★七難八苦を乗り越えろ☆
七難目・上ノ巻 パルス暦324年。『解放王』アルスラーンの御代が始まり、既に三年ほどだが、無論、何事もなく、というわけにはいかなかった。 国王《シャーオ》となったアルスラーンが先王に定められた王太子ではあっても、実子ではないことを問題視する者も皆無ではなかったのが第一だろうか。 もっとも、問題とするのは貴族をはじめとした既得権を持つ者たちだ。殊に『解放奴隷政策』は当然の如く、反発は大きく、支配されることに慣れすぎていた奴隷たちですら、突然、『放り出された』と考える者が少なからず、いた。後々、犯罪に走る者も現れ、解決の難しさを思わせた。 とはいえ、大方の民は若き新国王を歓迎した。何といっても、侵略者たちを叩き出し、パルスに平和とかつての繁栄を取り戻したのはアルスラーンとその部下たちだったのだから。
アルスラーンに従った将兵は数あれど、殊にその側近くに仕え、後の世に『アルスラーンの十六翼将』と称されることになる有力な将たちがいる。 出身や経歴も様々だが、その一人に元は北方より侵略を繰り返してきた草原の民トゥラーンの男がいる。名はジムサ。勇猛をもって知るトゥラーン軍でも若くして、将の一人と数えられていたが、紆余曲折の末、パルスに於いて、アルスラーンに仕える道を選んだ。 そう、選んだのだ。己が生きる道を、自分自身が生きやすくするために全力を尽くすと──そう約した。 そのためには何でもすると……。 確かにそう言ったのはジムサ自身だが、よもや、こんな『役目』が待っているとは!! 誰が想像できるっていうんだっっ!?
アルスラーン即位から三年、国内は大分、落ち着いてきたが、それでも不穏な気配がないわけではない。むしろ、陰に籠もるようになり、見つけにくくなってきた。 小さな芽は摘み取れても、根は案外に蔓延っているものだ。 それでも、地道に摘んでいくしかないのだが、時には手出しが難しい場合もある。 『神殿』がその一例であろうか。パルスの場合は彼のルシタニアのように深く宗教と国政が関わっているわけではないが、無論、無視するわけにもいかない。 国王御自らが参加する神事とて、あるのだ。そして、何より、各神殿は独立しており、問題があろうとも、王宮が直接、首を突っ込むことはできなかった。
「それは真なのか、ファランギース殿」 眉を顰《ひそ》めた宮廷画家の言葉は問いかけというよりも確認に近いようだ。 美しい女神官《カーヒーナ》が黙して、頷くと、職責は宮廷画家なれど、若き王の頭脳と誰もが知るナルサス卿は軽く息をついた。 「神殿といえども、人の集まりに過ぎぬのは間違いないこと。様々な利があり、流され、絡め取られる者がいるのもまた然りではあろうが……」 「同じく神職に在るものとしては汗顔の至り、と言うべきじゃな。とは申せ、汗を拭くだけでは済まぬのじゃろうが」 「それもまた然り。さて、如何に対処すべきか」 ファランギースが属する神殿は正確には地方のミスル神殿だ。よりにもよって、同じミスルを祀る王都の神殿にて、国王陛下への不穏の動きあり、というのがファランギースが齎した報だ。ファランギースも他の神官から伝え聞いたもので、その後、確認は取った。 大胆にも、御膝元たる王都エクバターナにて、何やら画策しているとは──『神殿は不可侵』と信じて疑わずにいるようだが、これは甘いというべきか。 確かに王宮はこれまで、各神殿に対して、口も手も出してこなかった。出したのは相応の寄進くらいだろう。 人心を鎮め、民の拠り所となるのに徹するなら、全く文句などない。しかし、勘違いされては困るのだ。何があろうと、どんな場合であろうとも『神殿は不可侵』などと信じられては。 「これは釘を刺す必要があるな」 「如何にして?」 それこそ、表面上は「何事もない」のだ。国王第一の忠臣たるを自負する黒衣の驍将ならば、「何かあってからでは遅い」と噛みつきそうだが、こちらからでは下手に手を出せないのだ。 「……まずいことに、件《くだん》の神殿にて、陛下行幸の神事があるのじゃが」 「そうだったな。しかも、エクバターナの民も招き入れての大がかりなものだ」 神事は神事だが、民にしてみれば、お祭り感覚なのだ。神殿の門前通りには市が立ち、それはそれは盛大に浮かれ気分の騒ぎになる。余りというか、ほとんど神事は関係ない……、精々が口実に過ぎないのだ。 おまけに、若き国王陛下もお出ましになる。元より、民に近しい王で、微行《おしのび》好きも有名だが、この日は確実に民の前に姿を見せる場なのだ。お祭り好きの民が好んで、集まるのも当然だ。 もっとも、王宮側としては警備に気を遣うこと、この上ない。神事の場となれば、国王にべったりと警護を付かせることもできない。おまけに、神殿とあってはそもそも、護りを考え、造られているわけでもない。 