★七難八苦を乗り越えろ☆

三難目


 やられた……。完全にしてやられた。
 一度は捕虜になりながらも、何とか脱獄を果たし、重要な情報をも自軍に齎し──まさか、その全てが仕組まれた敵の策略だったとは!?
 迂闊だった。己が愚かさを悔やんでも悔やみきれない。
 その上、味方には裏切者と見做され、追われ、矢まで射掛けられる始末だ。挙句、矢傷を受け、倒れているところを利用してくれた敵たるパルス軍に助けられ、剰え、手当てまでされるとは! これでは正真正銘のパルス軍への内通者の如しではないか。
 尤も、放り出されたところで、身動きもできないこの有様では、自軍か周辺の住民に捕えられ、嬲り殺しにされるのは目に見えている。運よく、その目を逃れたとしても、のたれ死ぬだけだろう。
 大人しくしているしかないが、こんな状態でも監視が二人もついているとは警戒されたものだ。とはいえ、共に年端もいかない少年少女だが──それでも、アルスラーン王太子と同年代だし、考えてみれば、俺もあの年にはもう戦場に出ていたか……。
 いや、そんな懐かしがっている場合ではない。捕虜に逆戻りのこの状況を何とか打破しなければならない。そのためにも傷を完治させなければ!
 あの人の良さそうな王子はともかく、俺をハメてくれた彼の智将が温情だけで、俺を助けたとは考えられない。
 そのパルス軍の智将ナルサスが囚われの敵将《オレ》の前に現れたのは負傷の程度確認だけではないだろう。



 寝台にうつ伏せに横たわり、迎えたジムサを、じーっと見詰めるナルサス。
「…………何だ」
 奇妙な沈黙に耐えられず、つい尋ねてしまったが、止めときゃ良かったとまた、後悔。
「いや、ひょっとしたら、本当に胸でもあるのではないかと思ったのだがな」
「あるかっっ!!」
 反射的に叫び、「あだだだだっ」と寝台に突っ伏し、悶絶する羽目になった。上半身を包帯でグルグル巻きにされているが、当然、膨らみなどあるわけがない。幾ら女顔だからって……そもそも、好きで、女顔に生まれたわけじゃないっての!
「ハハハハ。失礼」
 笑いながら、言われてもな。

 全く、文人のような穏やかな雰囲気の持ち主には騙される。優雅に微笑みながら、その知略一つで数万の敵を瓦解させる智将がまるで、ジムサをパルス軍に誘うかのようなことまで言うのには驚かされた。
「俺には理解らん。何故、そこまで、アルスラーン王太子に肩入れするのだ。あの少年のどこに、ナルサス卿やダリューン卿を従わせる器量があると言うのだ」
「トゥラーンではそうはいかんか」
「それは…、そうだな。トゥラーンでは半日と生きてはおられまいよ」
 自らの身をも守れぬような心優しいだけの王太子など、勇猛果敢な騎馬の民で、生き抜けるはずがない。
「ところが、パルスではちと、事情が違う」
 環境の違いが文化や感覚の違いを生むのは解る。北の厳しい草原に生きるトゥラーン人は苛烈にして、富める者から奪わなければ、生きることはできない。
 だが、南の温暖な気候に恵まれるだけでなく、大陸公路が中央を貫き、商業も発展するパルスの民は苛烈さなど必要とはしないし、公路によって、富も集まる。
 その富を求め、トゥラーンは幾度となくパルスを攻め、パルスはそれを迎え撃ってきた。それが両国の歴史の有り様だ。

 パルスの智将に踊らされ、自軍に不利益を齎したのは疑いようのない事実だ。処断されても文句など言えないのも理解はする。理解はするが、納得できないのは『自分もハメられた』のも確かだからだ。自らの迂闊さを棚上げしてでも、一方的に『裏切者』として殺されるのは堪らない。
 だから、あの時も逃げたのだが──……。
 冷たい汗が噴き上がってきた。
〈おっ、思い出したくもない……!〉
 あの戦場の寸劇は、傍から見れば、笑劇以外の何物でもなかったろう。


☆       ★       ☆       ★       ☆


 凄惨なるトゥラーン人の同士討ち。ジムサの得た情報による結末だ。
「そ、そんな馬鹿な」
 謀られた! それをジムサは知っている。ジムサだけは──だが、同胞と血みどろの戦いを演じ、甚大なる被害を出した者たちの感情は認めなかった。怒りと恨みの直接的な矛先をジムサに向けたのも当然といえば、当然だった。
「ジムサ、貴様! パルス軍に籠絡されたかっ。何を約束された。富か、名誉か、将軍にしてやるとでも言われたか!」
 凄まじい剣圧に襲われるが、辛うじて身を躱す。しかし、大剣を突き付けてくる親王イルテリシュの異様な殺気こそ、凄まじい。周囲を兵に囲まれても、意識を向けるの親王のみだった。兵とて、下手にジムサに近付くことは親王の剣の間合いに入るも同然で、距離を置いているのは幸いした。
 しかし、親王の攻撃を避けつつ、囲みを突破するのは容易ならざることだった。ただただ、たった一度だろう機会を窺い、親王を注視する。
 その大剣を握る太い腕の筋肉が浮き上がり、震えているのまでが見て取れた。そして!?
「それとも…、それとも、貴様」
 来るかっ! 息すら止め、突進に備えるが、次には呆気に取られる羽目になる。
「貴様! パルスの将軍辺りと懇ろにでもなったかっっ!!?」
「…………へ?」
 今、何と? つーか、意味が解らない。いや、解りたくもないよーなことを言わなかったか?
「んなっ!?」
「相手は誰だっ。惰弱な王太子かっ。腹黒の(をひ;;;)智将とやらかっっ。それとも、まさか…、我が父の仇敵たる黒衣の騎士ではあるまいなっっ」
 クラリ…、思考停止状態。一体全体、どこから、そんな発想が飛び出すのだっ! 喚きたかったが、余りの言われように大打撃を受け、正しく言葉もなかった。
 だが、ジムサの沈黙をどう受け取ったか。憤怒の表情の親王が大剣を構え直した。
「何故、答えん! やはり、図星かっっ」
 ちがーうっ!! 断じて、そんなことはありえんっ。心の中で絶叫しても、相変わらず、声は出ず、陸《おか》に上がった魚の如く口をパクパクさせるだけだった。

