風濤碧落《なみたつそらに》
3 自分でも、意外なほどに気に入っていたのだ あの、音を…… その日は偵察飛行も機体整備も、報告書作りもなく、半日、ブーメランの調整をしていたジェイムズ・ブッカー大尉は午後、外に飛ばしに出た。無論、総監に許可は取った。疾うにそのつもりで手にしたブーメランに苦笑し、あっさりとOKしてくれたものだ。 「そういや、サミア中尉も今、出ているぞ」 聞いてもいないことをわざわざ教えてくれるのには「そうですか」などと適当に答える。 「案外、仲が良いようじゃないか? たまに一緒にメシ食ったりもしているようだし」 「というほどでもないですがね」 時間が合えば、基地内の食堂で席を同じくすることはあるが、話が弾むわけでもない。他の連中に比べたら、まだしも、まともな反応が返ってくるが、それは外での細やかな共有時間のためなのだろう。だからといって、馴れ合っているわけでもないのだ。 にしても、『仲が良い』などと中尉が聞いたら、どう反応するだろう。眉くらいは顰めるだろうか。それとも、やはり気にも留めないか。 「ところで、ジャック。例の話は考えてくれたか」 「あぁ…。えぇ、まぁ」 突然の話題転換は不意打ちだと思う。曖昧な返事に総監が眉を曇らせる。 「何だ。気のない返事だな。まだ結論を出せんか」 「そう急ぐこともないはずでしょうに。俺の任期はまだ半年以上、残っているんですから」 「だから、私としてはその間に引継ぎを済ませたいんだがな」 率直な言葉にブッカー大尉も言葉を飲み込む。『総監』としての仕事を今の内に伝えておきたい。そう言うのだ。 任期を延長した場合、パイロットの激務にはもう耐えられないだろうことは判っていた。殊に特殊戦の任務は尋常ではない負担となる。他の戦隊に比べても、明らかに戦闘要員としての寿命は短い。今の任期がパイロットとしての最後の務めとなるだろう。 そのブッカー大尉を、総監は自分の後任に据えたいと考えているのだ。現在でも補佐らしいことをやっているためもあるが、彼は「向いている」などと評するのだ。 だが、ブッカーはまだ答えを出せずにいた。 パイロットとしての己に拘りがあるのか? と問われれば、それほどではないと客観的にも思える。地球に帰りたいのか? と質されても、大した思い入れがあるわけではない。 「まぁ、お前さんの言うように、まだ時間はあるな」 もう少し考えてみてくれ、と言い足すと、総監は自分の仕事に取りかかり始めた。 幾らか釈然としない思いを抱えながらも、ブッカー大尉は地上へと上がった。 総監は今の任期を最後に特殊戦を、FAFを、フェアリイを去るつもりなのだ。理由は知らない。聞こうとも思わない。その必要もないことだ。 肝心なのは特殊戦を指揮するクーリィ准将も認めているらしいということだ。但し、後任が定まらなければ、慰留する気だということも。 それは仕方がない。特殊戦第五戦隊“ブーメラン戦隊”を正常に稼動させるには、その管理者たる総監の存在は不可欠なのだから。 しかし、そこで白羽の矢が自分に当たるとはブッカーも思ってもいなかった。 もし、そうとなれば、残されたパイロット生活を、ただ言われるがままに『気楽に』は飛んでもいられなくなる──それが酷く窮屈なことであるのは間違いない。そんな自分を憂えているのだろうか?
