★七難八苦を乗り越えろ☆

二難目・下ノ巻


 これは好機なのだろうか。瞬間、ジムサも困惑する。
 得物はないが、柔弱な少年一人、始末するのは容易い。周囲には女どもしかいない。絶好の好機のはずだ。
 だが、何故かジムサは躊躇してしまったのだ。
「さぁ、急いで」
 女官頭がパンと一つ手を打つと、一斉に女官達が動き出す。
 ワラワラと部屋に散り、取り替えるものを取り替え、拭くところを拭き──王太子とジムサの間にも何人かの女官が入り込んでしまう。
「ち……」
 小さく舌打ちし、ジムサも動き出す。突っ立っていては目立つだけだ。機会はまた、あるやもしれない。
 ──どころではなかった。
「げっ、マズ」
 何と最も相対したくはない勇将と智将の二人組が現れたのだ。黒衣の戦士は言うに及ばず、知略の主とやらも動きを見れば、一級以上の剣士であるのは疑いない。
 これは王太子を襲うどころではない。絶対に正体を知られてはならない。コソコソと離れる;;; 勿論、とっくにバレていることなど、知る由もない。
「殿下、先刻、報告がございました。南部諸侯の兵十万、ペシャワールの南西二十ファルサングまで到着したとのこと。予定通りです」
「そうか、来たのか」
「これで、トゥラーン軍を挟撃できる。草原の覇者の命運もここまでだな」
 黒衣の戦士は自信たっぷりで、酷薄にも見える笑みを浮かべた。
〈何だと……!〉
 驚愕を押し隠すのには酷く苦労した。
 だが、事実ならば、確かにトゥラーン軍は存亡の危機に立たされることとなる。これは一刻の猶予もない。直ぐにでも城砦を脱出し、本営の国王《カガーン》に報せなければ!!

 作業を終えた女官達が一人残らず、出て行くと、アルスラーンはナルサスを見返した。
「これで、良かったのか?」
「ハイ、殿下」
 色々と疑問はあるに違いないが、アルスラーンは頷いただけだった。ナルサスのやることには全て意味があると、知っているのだ。
 一方のダリューンは首を捻り、唸っていた。
「しかし、判らん。本当に、あの中にいたのか」
「あぁ、いたぞ。尤も、俺も知らされていなければ、欺かれていただろうがな。全く、女神官《カーヒーナ》殿のお陰だな」
「う〜む、信じられん」
 驍将が更に首を捻ると、少年の好奇心を刺激したようだ。
「どうしたのだ。誰がいたのだ」
 素朴な疑問が今度は口をつく。
「え? あ、いえ……」
 両翼たる二人は何とはなしに誤魔化した。脱獄して逃げているはずの彼の敵将が女装して、殿下の寝台を整えていました☆ とは口にできなかったのだ。

 かくして、ジムサ将軍はペシャワールを抜け出し、トゥラーン陣営へと逃げ込むのだが、無論、パルス軍の監視網のお目溢しがあったことなど、想像もできなかっただろう。真直ぐな気性の武将に罠の可能性なぞ、微塵にも考え至らなかったに違いない。
 況してや、自分の女装姿をしっかり目撃されていたなどとは! ……知ったら、羞恥と憤怒の余り、脳が沸騰したかもしれない。


☆       ★       ☆       ★       ☆


 とにかくも、かくの如き次第で、その値千金の情報はトゥラーン軍に齎された。無論のこと、国王トクトミシュは上機嫌だった。
「ようやってくれた、ジムサ。報奨を取らすぞ」
「畏れ入ります。……ところで、陛下」
「む、何だ」
「あの……そろそろ、退出しても宜しいでしょうか」
 てか、いつまで、この格好で座らせとくんじゃい! 胸の裡で絶叫する。どうにも、国王の機嫌がいいのは掴んできた情報のためだけではないような?
 好き者なのは親王だけではない。四十を越えても、まだまだ国王も『お盛ん』なことだ。とはいえ、男色の気はないはずだが……;;;
 にしても、女装したまんまの俺を見る目には何やら落ち着かず、身構えてしまう。うわぁ、まさか、貞操の危機?
「まぁ、そう勿体つけるな。お主がこれほどの美形とはな。どうせ、見るだけしか叶わんのなら、精々、堪能させてほしいもんじゃ」
 見るだけ? 本当に見るだけか??
 もし、襲ってきたら、国王だろうが誰だろうが、全力で抵抗してやるぞ。今は帯剣してないが、居合わせている僚将の獲物を奪うでも何でもしてやるぞ。
 尤も、俺の腕を知っていて尚、そんな愚行に及ぶ奴もいないとは思うが……。
 しかし、油断はしなかった。……全く、ふと我に返り、こんなことを考えている自分に情けないというか、哀しくなってくる。
 が、思わぬ援護を受ける。
「陛下、お戯れが過ぎませぬか」
 親王イルテリシュだった。
 敵に捕われたとはいえ、勇戦の末のこと。更には危険を冒し、脱出し、重大な情報までも持ち帰ったものを──……。
「分かった。いや、悪かったな、ジムサよ。下がって、休むがよい」
「ハ…、ハッ」
 ともかく、ジムサはやっとのことで解放された。勿論、後のことなどは知らぬ。……というよりは考えたくもなかった。


「幾ら陛下でも、酔狂が過ぎるのではないかと焦ったが」
「こんなことで、隙が入るというのも馬鹿馬鹿しいぞ」
 トゥラーンの諸将の中でも特に高名な二人の将、タルハーンとカルルックは顔を見合わせ、密かに嘆息した。
「俺は内心、冷や冷やしたぞ。戦場に出る時よりも余程にな」
「ない話ではない、か。しかし、未だに親王はジムサに御執心、か」
「確かにあの化けッぷりはなぁ。呆れる他はないぞ」
「親王が初めてジムサに会った時、俺もその場に居合わせたのだが、掻っ攫っていきそうになったんだ。まぁ、無理もなかったな。何も知らなきゃ、勘違いするくらい、可憐だったからなぁ」
「可憐って;;; ……だが、成功しなかったな」
「手酷く振られたからな。怒り狂って、手打ちにでもするのではないかと周囲《まわり》は焦ったが、外聞もあるしな」
 女と思って、手を出したら、実は男で、返り討ち?にあって、腹立ち紛れに手打ちでは少々、恥ずかしい。
「尤も、本当にお怒りになられたら、そんなものでは済まぬ気もするが」
「あぁ。だから、実は本気なのかもしれん。未だに引きずっておられる、とかな」
「想像できんな。しかし、本気の相手が男で、しかも、今や我が軍になくてはならぬ将の一人とあっては、親王も運がない」
 などと僚将たちが語っているなどとは知らない方がいいだろう。

 とりあえず、ジムサにとって、一つの災難は去ったが、まだまだ多事多難というべきだろうか。安心するには、早い、とな???

了?

 三難目



 『アルスラーン戦記』もの『二難目』の『下の巻』──完結でございます★
 不幸に際限のなさそうなジムサ将軍、今回はどうにか切り抜けました。尤も、知らずに利用されちゃってますけど。あぁ、やはし不幸だ。
 何だか、いつの間にか親王のお気に入りもなっちまって──後が怖いな^^;;;

2006.02.24.

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