「神事を先延ばしになどはできぬし、理由なく陛下の行幸をお止めすることも叶わぬであろうな……」 理由を説明したところで、明らかな『陰謀』があるのではない。何より、自分などが来ることを、民が喜んで待っていてくれるとなれば、行幸と神事への参加を取り止めまではしないだろう。 「警護のありようは考えねばなるまいな。無論、神事に於いてはファランギース殿に陛下のお側についていただくとして」 「それは良いのじゃが、敵《あちら》も、わたしがお側に控えるは承知の上じゃろう」 「その上で、仕掛けてくるか否か……問題はそこだな。となれば、護りについても──」 「神事とあっては、わたしとしても剣を携えるわけにはいかぬしの」 もちろん、得意の弓もだ。神事用のものなら、別だが、実用的でないのはいうまでもない。 「それも含めて、考えよう。……この際、出せる膿は出しきりたいものだ」 宮廷画家の皮を被り損ねた軍師の不穏な言葉に、美しき女神官も形の良い眉を上げた。 ☆ ★ ☆ ★ ☆
当然、何もないに越したことはない。ましてや、それが国王陛下の御身に関わるともなれば──多くの者はそう願うはずだが、先のことを考えれば、別の成り行きを望む者もいる。 国王の傍らに、ずっと控えることとなるファランギースは神事を迎える数日前、ナルサスに呼ばれ、その『作戦』を明かされた。以前の直感の通りに不穏なものに、改めて柳眉の角度を跳ね上げる。 「……それは陛下の御身を囮とするに等しいのではないか」 「身も蓋もないが、そう言われても致し方ない。だが、これは陛下御自身がお望みなのだ。御自分だけが安全なところに隠れて、やり過ごすことなど、お望みになるはずがない」 確かに、穏やかに見え、素直に思われても、誰よりも実は頑固なのがアルスラーン陛下だとは、近しい者であるほどに良く知っている。 「この際だ。神殿に巣くう者どもも、寄生するような輩も一掃したい。その点、ファランギース殿とて、異論はあるまい?」 国王を招く神事を扱うような大きな神殿と、未だ残る反国王派が癒着している……それこそがナルサスの調べで明らかになったことだ。 しかし、まだ、さほどの結びつきではない。その結びつきがより強固に、より強大になる前に、完全に叩く。今回はそのまたとない機会だった。 「ダリューン卿は、ナルサス卿の案を了承されたのか」 先刻から、むっつりと黙りこくっている黒衣の驍将に問いかける。最初から同席しているのだが、不機嫌そうで一言も発しない。 取り巻く空気ときたら、凶暴そのもの。並の人間ならば、不調を訴え、逃げ出しているだろう。ファランギースですらが背筋に寒いものを覚えるほどだ。同時に、さすがは国王第一の忠臣との認識を新たにするが。 そんな漆黒の男はファランギースの問いに、これまたむっつりと低い声で答える。 「了承するも何もない。こいつが考え、陛下がお認めになられたことだ。最良の策と思うよりない」 ならば、果たすために全力を尽くすだけだと言うのだ。 「まぁ、神殿全体の警護に関してはこいつらに任せればいいとして、やはり、問題は神事の最中でな。今のところ、お側に控えられるのはファランギース殿だけになってしまう」 それも致し方ない。何しろ、『神事』なのだ。神官か女神官、巫女くらいしか侍ることは許されない。
「こうなると、アルフリードがその資格を得られないのが悔やまれるな」 溜息混じりでダリューンが言うと、即座にナルサスが反論した。 「言っても詮無きことだろうが、誰にでも向き不向きはあるものだ」 「……なるほど、確かに。誰にでも、向き不向きはあるものだな。当人が認めたがらずとも」 ニヤニヤとしながら、妙に訳あり気に言うもので、ナルサスは不愉快そうに顔を顰《しか》めた。アルフリードではなく、別のことを当て擦られたのに違いないからだ。 だが、別に乗ってやる必要はない。僚友悪友の当て擦りなど、華麗に無視してやる。 「何れにせよ、アルフリードでは顔が知られすぎている。余り、敵を警戒させたくもない。他に腕の立つ神職《もの》はおらぬものかな。女神官殿」 「さて…、そういう者は、各地の神殿に散るものでな。無論、陛下をお護りするためにも、既に此度の神事には数人が参じておるが」 それでは十分ではないというのだろうか。というより、ナルサスやダリューンの気分としては自分たちを基準にしすぎるのだろう。 ファランギースならば、安心して、アルスラーンを任せられる。とはいえ、矛盾しているようだが、護衛が一人だけでは不安がないわけではないのだ。 以前、ファランギースも言っていたが、敵とても、最強の女神官の護りを承知の上での陰謀画策なのだから。 もう一枚くらい、切り札が欲しいところだ。 「神官でなくとも、潜り込ませることはできぬものかな」 「それはまぁ、一人くらいならば、警護のために他の神殿から呼んだとでもいえば、誤魔化すことはできるじゃろうが」 「……ナルサス。また、悪巧みをしているような顔だぞ」 「何度も言うが、悪巧みではない。では、ファランギース殿。少し骨を折ってもらおうか。女神官でも巫女でも構わぬ故、一人、仕立てていただきたい」
