風濤碧落《なみたつそらに》
5 自身が風になる。そんな瞬間があるという。 だが、自分は飛び続けていても、そんな瞬間を感じたことなどはない。 だから、解ったようなことを言うなとしか思えない……。 碧い空を一条の光が切り裂いていく。後に残される轟音が乾いた地表を震わせる。見上げる者がいれば、感嘆の息を漏らしたろうが、生憎とこの地には人なる者は存在しなかった。 置き去りにされる轟音は、そのコクピット内には届かない。制御盤《コンソール》の発する音に支配されている。 パイロットは次々と変わる表示の羅列に目を走らせていた。 「なるほど、大した出力だな。この新エンジンは」 独り言ちたのは特殊戦第五飛行戦隊『ブーメラン戦隊』B−13パイロット、サミア大尉だ。『ブーメラン戦隊』の次期主力機として開発されたFRX00のテストフライト中だった。 現役機でも最高最強の戦闘機と呼ばれるスーパシルフに換わる機体だ。当然、各種性能は向上されている。 「どうだ、少佐。異常はないか」 後部座席に声をかける。だが、電子兵装のモニタしているはずのブッカー少佐の反応はない。三度、呼びかけても応じないのに軽く嘆息し、機体を激しくバンクさせた。 衝撃が緩和されているとはいえ、予想外の動きに、ブッカー少佐も我に返る。 「どうした、大尉。ジャムか?」 慌ててレーダーをチェックするが、無論、敵の反応は認められない。 「何の真似だ、サミア大尉」「あんたが呆けているからだ」 凡そ、凄みを効かせた上官への態度ではない。 それでも、少佐が黙り込んでしまったのは痛いところを突かれたからだろう。 「そんなに、雪風が心配か」 “雪風”ではなく、深井中尉が心配か、と言外に匂わせているのは明らかに皮肉だった。 “雪風”のラストフライトに出た深井零中尉だが、その途中、消息を絶ってしまったのだ。 如何なる任務であろうとも、必ず帰投せよ。その絶対命令のままに、帰投率100パーセントを誇っていた『ブーメラン戦隊』にあっても、エースシルフの一機に数えられた“雪風”が、だ。 そのパイロットの深井中尉は少佐にとっては部下であると同時に、親友でもある。行方不明ともなれば、人並に心配もするのだ。 元ブーメラン戦士であり、現在はその総監を務めるブッカー少佐だが、この辺りの感性は正に人並だった。 他の現役ブーメラン戦士は当然、殆どは気にも留めていない。彼らは己にしか関心はないのだ。サミアのように、皮肉るだけでもまだ、外界に対して、多少の関心があるという証左になるほどだ。 勿論、現在、彼らの主任務は新機種のテストフライトだ。だが、テストに託けての“雪風”の捜索を──というのがブッカー少佐の本音に近い。 “雪風”の捜索も特殊戦副司令官クーリィ准将に進言したが、すげなく拒否された。正に冷徹な指揮官に相応しい判断だった。 それでも、テストフライトのコースはブッカー少佐に任せてくれた。もし、“雪風”がどこかに不時着でもしていて、搭乗者も無事であるなら、回収するに越したことはないのだ。それはテストパイロットを務めるサミア大尉も承知していた。 「雪風が不時着しているなら、何れレーダーに反応があるだろう」 「……だが、雪風が地上になければ」 「地下に格納されてるってのか? それはどこかの基地に下りてなければ、あり得んだろう。下りているのなら、連絡がありそうなものだ」 「それは、そうだがな」 何か釈然としない思いはあった。最近、ジャムの出方が変わってきているように感じられるためだろうか。 違和感を覚えたのか、前席で僅かに眉を顰めたサミア大尉だが、話を変えた。 「それより、当面は本来の任務に集中したらどうだ」 「──解っている」 伊達に特殊戦の総監を務めているわけではない。少佐も気持ちを切り替え、命令する。 「加速力を見たい。限界まで、引っ張り上げろ」 「エンジンテストは万全か? 焼きついたりはしないだろうな」 「そんなものでは困る。大丈夫だ。やれ」 「了解だ。……こっちの体が持てば良いがな」 冗談ともつかない最後の言葉に後席の少佐が顔色を変えたのを感じながら、サミア大尉は操縦桿を押し込んだ。 圧力感知型の操縦桿は微動だにしないが、その意は明確に伝わった。FRX00──新シルフィードは素晴らしい加速を見せた。 フェニックス・マークXI──新エンジンは最近、現行のスーパーシルフに換装されたものと型番の上では同型だが、更なる改良が加えられていると聞く。その上、機体そのものも性能はアップしている。当然の帰結といえた。 無論、その分、搭乗者への負担も大きくなるが、緩和させる技術も向上している。 それでも、影響がないわけではなかった。
