風濤碧落《なみたつそらに》
2 風を切る音が好きだった。 何でもいい。鳥でも、木の葉でも、電線のようなものでも何でも──今、風が動いている。その証が好きだった。 何故か? 理由など、ない。ただ、好きなだけだ。他人はすぐに理由を求めたがる──俺の好みなど、詳しく知って、どうするというのか。不可解極まりない。 誰に対しても、望む答えを与えなかったがために、次第に問う者も減り、人は俺から離れていった。その類《て》の噂もすぐに広がるものらしいが、俺には好都合だった。煩い騒音が消え、ただ、風の音に耳を傾けていればよかったのだから……。 だから、些細な罪でFAFに送りこまれた時は幾らか消沈した。任務にもよるが、フェアリイでは地上に出られることは殆どない。パイロット適性を認められた俺には殊に、風が遠かった。 出撃した時のみ、戦闘機のコクピットに伝わる音で、気持ちを慰めるしかなかった。 唯一の楽しみを奪われたに等しい俺が他の隊員と上手くやっていけるはずもなく、幾つもの部隊を盥回しされるように転々とした。結果、行きついたのが特殊戦第五飛行戦隊、通称『ブーメラン戦隊』だった。
特殊戦の隊員、ブーメラン戦士は機械のような人間だ。 そんな話はフェアリイの住人になって、すぐに耳にした。「お前も正にそうなのだ」と評価されたことに特別な感慨もなく、その辞令を受けた俺は、だが、ブーメラン戦士たちがかなり自由に基地外に出ることを許されていると知った時には喜んだ。また、誰もが他人の行動に関与したりもしない。歓迎すべきことだった。 尤も、どこにでも例外はいるものだが、 「──風が好きか」 屈託のない態度で、奴はそう聞いた。黙っていたのは面食らっていたからだが、奴は勝手に納得したらしかった。ただ、その他大勢のように理由を問うたりはしなかった。
許可さえ得れば、特殊戦では地上に出ることは難しくなかった。頻繁ではないが、ブーメラン戦士たちが時々、上がっていることに転属後、さほど経たずにサミア中尉も気づいた。 初めて総監に掛け合いにいった時は少々、緊張もしたが、拍子抜けするほどにあっさりと許可は下りた。特に目的を問われることもなく、時間だけは厳守。戻った際にはコンピュータに報告するよう注意されただけだ。 フライト・スーツを纏わず、メットも被らずに当たるフェアリイの風は心地好かった。 故郷の風を重ね、その光景を思い描き、懐かしむ者もいるかもしれないが、サミアはそのような心象風景を持ち合わせていない。 彼は単に──その風が好きだった。好きになれそうな風だと感じた。
昼のまだ日──フェアリイの太陽は連星だ──が高い時分、地上に姿を現したサミアは滑走路を見渡した。特殊戦専用滑走路には動きはないが、遠くには離陸していく機も見える。あれは哨戒機だろう。まだ前線を越え、六大基地が戦火に曝されることはないが、そも大きな作戦があれば、許可など出るまい。 暫くして、収容庫の裏手に回る。 基地の地上部はフェアリイの、これが非常に強固で大変な労苦を要したという、森を切り開いたもので、その森は間近に見ることができる。尤も、植生や住民たちの研究はそう進んでいない。対ジャム戦略に関わるものともされず、踏み込みさえしなければ、危険もないために無視されたといえる。 しかし、人とは不思議なもので、正体不明な緑であろうとも“緑”には何か精神に働きかけるものを覚えるらしい。 自覚があるかないかは別にしても、「機械のようだ」などと噂されるブーメラン戦士も例外ではない。大体がして、彼らも各々が趣味や拘りを持った人間であるという認識は案外に薄い。 ともかく、サミアにとっての森は風の通り道だ。演奏の場、といってもいい。刈りとられた草地はゴロ寝で過ごすには格好だった。 今日の風は幾らか強いようだ。短い草もサワサワと鳴り、森の葉擦れは煩いくらいだが、気にはならない。鳥の囀りらしき声も重なる。似たような生物がいるのだろう。好い気分で、うつらうつらと浅い眠りに身を委ねる。 ヒュッ… その意識を刺激する鋭い音が紛れ込む。風切音には敏感だ。目を開けば、収容庫と森に挟まれた視界は切りとられた青い空。風が強いせいか、雲も速く流れていく。 気のせいか? いや、疑った次の瞬間、何かが視界を過ぎった。 鳥? いや、違う。体を起こし、上空を見据えていると例の鋭い音を残し、何度か影が旋回して、飛び去っていく。速い。さらに目を凝らす。 ヒュウッ… 思わぬ方向から視界に飛び込む。捻りを加え、影は消えた。 「……シャレかよ」 皮肉な笑いも漏れるというものだ。影の正体はどうやら、収容庫の屋上部から放たれ、舞い戻っているようだ。 立ち上がったサミアは屋上部へと繋がる梯子階段を昇り、様子を窺う。いるのは男が一人だけ。ラフに着ている制服には自分と同じ隊章。そして、彼が飛ばしているのは──……、 「ブーメラン戦士がブーメランを、ね」 全くシャレでしかない。 流れるような動作で投擲する。上空は相当に風が強いだろうに、ブーメランは見事に乗りきり、男の手元に戻ってきた。元の立ち位置から微動だせずに受けとめた男が振り向いた。 「そんな所にへばりついてないで、上がってきたらどうだ。新入り」 さすがにサミアは息を詰めた。隠れていたわけではないが、確かにこっそりと覗いていたようなものだし、気付かれていたことにも驚きは隠せない。 ともかく言いなりになる必要はなかったが、殊更に無視して降りるほどでもない。サミアは最後の何段かを昇り、屋上部へと出た。 