というわけで、一人、仕立てられてしまったのが──冒頭で、想像もできない事態に、嘆いていたトゥラーン人だったりする。 勇猛をもって知る、草原の民出身の将軍だが、小柄・童顔・女顔と揃った別名『三拍子の将軍』ジムサに他ならなかった。
呼び出されて、最初に計画を知らされたジムサが絶句したのはいうまでもない。 「…………冗談だろう?」 「まさか」「冗談は嫌いだ」「それほど、暇ではないの」 ほぼ同時に即答されたが、全てが否定だったのは間違いない。 「これは任務じゃ、ジムサ将軍。というわけで、早速、巫女になっていただこう。何、案ずるな。ただ、立っていてくれればよい。あぁ、その前に、湯浴みはしていただこうかの」 「ちょっ、ちょっと待ってくれ。俺に選択権はないのかっ」 幾ら何でも、それがアルスラーン陛下を影ながら護る役目だとしても、巫女に紛れて──つまりが女装してなどと、常軌を逸している。 「嫌だと言うのか? だが、ジムサ将軍。お主、麾下に加わる際、言ったはずだな。できることは何でもやると」 ぐっと詰まってしまう。確かに言った;;; とはいえ、よもや再びの女装が巡ってくるなどと誰が想像できるだろうか。 「それは言ったが──しかし、いや、無理だ。というか、誤魔化せるはずがない。衆人環視の前に出れば、絶対に男だと露見《バレ》るに決まっている」 「心配するな。かつて、ペシャワール城にて、お主も女装したから、我らの目を眩ませられたのであろう。まぁ、女神官《カーヒーナ》殿の慧眼だけからは免れなかったが」 「…………へ? ペシャ…、ワール城??」 何か、とんでもないことを言われたような気がする。 無理矢理にでも抹消したかった過去だ。四年近くが経ち、どうにか朧気になってきた──と思いきや、こんな形で瞬時に蘇らせられるとは!? 「おっ、おっ、おおおおっ」 「ジムサ将軍? 落ち着け」 「おおっ、落ち着いていられるかっっ。おっ、おおっ、お主らっ、知っていたのか!? 見ていたのかっっ!!?」 舌が蹴躓いたようだが、どうにか絞り出された絶叫も羞恥にヒビ割れている。見られていたなど、考えたくもないことだった。 「んー、まぁな。いや、それでも、ファランギース殿が気づかねば、完全に見過ごすほどだったぞ」 「……俺は教えられていても、よく判別《わか》らなかったからな」 慰め顔の黒衣の騎士の言葉も耳には入らない。慰めにもなっていないわけだ。 「まぁ、気にするな。ジムサ将軍。ここにいる三人だけだ。知っているのはな」 だから、そんなことは全く! 全然!! 何の!!! 慰めにならなかったTT 「適当に女装しただけで、あの出来だったのだ。まぁ、あれから、四年ほど経っているが、それでも、ファランギース殿が念入りに仕立ててくれるので、任せればいい」 衝撃の余り、反論する気力など、すっかり剥ぎ取られてしまったジムサは顔を引きつらせるばかりだ。 とはいえ、次には幾らか表情を改めることとなる。 「陛下の御身をお側近くで、お護りするお役目だ。滅多な者には任せられぬ。その意味は、解ってもらえような」 三人のパルス人を見返し、ジムサはその言葉に多少は冷静さを取り戻した。そして、覚悟を決めた。……こんな覚悟など、他の誰も求められないに違いないのは不運だが。 「──解った」 言葉少なに頷くジムサの前に、「では」とファランギースが進み出た。 「早速、湯殿に行ってくれるか。まずは荒れた肌を何とかせねばな。それから──」 その奇妙な迫力に恐慌するジムサの腕をしっかりと掴むと、有無も言わせず、怒濤の勢いで、連れ出していってしまった。 「……ファランギース殿、楽しんでいないか?」 「多分な。まぁ素材は良いとか、言っていたからな」 「素材ねぇ」 ダリューンには全く理解できない世界の話だ。 ともかく、賽は投げられた。 アルスラーンの御身近くの護りはあの二人に任せるとして、二人は神殿全体の警護と、そこに連なる『陰謀』とに対さねばならないのだ。 しかして、四年も経って、またもや、公認の女装をする羽目となった三拍子将軍の運命や如何に!? 続くぜ^^
六難目 七難目・中
はい、すっかり、何かしらの反動として書いている今さらシリーズです。前作はアニメ終了後 でしたが、今回は最新刊発売記念……。 まぁねぇ、今までにない衝撃展開だったわけですね。うん。アニメ第二部も始まるってのに、どういう気分で観ればいいんだろう? まぁ、一応、観る気ではいます。
2016.06.05. |