風濤碧落《なみたつそらに》
4 風を切る音も遠い。 それは堪らなく残念なことだった。 サミア中尉はこの日も外へと上がっていた。晴れた空を飛ぶ影はなく、聞き慣れたあの音もない。幾らか物淋しく感じている自分に苦笑したくなる。 「これだから、面倒を押しつけられるんだ」 独り言にも溜息が滲む。収容庫を見上げ、その裏手へと回る。例の梯子階段を上り、こっそりと顔を出し、屋上の様子を窺う。探していた相手──ブッカー大尉の姿を認める。 独り、じっと佇み、空を見上げている。何も舞うことのない碧空を──そう、彼の元に戻ってくるものは今はないのだ。
先日の任務の報告書を総監に提出し、用さえ済ませば長居は無用と、さっさと退出しかけたところ、改めて呼び止められた。 面倒さはあったが、仮にも上官の求めに応じぬわけにもいかない。元の位置に戻り、「何か」と姿勢を正すと、少々、口籠もりながら、 「実はな、今、ブッカー大尉が上に上がっているんだ」 「ハァ」 そうですか、としか答えようがない。 自作のブーメランに襲撃され、顔に何針も縫うような大怪我を負った大尉だが、日常的に動くにはもう心配ないほどには回復していると聞いている。但し、任務飛行《フライト》ともなれば、まだ暫くは難しいだろう。 パイロットが一人欠けているため、それでなくとも厳しい任務の皺寄せが他の隊員にきている。時には相棒ではない他のフライトオフィサと飛ぶこともあるのだ。 それにしても、何故に大尉の話を持ち出されるのかが理解できない。その上、 「それでな、中尉。一寸、様子を見てきてはくれんか」 などと言われようとは! たっぷり十秒ほどの沈黙の後、とりあえず尋ねてみる。 「何故です」 「いや、まさかとは思うが、万が一、また怪我でもされては困る」 「何故」の意味が違うが、サミアは直属の上官相手でもあることだし、辛抱強く対する。 「危ないペットを持っていってるってことはないでしょう。ガキじゃあるまいし、そんな心配──」 「それはそうだが、病み上がりというものだし」 「天下のブーメラン戦士がその程度で、倒れたりするものですか」 「そう言うな。お前さんだって、上に出るのは好きだろうが。許可してやると言ってるんだ」 「生憎と、今、出たいとは思っていません」 だから、『何故、自分にお鉢が回ってくるのか』が大体にして、不可解にして不愉快なのだ。そんな「感謝しろ」のように言われるのも堪らない。 だが、すげない反応が総監にも癇に障ったらしい。 「ほう、そうか。では、この先、俺が総監である限り、一切、許可は出さんと言ったら」「…………」 さすがに絶句する。総監の物言いこそがガキではないか。こんなことで、部下を脅迫とは恐れ入る。 「横暴ですね」 「知らなかったのか。では、よーく覚えておけ。上役なんてのはな存在そのものが横暴なもんさ」 どんな組織に於いてもな、などと付け加えて、「勝ったぞ」と言わんばかりの笑みを浮かべるのに、内心で蹴りを入れていた。
「で、俺の様子を見にくるハメになった、と。そりゃあ、災難だったなぁ」 「他人事か? 酒の一杯も奢って貰いたいもんだ」 文句を言ったところで始まらない。サミアは久々に当たる風を体一杯に感じながら、空を仰いだ。だが、やはり鋭くも華麗に舞う影はない。 そして、隣に立つブッカー大尉に目を向ける。負傷時には居合わせたが、その後は当然だが、見舞いの一つもしていない。 やはり、久しぶりに相対したが、印象が変わっていた。右頬に走る一筋の傷跡──それだけで、凄みが増すというのも不思議だ。元々、軍人らしい精悍な顔立ちではあったが、今はマフィアの幹部でも通用する。 尤も、犯罪者上がりの多いフェアリイ空軍には実際、元マフィアもいないことはないのだろう。 しかし、加療のためか、少しはやつれた感じもした。何となく、見ていられなくなり、目と話を逸らす。 「職権を嵩に人を脅すにも程がある。オマケに、後々まで指示を引き継いで、二度と外に出られなくしてやる、とまで抜かしたぞ。あんの野郎は」 「オイオイ、過激だな」 仮にも上官を「あの野郎」呼ばわりとは、相当に切れている。 