性能諸元を超えた加速にも新機体は耐えてみせた。少佐は幾らか荒い息をつきながら、通常飛行に戻るように命じる。 「ヘバったか、少佐」 「幾ら現役を退いてから、長いといっても、この程度で足腰が立たなくなるわけじゃない」 「そりゃ、結構だな。もう一度、いくか」 ブッカー少佐は苦笑で返すしかなかった。 「で、どうだ? FRXの乗り心地は」 「戦闘機に快適な乗り心地を求めたりはせんよ」 「いや、そうじゃなくてだな……つまり、シルフのように扱えそうか」 発進から帰投まで──時には長時間に渡る任務を今まで通り、熟せるかどうか。 「扱えなきゃ、問題だよなぁ……少佐はどう判断した」 「俺が?」 「あぁ、俺に、この新機体が乗りこなせるか否か。そのテストでもあるんだろう。このフライトは」 「……ジョージ」 任務中にファースト・ネームを呼ぶことなど、なかったことだ。それほど、少佐が驚いたということだろうか。 サミア大尉が失笑した。 「時々、本当にそれでよく総監が務まると不思議になるな」 「茶化すな。俺の判断より、お前がどう感じたかを知りたいんだ」 妙に喉が渇くような感覚に苛立たされる。 ジョージ・サミア大尉は現役のブーメラン戦士の中でも、特に抜きん出た実力を有するエースの一人だった。経験の差から、親友の操るB−3“雪風”よりもB−13“ガルーダ”の方が上だろうと、少佐は評価しているほどだ。 だからこそ、今後の戦局をも左右しうる新機体のテストパイロットに選んだのだ。 とはいえ、それだけでもないのも確かだった。 フライト前のクーリィ准将との会話が嫌でも思い出される。
リディア・クーリィ准将は“雪風”の捜索は拒否したが、FRX00のテストフライトは予定の内だった。 「テストパイロットは誰を?」 行方不明になっていなければ、深井中尉にやらせるつもりだったのだと、そう思われているのだろう。尤も、それは准将の勝手な推測ではなく、事実だったが。 とはいえ、大事な機体のテストだ。元より、深井中尉にだけさせるわけでもなかった。 「サミア大尉にやらせます」 「サミア大尉か。なるほど……」 准将が腕を組み、何事かを考え込む。 大尉にテストを任せることが問題になるはずはないが、機体運用に関しては首を突っ込むことのない准将が僅かでも異を唱えるようなことがあるとすれば、珍しいと同時に、重要な意味があるのだろう。 「サミア大尉だが、任期満了が迫っていたな。次の契約をするつもりがあるのか……貴方は聞いているか?」 だが、准将の興味は新機体よりもサミア大尉にあったようだ。指先で軽く上げた眼鏡の下から、冷徹な瞳に見据えられる。 「いえ、まだ具体的な話は何も」 確かにジョージ・サミア大尉の任期は数ヶ月後に切れる。まだ時間もあるし、これまでも特に相談を受けたことはなかった。 少佐から確めることもなく、二ヶ月ほど前になると、向こうから任期延長、再契約の話を持ちかけてくるのが常だった。 だが、次はどうだろうか? それは分からない。 ただ、大尉が再契約をしないとなると、ただでさえ、人手不足の特殊戦には打撃になる。准将はそれを心配しているのだろう。 早急に大尉の意思を確める必要がある。少なくとも、准将からは、そう求められているのだと判断せざるを得なかった。
サミア大尉については少佐にも多少は気になることがあった。エースと呼ばれる実力を有し、円熟期にあるとさえいえるサミア大尉だが、それは乗り慣れたシルフがあってこそだ。 共に切磋琢磨するように、雛から育て上げたシルフ“ガルーダ”なればこそだ。そう、“ガルーダ”は前回の戦隊再編の際に新規に採用されたスーパーシルフの一機で、サミア大尉が名付け親でもあるのだ。 だが、そのシルフたちは独り立ちしようとしている。既に試験的な無人飛行を繰り返しており、今後は無人機として飛ぶことは決まっていた。 巣立ちつつあるシルフの代わりにパイロットたちが操ることになるのが新機種FRX00だった。 スーパーシルフは素晴らしい機体だが、それでも、開発時期は古く、基本性能の上では最新のFRX00とは比べるべくもなかろう。 それをパイロットたちは一から育てなければならないのだ。暴れ馬を御さねばらならないようなものだ。 少佐は技量面で大尉に不安を感じたりはしない。だが、過酷な任務に耐えるには体力面の問題もある。しかも、FRX00による搭乗員への負担はまだデータがないに等しい。 サミア大尉は丁度、30歳。他の戦隊ならば、まだまだ引退など考える必要もないが、特殊戦は別だ。 ともかく、一度は適応を見たかった。それはサミア大尉に限ったことではないのだが、真先に彼をテストに引っ張り出したのにはやはり、確めたいという思いが強かったからだろう。 だが、まさか、それを当のサミア大尉に読まれているとは……。 いや、そうではないか。大尉自身が漠然とながらも、己に不安を抱いているのかもしれない。