 おまけに、囲む兵たちの間からもヒソヒソ話が……。
「おい、まさか。ジムサ将軍が?」
「信じられんが、しかし、あの女顔《かお》だしなぁ」
「そういえば、ペシャワールから脱出してきた時、女装していたらしいぞ」
「えっ、嘘! 見たかった」
「さぞ、可憐だったんだろうなぁ」
「あぁ〜。想像しただけでも、鼻血が」
 実は結構、兵たちに(武将としてというよりは別の意味でだが)密かな人気があるジムサだったりする。尤も、その熱烈さの余りに捻じ曲がっていくようだ。
「畜生! 絶対、誰にも靡かないと信じてたのに、よりによって、敵将とかっ」
「許せんっっ」
 どうやら、連想連想、また連想が妙な方向に結論付けたらしい。
 手の届かない『高嶺の花』──自分だけでなく、誰も摘むことができないからこそ、見ているだけで良かったのだ。
 なのに、その『高嶺の花』が摘まれてしまったとしたら!?

 怒りの質が変わったようでもあるが、何にせよ、ジムサにとっては、泣きたいくらいに情けない言い掛かりだった。誰が『高嶺の花』だっての! 俺は男だし、そーゆー趣味もないっての!! 悲痛な心の叫びは届かない。どの道、危険極まりない状況に置かれていることも変わりはない。

「そこに直れっ」
 親王の重い一撃を辛うじて、弾き返し、ジムサは踵を返した。この場では何を言っても、無駄だと──彼らが冷静さを取り戻せば、或いは。その可能性に縋るように、親王の剣から逃れた。
「この痴れ者が! やはり、裏切ったかっ。誇り高きトゥラーンの将がパルス人の情夫《おとこ》などに成り下がるとは!!」
 だーから、違うっての!! ともかく、そんな理由で叩き斬られるのは堪らない。ジムサは走った。
 馬を奪い、一気に加速をかける。背中にぶつかる怒声が急速に遠のいていくが、ヒュン…、と何かが風を切る音が幾筋も走った。矢を射掛けられたのだと察した瞬間、背中に熱い衝撃が! それも瞬時に灼けるような痛みに変わる。
〈──毒、か〉
 気付いた時には体が痺れ、馬上から放り出されていた。
 毒を塗った吹矢で、数多の敵を屠ってきた自分が、毒矢に斃れるのかと苦笑したかったが、声を上げることも叶わず、意識はそこで途切れた。


 死を覚悟する余裕はあったろうか? それもよくは覚えていない。
 とにもかくにも、矢傷を負い、倒れていた自分を発見したのは敵軍たるパルス軍だったのだが、何故か、止めも刺さずに、手当てをしてくれた。お陰で、一命を取り留めたことだけは確かだった。とりあえずは、だろうが。
 ここは敵の陣中で、自分は酷く危うい状況にあるのだ。
 お先真暗というところかもしれないが、それよりも今は、こうなった経緯を思い返し、捕虜になった以上に打ちのめされてしまった。親王を始め、トゥラーン軍は敵将に文字通り『通じ』て、ジムサが寝返ったと何故か、決め付けていた。

「ジムサ将軍、どうしたのだ?」
 枕に顔を埋め、ズドーンと落ち込むのに眉を顰めつつ、ナルサスが尋ねてくるが、勿論、答えられるはずがない。
 つーか、「貴公やダリューン卿の情夫呼ばわりされて、追われたのだ」と言ったら、この男、どんな顔をするだろう。さすがに涼しい顔はしていられないと思うが、しかし、自分をハメたナルサスへの細やかすぎる意趣返しは反動が大きいことも疑いなかった。
「将軍?」
「済まないが、少し考えさせてくれないか」
「……そうだな。急ぐことはあるまい。とりあえず、今は養生することだ。考える時間は十分にあるだろう」
 一を聞いて、十を知るような智将といえども、世の全てを把握し得るわけではない。自らが利用したトゥラーン人武将に何があったかなど、知るはずもない優雅な元パルス貴族が監視の少年少女にも下がるように指示する。
 少しばかり不承不承らしい二人ではあったが、強く反発することはなく揃って部屋を出ていく。

 余人の気配が気えた部屋に残されたジムサは酷く重たい溜息を零した。それだけでも、背中の傷が疼く。
 情けない成り行きはともかく、敵軍の中にあって尚、己が生き延びる道を定めなければならないことも、やはり変わりはなかった。

二難目・下 四難目



 シリアスと馬鹿話混合★ 馬鹿話だけで突っ走れなかったのは輝の力量不足だなー。
 ともかく、ド久々の『アルスラーン戦記』です。一年に一冊刊行てな感じの原作・第13巻『蛇王再臨』発行記念☆ っても、全然、13巻の話じゃないですけど^^ 第5巻『征馬孤影』の頃です。でもって、相変わらず、受難のジムサ将軍TT
 にしても、新刊は中々、衝撃展開でしたねぇ。

2008.11.02.

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