「ったく、大体がして、何だって俺が面倒につき合わされなきゃならないんだ」 ブツクサと文句を言うサミアに、ブッカーも苦笑するよりない。 互いにそれなりに、つるんではブーメランを飛ばし、問題の事件の際にも居合わせ、負傷した大尉を連れ帰ったりと──目をつけられても当然、という自覚はまるで欠けているらしい。 ブッカーはブーメラン戦士の中でも異質と称されるように社交性も有しているが、程度はあれ、他にもそんな隊員がいないわけでもないのだ。ジョージ・サミア中尉はそのいい例で、限定的であっても、交友関係を築けるのだ。 ブッカーは自分とサミアに限れば、世間一般では十分に『友人』と呼べる間だと思っている。ただ、面と向かって、本人に話したりはしない。これは自分がそう思っているだけでもあるし、彼の中ではまた別の捉え方をしているだろうからだ。 「単に序でだろう。お前さんだって、こうやって、外に出るのは嫌いじゃないはずだろうが」 「……最近は、そう出ていたわけでもないが」 「そうだったのか。それじゃ、尚のこと、序でで良かったじゃないか」 不意にサミアは黙り込んだ。何よりも、風に当たり、その音を聞くのを好むのに、ここ暫くは確かに足が遠のいていた。 その理由は明らかだった。一番、聞きたい音が聞こえてこないのは分かりきっていたからだ。 ただ、そうと認めるのは些か面白くない。 「それはそうと、総監も気にしていたが、よもや、危ないペット同伴じゃないだろうな」 「総監に、絶対に飛ばすなと嫌というほど、釘を刺されたんだぞ」 「しかし、隠れて飛ばしかねん、くらいに思われているんだろう。フン、信用がないな、大尉」 精々、嫌味っぽく言ってやると、大尉はまたも苦笑した。それが少しだけ違和感がある。彼はもう少し、軽快に笑う人物のはずだ。 「何れにせよ、杞憂だ。アレはもう……壊したからな」 「────」 相手の言葉を理解できない、理解しかねる瞬間とは確かにあるものなのだと、サミアは知る。これまでの人生でも、初めての貴重な経験かもしれない。 「壊しただと? あのブーメランをか」 他に何がある。ブーメランの話をしていたのだから、それ以外のことではないのも当然だ。だが、問わずにはいられない。 「何故だ? あれ程、入れ込んで、作り上げてきたものを──」 俺は何を言っている。何を尋いているのか? 他人が何をしようと、どうでもいいはずではないか。俺には関係が……! 「済まないな」 「……何?」 サミアは幾らか混乱していたのかもしれない。意思を離れて、口が勝手に問いかけを発しているようだ。 しかも、ブッカーは何故か謝罪を口にする。或いはサミアの混乱を見抜いていたのかもしれない。 「アレは、お前さんも一緒に育ててくれたようなものだった。それを俺の一存で壊してしまって……本当に済まない」 カッと頭に血が上るのが解った。それは多分、理不尽な反発だ。見透かされているのに腹が立っただけだ。 「あんたに謝られる謂れはない。大尉が作った物をどう処分しようと、大尉の勝手だ」 「中尉」 「まぁ、アレがないのなら、確かに総監の心配も無用だな。結構なことだ。俺がついている必要もないな」 さっさと踵を返しかける。 「適当なところで、戻ってこい、大尉。こんな所で油を売ってないで、しっかり体を休めて、とっとと軍務に復帰してくれ。でないと、今度は俺が倒れかねん」 重ねて語るまでもなく、特殊戦の任務は現状の通常最大編成でも過酷な激務なのだ。一人、たった一人の欠員でも、長引けば長引くほどに、他の戦隊員への負担は増大する一方だ。 サミアは振り返らずに梯子階段に向かい、そのまま下りていった。 残されたブッカーは盛大に嘆息し、空を見上げる。帰投してきた何れかの編隊が通り過ぎていく。 「早く軍務に戻れ、か」 編隊機の爆音にかき消され、呟きは自身の耳にも届かなかった。
