、それは次章のお楽しみ。

2006.02.09.

伝説小部屋トップ 小説