ブッカーはいつものように収容庫の屋上部に上がると、ブーメランを飛ばし始めた。 だが、雑念を払うように放ちながらも、心の片隅には消えない靄が立ち込めている。 この時のブッカーはサミア中尉のことは意識に上らせる余裕もなかったのだ。
「──また、あいつか」 いつものお気に入りの場所で、昼寝を決め込んでいたジョージ・サミア中尉は既に聞き慣れた音に体を起こす。やはり、仮にも戦士たる者、ぐっすりと熟睡することは元よりないが、あの音には簡単に目覚めさせられてしまうのだ。 体についた草を払うと、収容庫に向かい、梯子を上っていく。その間にもヒュウヒュウッと鋭い風切音は耳を打つ。一段と切れ味も鋭くなっているようだ。 そして、屋上部へと顔を覗かせようとした時だった。後方──それもやや下方から迫るのはあの音だ。それは殺気を放つことはない。サミアが気付けたのは音に敏感だったからだろう。 「うわっ!?」 下から抉るように跳ね上がってくる。辛うじて、躱したが、危うく梯子から落ちかけた。 「──中尉!?」 気付いたブッカー大尉が意識をブーメランからサミア中尉に振り向けたのはほんの一瞬。だが、危機を呼び込むには十二分だった。 多様な飛び方を学習したブーメランは先刻のように思いもかけない動きを見せるようになっていた。時には戻ってくる直前で不自然なほどの転回を示すことさえあった。勿論、承知していたが、この時ばかりはブッカーの注意も僅かに逸れた。 そこに正に眼前で急激に方向を変えたブーメランが突っ込んできた。戻るべき、放たれた場所へと──必ず、そこに達するようにとインプットされた通りに、正確なまでに帰ってくる。
ザッ… ブーメランはモノだ。それ自身は殺気を振りまくことはない。 それは──ジャムも同じだ。だが、ジャム同様に迫ってはくる。この『必ず戻るブーメラン』はある意味、投擲者を狙い定める凶器でもあるのだ。その圧迫感は確かにある。 それ故に、反射的に体が動いたのだろう。仰け反らなければ、それこそ、首だか腕だかを飛ばされていたかもしれない。だが、完全には避けきれなかった。 鮮血が散り、ブッカー大尉はその勢いのまま、倒れ込む。 そして、ブッカーの血を空へと巻き上げたブーメランの行方は──。 「大尉、戻ってくるぞっ! 後ろだ!!」 何度でも、ブーメランは放たれた場所を目指す──飛行のためのエネルギーを失うまで……。臥せっていたブッカーは上体を起こしかけていたからこそ、危険だった。 それでも、サミア中尉の警告に顔を上げ──既に朱に彩られている──舞い戻ったブーメランをどうにかキャッチした。ブッカーを傷付けた分、幾らか失速したのが幸いした。 カンッ… 手にしたブーメランが滑り落ちる。そのまま、ブッカーは蹲ってしまう。 サミアは梯子から飛び上がり、駆けつける。 「おい、大尉!?」 「ツゥ……」 ザックリと右頬が裂けている。止めどなく流れる血は制服を赤く染め、少しずつ血溜りを広げていた。 ともかく、早急に医療室に連れていくべきだが、この状態のままというわけにもいかない。傷口を抑えるには清潔なタオルやらを──だが、持ち合わせなぞ、あるはずもない。 サミアは躊躇わずに制服の上着を脱ぐと、無造作に頬のキズを押さえつけた。 「痛ッ…! オイ、中尉」 半ばは走り抜ける痛みから、ブッカーが悲鳴じみた抗議の声を上げるが、 「我慢しろ。生憎とタオルもハンカチもないんだ。あぁ、あんたは持ってたのか?」 「……いや」 お互い様というのか、御同輩というべきか。 「なら、文句を言うな。一応、クリーニングしたばかりなんだぜ」 何にせよ、選択の余地などない。血を滴らせながら、戻るわけにもいかないのだ。 乱暴ではあるが、サミアの助けを受けながら、ヨロヨロと立ち上がる。 「下りられるか」 「あぁ──」 いきなりの最大の難所が梯子階段だ。何のためについているかも判らない代物で、屋上部に上がる用など普通はありえないので、他に道はない。 サミアが先に下り、ブッカーは支えられながら、一段一段をゆっくりと下りる。一歩一歩を踏み出す度に激痛に苛まれる。 どうにかこうにか、地に足をつけた時には精根尽き果てたような有様だった。痛みで意識も飛びかける。 本来は戦闘機運搬用の巨大エレベータに乗り込む頃には相当、消耗しているようだった。自然、サミアの肩にかかる体重が刻々、増してくる。 「オイ、しっかりしろよ」 「────」 「気を失った奴を担いでいく気はないからな」 そこまで、お人好しではない。躊躇いなく、その場で捨てていくぞ、と脅しをかける。だから、しっかりと自分で歩け、と発破をかけているのだろうか。 本当に失神したら、口とは別に最後まで、面倒を見てくれるだろうが、さすがに担がれていくというのはブッカーのプライドが許さない。 