梯子階段はついているが、それだけで、何の設備もありはしない。フェンスすらなく、単に屋根の上というべきか。特殊戦機が発進していく収容庫だけに高さだけはそれなりにあるので、万一を考えれば、貴重なパイロットが二人揃って、上がるような場所でもないのだが。 そう、その男もサミアと同じパイロットだった。B−1──特殊戦一番機を操るジェイムズ・ブッカー大尉。現在の特殊戦で、最高の技術を誇るとされる。紛れもないブーメラン戦士の一人。 サミアも名前は知っていた。他のブーメラン戦士たちには正直、あやふやな者もいるが。 「よぉ、新入り。こいつに興味でもあるか?」 トントンと肩を叩いているブーメランから大尉へと目を移す。この男は実に変わっている。 無感動で無表情な連中揃いのブーメラン戦士の中で、彼はかなり感情の発露が豊かだ。特殊戦では大して必要とされない社会性や協調性も有しており、時にはブーメラン戦士間の取り持ち役も──本来は総監の役目だが──代わりに務めたりもしているそうだ。 そして、また不思議なことに、他の連中もそれなりに彼には対応するようなのだ。尤も、必要な用件を持ってくるのだから、当然といえば当然か。 サミアが黙っていると、何を思ったか大尉はまたブーメランを投げた。風を切る音に我に返り、つい目で追った。 「──風が好きか」 唐突な質問だ。風に負けることなく手元に戻るブーメランを受け、笑う。これもブーメラン戦士らしくない、やたら邪気のない笑顔だった。本当に変わった奴だ。 そして、もう一投。空中へと放り出される度に、僅かに異なる音の響きが耳朶を打つ。フェアリイの風──正に妖精《フェアリイ》と戯れているかのようだ。そんな風に、不意に意外な動きを見せる。どこか踊っているようにも見える。 サミアは確かに大尉のブーメランにも興味を持った。 問いかけには答えなかったが、大尉には特に気を悪くした様子もなく、弄んでいたブーメランを差し出してきた。 「投げてみないか」 目を丸くする。関心のあることを気取られたか? そう考えるのは少々、面白くない。 「何で、俺が」と突っぱねる。 「いいじゃないか。適当に放り投げるだけだ。後は勝手に返ってくる」 そりゃあ、ブーメランは返ってくるものだろうさ。などと思ったが、何か引っかかる物言いに、怪訝そうに改めてブッカー大尉を見やる。次には押しつけられるように、ブーメランを持たされていた。予想に反した重さと質感。 「何だ、これは。コンピュータ制御でもしているのか」 ところどころに、センサーらしきものが埋め込まれている。 「あぁ、飛び方を学習するんだ。投げれば投げるほどにな。だが、いつも俺だと、どうしてもパターン化しちまう。他の奴にも投げてもらえれば、それだけ利口になる」 「だからってな」 「大した労力もいらんだろうが。それに、面白い風切音が聞けるかもしれないぞ。サミア中尉」 「……何で、俺の名前」 「あ? あのなぁ。戦隊員は30人もいないんだぞ」 名前くらい、一度聞けば覚えられる。関心の有無など関係ない。本当に覚えられないのだとしたら、記憶力に問題ありだろうが。などと呆れた口調で言われれば、反論の言葉もない。しかも、何となしに優位に立たれてしまったようだ。 サミアは息をつくと、不承不承の体で──内心はさほど面倒でないのも確かだが──フェアリイの空に向かって、力一杯放り投げる。いっそ、戻ってこなければ、大尉の面白い顔が見られたかもしれないが。 微妙な投げ方、力加減の違いなどを学ぶのだろうか。ブーメランは緩やかな弧を描き、空を舞う。風を切る音も近く、遠くに響いてくる。 悪くはない──実感だった。 ブッカー大尉は上に出る時は必ずブーメランを携えていた。 それからというもの、外で会えば、一度は投げた。その度に、複雑な動きをするようになっていた。これは無理だろう、という強風下でも何とか手元に返ってくるのだ。 「完璧なブーメランを作りたい」 いつだか、大尉が言った『投げ続ける理由』だ。 サミアが尋ねたわけではなかった。相変わらず、他人に興味はない。協力しているつもりも更々ない。サミアにすれば、たまに“自分の音”を聞いてみたいだけのことだ。 それでも、確実に親しくはなっていたのだろう。 ……ふと思う。
完璧さを求めるのは何のためか? “完璧なブーメラン”とやらを作って、どうするのだろう? しかし、自分の内に微かに湧いた疑問を、言葉として問うこともなかった。ただ、時折、学習するブーメランを投げて、細やかなデータを提供していただけのこと……。 小さな疑問が“他人への興味”なのだとは気付きもせずに、時には隣に立っている。たまに時間を共有しながらも、それ以上に踏み込むことはしない。 そうでありながらも、少しずつ少しずつ、距離は縮まっていた。 (1) (3)
意外に早かったのか。案の定、遅かったのか? 『戦闘妖精・雪風』小説第2弾です。すでに好き勝手輝ワールドに進攻中;; 主人公(零)はどこ行った? 当然の如くオリ・キャラ化しているサミアと、少しだけ若かりし頃のブッカーさん(当時、大尉)遭遇シーンですね。 実際、彼らはどんな会話をしたものか? 原作は殆ど役には立たない。まぁ、サミアが唯一、接点のあるのがブッカーさん──ということで、こんな感じで進んでます。
2003.04.06.
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