「何と言った、ジャック」 聞き間違いと思いたかった。総監は完全に仕事の手を止め、訪問者を見据えた。 デスク正面に立つB−1のパイロットは至極、真面目に繰り返した。 「任期明けまでの残り期間、パイロットとしての任務から外しては頂けないかと、そう言いました」 あんぐりと口を開け、部下を眺めていた総監は「考えられん」と何度も頭を振った。 「ジャック、いや、ブッカー大尉。解っているのか。それは軍務拒否だぞ。勿論、重罪だ」 「承知しています。その上で、相談をしているのです」 どうやら、冗談でも何でもないらしい、と悟った総監は書類を脇にどけ、体を乗り出すようにして、直立不動の長身を見上げる。 「話してみろ。例の事故が原因か」 小さく、大尉は頷いた。あの一件、自分の反射神経が思っている以上に鈍っているのだと気付いたのだと。ブーメランの動きを追いきれなかった『目』も、パイロットとしての能力の低下を示しているのだと、悟らざるを得ないと言うのだ。 「しかしなぁ」 「パイロットとしての自分に自信が持てません。何より、シルフもフライトオフィサも貴重ではありませんか」 確かに残りの任期は短い。傷が完治し、復帰して飛べる時間も限られている。だが、その限られた短い時間で、『撃墜』されないともいえないのだ。 パイロットは自分の命だけでなく、相棒であるフライトオフィサの命も預かっている。そして、何よりも特殊戦での至上命令──『必ず生きて、情報を持ち帰れ』──その命を果たすために、自分の肉体が万全ではなくなっているとしたら? 過去、回復不可能な負傷故に、除隊した者は皆無ではない。だが、それほどではないと誰もが思っているのを、当人だけが限界を感じてしまったとしたら──ジェイムズ・ブッカー大尉はB−1、特殊戦一番機を預かるパイロットだ。この特殊戦でも最高のパイロットと称されてきた彼がここまで思いつめるとは、予想外の事態だった。 「二度と飛ばないつもりか、ジャック」 軽く目を伏せる。 「本当に、このまま空から降りてしまう気か」 「拘りは、ありません」 勿論、許可が出なければ、その限りではないとは付け加える。 総監は大きく嘆息し、髪を引っ掻き回した。 「解った。とにかく、准将に相談してみよう」 場合によれば、医師の診断を受けて、『パイロットの激務に耐えられない』と判断さされれば、そのまま除隊ということもありえる。 特殊戦の実質的司令官たるリディア・クーリィ准将は実に合理的な人物だ。単に軍規やらに縛られず、判断してくれるだろう。 「で、ジャック。許可が出たら、除隊するのか? 前に俺が打診してあった件はどうしてくれる」 目算が狂った、とでも言わんばかりだが、大尉は実にあっさりと、 「あぁ、構いませんよ」 「何?」 「私でよければ、お受けしますよ。貴方の後任を」 目が点になるとはこのことだ。 これまで、芳しい返事は貰えなかった。曖昧に躱して、返答を避けていたものを急に心境の変化でもあったのか。これもまた、あの事故のせいなのか? 何れにせよ、総監は咳き込むように確認する。 「本気か、ジャック。後でやっぱり嫌だ、なんて言っても、通らんぞ」 「言いませんよ。ガキじゃあるまいし」 「そ、そうか。まぁ、当てにしているぞ」 となれば、准将を説得しやすいかもしれない。パイロットを今一人、また調達しなければならないし、ローテの調整に苦労するのは目に見えているが、総監にとっては自分の後任決定は何にも勝る朗報なのだ。 「しかし、何でまた、その気になった。ついこの前まで、乗り気じゃなかったろうに」 「もう少し、この星の風に当たってみるのも良いかと思いましてね」 そして、あの連中ともう少し付き合ってみるのも──……。
暫く後、特殊戦一番機B−1のパイロットは不在が続くこととなる。 苦しいローテもまた続き、パイロットたちは不平を漏らしたが、元B−1パイロットの選択そのものに関心を寄せた者は当然いなかった。 ただ一人を除いては……。 (3) (5)
またしても、半年以上経過な『戦闘妖精・雪風』小説第4弾。何か『OPERATION4』発売記念^^; 何はともあれ、最新巻が出ると、進めてるなぁ。 オリ・キャラじゃないけど、オリ・キャラみたいなサミアも、少しはそれらしくキャラが固まってきたかな。名無しの総監さんもそれなりに喋ってくれました。いい性格してるよな?
2004.05.14.
|