エレベータが僅かな揺れとともに停止する。今のブッカーにとってはとてつもない衝撃を伴う激震に等しく、又もや意識が遠のきかける。歩き出すのもサミアに引きずられての反射的なものになっている。 そこは特殊戦戦隊機の整備・出撃準備庫だった。下の格納庫から移された、近く出撃を待つ機体、或いは逆に任務から帰投した機体が数機、整備を受けている。 己の愛機に取りつくブーメラン戦士は勿論、整備員たちも各々の仕事に没頭している。普段は誰が通ろうと、反応はない。ブーメラン戦士は言うに及ばず、その環境に鍛えられてというべきか、無駄な会話をしない彼らには日常の挨拶すらが無用なのだと、整備員たちも身に染みている。 そんな彼らだが、さすがに尋常ではない血に彩られた二人のブーメラン戦士には目を剥いた。夫々のコクピットにあるブーメラン戦士たちすらが作業の手を止め、二人の『同僚』を夫々の表情で、凝視している。 整備員が只事ではないと駆け寄る。代表するように問いかけたのは整備班長の片腕と目されるエーコ少尉だった。 「ブッカー大尉、サミア中尉。どうしたんです」 「見ての通りだ。医療科に連絡してくれ。急患だとな」 見ての通り、などと簡単に言われても──エーコ少尉を始めとした一同は顔を顰《しか》める。 つるむことのないはずのブーメラン戦士が二人、何をしでかしたか、一方は激しく顔から流血している。もう一方は己の上着を犠牲にして、肩まで貸しているのだとは風体から判る。 それはそれは非常に興味をかき立てる『珍しい光景』だった。だが、 「何をボケッとしているんだ。さっさと連絡しろよ」 誰も動かないのにサミア中尉が一喝する。興味より何より、確かに一刻を争う状態だと遅蒔きながらに気づく。ブッカー大尉は辛うじて、意識を繋ぎとめてはいるが、息も荒く、今にも倒れそうだったのだ。 「大尉、担架が必要か?」 「………冗談」 「ハッ…。俺に医療室まで一緒に行けってのか」 「なら、誰かと…、変わればいい」 「今さら、だな。ここで上着を返してもらっても、床が汚れるだけだしな」 掃除をさせられるのもゴメンだし、それ以上に精密機器の多い場所だ。 「まぁ、意識がある間は付き合ってやるよ」 全く我ながら、お人好しなことだと苦笑が漏れる。 だが、結局、ブリーフィング・ルームまで上がったところで、ブッカーは意識を手放した。 即座に担架で医療室へと運ばれていく。無論、傷口には清潔な布が宛がわれ、サミアの上着もお役ゴメンとなったのだ。 その上着は勿論、ブッカーを支えている間にサミア自身の体にもかなりの血が滲んでいた。 報告を受け、駆けつけてきた総監がその姿を見るにつけ、あんぐりと口を開けること数秒、 「怪我をしたのはジャック……ブッカー大尉と聞いたが──」 「えぇ。これは全部、大尉の血ですよ」 さらりと言う部下の一人に、総監は眉を顰《ひそ》める。 「何が原因だ」 「猛禽に襲われたんですよ」 「猛禽だと?」 殆ど調査の進んでいないフェアリイの原住動物がこの基地領域にまで侵入し、人間を襲うことなど未だ嘗てなかったが──それが喩えなのだとはすぐに察せられた。 簡潔に説明をしている内に、サミアは問題の危険な“猛禽”を置き去りにしてきたことに気付いた。 「総監、もう一度、地上《うえ》に上がっても構いませんか。大尉の危ないペットを拾ってきたいんですが」 「──良かろう。許可する。だが、中尉」 即座に踵を返しかけたサミアに、恐ろしいほどに真剣な顔で注意を促す。 「間違っても、飛ばそうなどとは考えるな。いいな、取ってくるだけだぞ」 万が一にでも、貴重希少なパイロットに二人目の犠牲者が出たりしては困るのだ。総監の立場からすれば、切実なまでに真剣になるのも当然だった。 ジョージ・サミア中尉は軽く肩を竦めたようだが、はっきりとは何も確約しなかったのだ……。 (2) (4)
気づいたら、軽く半年は経ってしまっていた『戦闘妖精・雪風』小説第3弾です。別に『OPERATION3』にショックを受けた影響、ではないはず^^;(感想、書けないよ、アレは) 『ブッカーさん受難の巻』──なんか、輝作品では誰かしらが怪我をする。 っても、彼がブーメランで負傷して、顔にキズ作るのは原作通りですがね。ただ『無印』から『改』に改訂になった際、負傷時期が加筆されていました。それによると、「ブッカーが現役パイロットではなく、総監時代。但し、零は特殊戦にはいない』頃のようです。 てなわけで、輝版は『無印』に則ってということにしておくれ。ほぼオリ・キャラなサミアとの関わりもあるし☆
2003.09.15.
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