何と言うべきか、考えあぐねていた時だ。 「まぁ、そろそろ潮時かなって、思わなくもないな」 「何を言う、ジョージ」 「俺も結構、いい歳だってことさ」 「まだ、30じゃ……」 「あんたがシルフを下りたのと同じ歳だな」 ブッカー少佐は言葉をなくすよりも目を丸くした。 ブッカーが現役を引退したのは例のブーメラン事件で、自分の衰えを感じてしまったからだ。 「俺に倣う必要なんて、全然ないだろうが」 一度、言葉を切り、メットの上から右頬の傷をなぞるような仕種をした。その手を止め、 「ジョージ。お前まさか、不安なのか」 「さぁな。ガルーダと一緒なら、とっとと更新するんだろうが……こいつはどうかな」 スーパーシルフを凌駕する性能を持つFRX00──軽く操縦桿に力を加えると、敏感に反応し、機体は旋回する。 「お前なら、技術でカバーできるだろう」 「どうかな」 「今、載ってみて──感触はどうなんだ」 やれそうか、と尋ねようとして、やめた。間違っても「無理だ」などとは聞きたくはない。 「……お前が空から下りるところなぞ、想像できんな」 「あんただって、周囲《まわり》は皆、不思議がっていただろうが。総監だって、あんたを後釜に据えられるのでなきゃ、絶対に止めていたはずだ。……俺にとって、あんたは最後まで、B−1のパイロットなんだぜ」 さらっと告げられた言葉に今度こそ、絶句する。個人主義の激しい『ブーメラン戦隊』にあって、他のパイロットを意識するなぞ、あり得ない。サミア大尉とて、その例に漏れないはずだ。 ブッカーが声をかければ、普通に会話するようにはなったが、他の現役隊員とつるむことは、やはりない。相棒のフライトオフィサでもだ。 少佐とサミア大尉、少佐と深井中尉のように一応、友人関係が成立しているのは例外中の例外だ。とはいえ、サミア大尉の側でも自分の存在をきちんと、認識しているとは正直、驚きだった。 「……だからか」 不意に理解できたことがあった。だが、それを確めることはできなかった。
ブッカー少佐の正面の広域警戒レーダーから警告音が響く。 「──ジャムだ」 「距離は。こちらを気取られてはいないか」 「まだ大丈夫だ。敵は三機。距離を保ったまま、様子を見ろ」 二人の意識は完全に戦闘態勢に入っていた。 ブッカー少佐はレーダーの解析力を上げて、敵の様子を詳しく捉えようとする。 「交戦している?」 「バカな。今この空域に、友軍機がいるはずが──」 何かに気付いたのか、サミア大尉が言葉を飲み込む。それを少佐が引き取った。 「まさか、雪風か?」 行方不明中の機体ならば、FAFもその現所在を把握できるはずがない。 「大尉、あそこに行け。早く!」 だが、歴戦の彼らをして、予想もしなかった事態が生じる。突然、FRX00が全てのコントロールを受けつけなくなる。しかも、距離を置くつもりだったジャムのいる空域へと急加速する。 「何だ!? 操縦不能……少佐!」 「ジャムに、乗っ取られたのか」 猛烈な加速の中、喘ぐように呟く。辛うじてだが、大量の何らかのデータが転送されてきているのは把握できた。 だが、それだけだ。乗機に異変が生じているのに何の手も打つことができない。 飛行速度が速すぎるため、脱出もできない。 「フライトコントロールを切れ。大尉…!」 「言うことをきかないんだよ、少佐。──何だ、この入力情報は?」 狂ったように表示を変えるディスプレー。読み取れるはずがない、その一瞬の表示……。 だが、サミア大尉は何故か、そのアルファベットの並びだけは判別できた。 B−3──YUKIKAZE 思わず……そう、機動中のコクピットで行ったことなどなかった。 「……ユキ、カゼ?」 その瞬間、サミア大尉は思わず、身を乗り出していたのだ。 (4) (6)
さすがにマズいな……一年以上経過な『戦闘妖精・雪風』小説第5弾。最終巻『OPERATION5』発売記念? 一気に完結を目指します?? 原作と初めて、これと判別るシーンでリンクしました。尤も、、オリ・キャラみたいなサミアはこのシーンでは名無しとゆー気の毒な人なのです。名前が出るのは続巻の『グッドラック』──でも、その時、彼は……結末は次章でも明らかになります。
2005.10.05.
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